誰でもいい存在から抜け出して、優しい世界に立ち戻ること
こんばんは、もちまるです。
今日は、自分の居場所についてのお話。
私は、今のお仕事を自分の居場所だと思って仕事をしてきました。
しかし、色々な求人を募集することになり、採用という立場に立った時、自分は代替可能な、何者でもある存在であることを思い知らされました。
ちょっと言い方が厳しいかもしれませんね。
でも、私にとってはそれくらい衝撃の強いことで。
胸の痛みはたしかにあった。
私は代替え可能なぬいぐるみのような気がして。
何だかずっとそういう感覚に繊細に生きてきたような気がします。
「何者でもある存在、誰でもいい存在」
私が大切にしてるのは「何者でもない」ということ。
職種にとらわれない、人間ありのまま。
この誰でもいい存在と、何者でもない存在は、同じようで同じではないと感じています。
これはあくまでも私の体感です。
何者でもある・誰でもいい存在というのは、
人間の中身を見ていないことだと思います。
誰でもいい、は人間の本質をついていない。
厳しい言い方をすれば、人間を道具のように見ているという言い方もできます。
何者でもないという私の考え方は、
職種にも立場にも捉われない、人間の本質を見るというあり方。
圧倒的にこの考え方にいるほうが私は楽にいられます。
だって何者かでいようとしたら「ないもの」ばかりが目に映るから。
何者かであろうとした瞬間、自分がなれない誰かが自分の目に映ってしまうから。
採用という立場に立つと、色々な方に出会います。
自分が持っていないものを持っている人にも出会います。
こんな自分だめなんじゃないか。
まだ足りない。
こんな自分がここにいたら迷惑かけているだけだ。
結局私はダメなんだ。
そうやって何者かになろうとした瞬間、なれない何かが目に映る。
私はその思考に苦しんで、一時期はこの自分の存在そのものごと消してしまいたいときもありました。
高校生の頃は、周りが優秀な人ばかりで、自分をけなしてばかりいました。
今だって、自分も持っていないものを持っている人を見ると心が痛くなる。
誰かの何気ない言葉が、ナイフのように心をつくこともある。
それでも、私このまま。
悲しみを抱えたまま、何者でもない私に戻ります。
持っていないものを比べる世界から、何もない世界に。
所有物で人を見る世界から、生身の人間そのままを見る世界に。
この世界は、比較が溢れかえっている。
特に社会に出て働いているとそういう局面に出会うことがたくさんあります。
ある時から、私は出来ることに目を向けるようになりました。
人より出来ないことは圧倒的に多い、
だからその分自分が出来ることを真剣に積み重ねていこう。
私は人より持っていないものも多い。
ドラクエでいったら、いい武器なんて何も持っていない。
こん棒くらいかもしれない。
スライムさえ倒せないかもしれない。
だけど、ちゃんと主人公は冒険している。
その人にしか見えない世界は、不器用だけど美しい瞬間もたくさんあって。
それは、他の人から見たら地味な世界かもしれないけれど。
写真のように切り取る瞬間には確かに幸せな瞬間や美しい瞬間がある。
そんな世界を抱きしめて生きていきたい。
苦しくて立ち止まっても、雨が降っても虹が出るように、
美しい朝が来ますように。
激しい雨の中も、涙の海の中でも
ひだまりを抱えて生きる。
年のはじめに私が決めたこと。
今日もひだまりを抱いていきています。
抽象的な話が多くて分かりにくかったと思いますが、私が大切にしていることを書いてみました☺️
最後までお読みいただきありがとうございました。
