【山口観光】幕末を動かした長州藩の拠点「萩市」を観光する
幕末を動かした長州藩。
その長州藩は山口県北部にある「萩」を拠点としており、
「孤高の信長1570」にも登場する毛利輝元が関ケ原の合戦で西軍の総大将となり敗北。支配地域を現在の山口県に減らされます。
徳川家康を警戒し、防御に優れた萩を拠点とします。
先日萩へ行ってきましたので、たんたんと紹介していきます。
1.萩バスセソター
山陽新幹線「新山口駅」から萩へアクセスするには、
高速バス「スーパーはぎ号」に乗るのがベスト。このスーパーはぎ号は「明倫学舎」「萩バスセソター」「東萩駅前」に停車します。
萩城下町などの観光地にアクセスするなら「萩バスセソター」で降りるのが良いでしょう。
え?さっきから「萩バスセソター」って言ってるけど
「萩バスセンターの間違いじゃないんですか?」

スーパーはぎ号だと、片道1時間で、萩へ到着します。

奇兵隊っぽい感じの猫ちゃんです

関西圏の人なら、「あれ?どっかで見たことある」と思ったかもしれません。このバスは近鉄バスの観光バスタイプと同じ塗装です。
防長交通が近鉄グループなので、近鉄バスの車両を防長交通という名前に変えてそのまま使っているのですね。
2.萩城跡

萩城は1604年に建てられました。
関ケ原で敗れて、外様大名となってしまった毛利家なので
あまり大きい城を建てることはできませんでした。
でも天守閣がありませんね。
1873年に明治政府が「廃城令」を出して、その一環で萩城は壊されてしまう。いつかハリボテでもいいから復元してほしいですね。


萩城がある指月公園隣にある「厚狭毛利家萩屋敷長屋」にジオラマが置いてあります。入園料は100円ですが、指月公園の入園料を先に払っていれば、セットで見ることができます。これを復元すれば萩はけっこう観光地化できると思うんですけどね





ちょうど先週は桜の時期でしたので満開でした

けっこう足元が悪いです
3.シルバニア写真
ただのシルバニアの写真です。



トイプードル男の子エリック、女の子はメリンダ
男の子は古いおもちゃ屋で見つけ、
女の子は割引シールが貼られて、孤独に売られてました(涙

4.ミドリヨシノ
萩には日本唯一の「ミドリヨシノ」があります。
普通のソメイヨシノと違って、花が緑っぽい色しています。
撮影をしたときには、ほぼ散っていましたが少しだけ咲いていましたので、撮ることができました。



5.明倫学舎
「明倫館(武士の学校)」の建物を観光施設として使用しています。
ここは観光案内所、レストラン、お土産、資料館が入っていて
特に資料館が内容が濃くて毎回寄ってしまうぐらいにお気に入り
萩を観光するのであれば、先にこの明倫学舎によると萩の歴史のことなど理解しやすいと思います。




ほぼ当時のままだと思います

なんかタイムスリップしたみたい

綺麗だったのでさすがに新しく作ったものだと思います
資料館は撮影禁止のエリアが多い中で
これら幕末の展示物は撮影OKなのです。
織田信長の時代から銃といえば火縄銃でしたが、
オランダとの交易の中で、西洋式の銃の輸入がされるようになります。
その中で幕府が手に入れるのが「ゲベール銃」
火縄銃よりも命中精度が良く、火を使わなくてもいいので火縄銃よりも撃ちやすい。弾は前方から込めるので前装式です。

ゲベール銃はオランダでしたが、
エンフィールド銃(ミニエー銃)が登場します。これはイギリスで生産されたモデルで、戊辰戦争時の長州藩や薩摩藩の主力武器です。
ゲベール銃と比べて命中精度、威力が良く射程が長いです。
前装式なので、弾は前から込めます。


毛利家の家紋が彫られています

宴会用の銃かな?
ここでスナイドル銃が登場します。
イギリスで開発されたエンフィールド銃の後継機で、
特徴的なのは「後装式」なので、弾を後ろから込めることができる
それと薬きょうが金属になったので、水に強くなったのですね
スナイドル銃は戊辰戦争では、あまり数が出ていないみたいですが、
西南戦争ぐらいの時代になると、新政府軍の主力級の武器になります。
なので、戊辰戦争時の長州藩兵はエンフィールド銃のような近代ライフルを使って幕府軍を圧倒していきます。
英国の銃を調達できたのは、トーマスグラバーのようなイギリス商人が武器を仲介していたからですね。それを受け付けていたのが坂本龍馬。それを薩摩藩名義で長州藩に横流ししていたのです。
スペンサー銃は南北戦争でよく使われたアメリカ製のライフル
単発式でなく、7連発できる銃で、あまり国内には出回らなかったみたいです。
そもそも高価なんで。

下が「スペンサー銃(米国製)」
シャスポー銃はフランス製の銃で幕府軍で少数使っていました。
スナイドル銃より威力はあったみたいです。



レプリカではなく本物というところがびっくり
大村益次郎も開発に携わっていたらみたい

武器や軍装の紹介です

銃があるとはいえ、武士同士なので白兵戦の様子が描かれています
ライフルの弾が尽きたら刀と刀のぶつかり合いですね

山口市に錦の御旗を生産していた跡地があります

6.松下村塾(世界遺産)
松下村塾は、吉田松陰が主宰した教育の場です。松陰は儒学や兵学を学ぶだけでなく、海外事情や政治、志士としての覚悟なども教え、学問と実践の両立を重視しました。塾は小さな村の自宅に開かれたため、「松下村塾」と呼ばれました。
ここで学んだ門下生たちは、幕末の尊王攘夷運動や明治維新に大きな影響を与えました。高杉晋作や伊藤博文、久坂玄瑞、山縣有朋など、後の日本の政治や軍事に関わる多くの人物が松下村塾で学んでいます。松下村塾は、教育を通じて国家の独立や改革の志を若者たちに伝え、明治維新を支える人材を育てた小さな塾として歴史に名を残しています。
2015年にユネスコの世界遺産に登録され、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という文化遺産群の構成資産の一つとして、2015年に世界遺産リストに登録されています。

萩は空襲がなかったので、意外と当時のものが残っています


一番上の列の人たちは幕末に活躍した人たちですね

また、吉田松陰の妹「文」と結婚しています。
大河ドラマ「花萌ゆ」にもそういうストーリーがありますね

会津の人たちを支援していたようです。
前原一誠や佐賀の江藤新平のように新政府の要職に就いたけど、明治政府と途中で意見が合わなくなり反発、反乱を起こして処刑される人たちもいます。そういった反発が、最後に爆発したのが西南戦争ですね。
急激な変化が必要なほど、世界が弱肉強食の時代だから、日本にあまり余裕がなかったんでしょうね。早く近代化を進めないといけないと。
7.恵比ヶ鼻造船所跡(世界遺産)
この造船所は、木戸孝允の提案を受けて1856年(安政3年)に設けたもので、西洋式の木造帆船を製造するための工場でした。
ここでは、ロシアやオランダなど異なる海外の造船技術を取り入れた2隻の帆船が建造されました。 1856年に造られた「丙辰丸(へいしんまる)」はロシア式の設計を基に、1860年の「庚申丸(こうしんまる)」はオランダ式の技術を応用して造られています。これらは日本が西洋技術を学び独自に船をつくろうとした初期の試みでした。

8.萩反射炉(世界遺産)
萩反射炉は、西洋式の金属溶解炉の遺跡で、当時の日本が外国からの軍事的脅威に備えて取り組んだ技術革新の証として重要な史跡です。
反射炉とは、燃焼室で燃料を燃やし、その炎や熱を天井に反射させて鉄を高温で溶かす炉(こうろ)のことで、特に大砲などの鉄製品をつくるために必要な装置でした。長州藩は幕末の海防強化を目的に、佐賀藩で既に使われていた反射炉の設計を参考にして1856年(安政3年)に試験的な反射炉を建設しましたが、実用的な生産には至らなかったとされています。


9.高杉晋作誕生地

高杉晋作は長州征討後の絶望的な状況化から逆転してるから
この人いなかったら長州藩は完全に詰んでいたと思う

10.萩城下町(世界遺産)
写真のような通りや長屋がいくつかあります
いろいろ紹介したいところですが、萩っぽいものを紹介していきます。

この通りに高杉晋作の誕生地があります



11.萩グルメ
紹介するするゆうて、あまり紹介できるネタがありませんでした
先日行ったときは、車だったのですが久しぶりに道の駅「萩しーまーと」に行って、刺身を買って車で食べました。(ごはん持参で)
萩はイカも美味しいし、ふぐも美味しい。
ふぐといえば下関のイメージですが、萩や徳山はトラフグではなく、真ふぐで有名。味はトラフグと同じと思います。(ふぐあまり食べないので)
萩しーまーとに刺身の種類はあまりなかったけど、
イカほんと美味しかった。これで日本酒のみたいわ。
「萩しーまーとは高い」と地元の人はよく言うけど、
まぁ言うほど高くないよね。





ちなみに、萩で食べ物を食べるときは、上空にトンビが飛んでいるので注意を。あいつらはプロの盗人。上手に手に持っているものだけ狙ってきます。
終わり。
次回は幕末京都騒乱の続きをやっていきます。
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