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【居場所と働く①】〜“できること”からつくる居場所としごと「イーチ合同会社」〜“誰もが関われる”をかたちにする〜


■最初に


こんにちは!サイボウズのもっちーです😊

排除しないまちの空気を受け継ぎながら、働くことを通じて人とつながっている「イーチ合同会社」さん。
関係性を大切にした雇用のかたちを実践しています。
今回から、全6回のシリーズでお伝えします!


イーチ合同会社
Webサイト:https://www.each-go-do.com/



■“誰もが関われる”をかたちにする


○「排除しないまち」から生まれた会社


イーチ合同会社は、地域づくりを長年やっている
暮らしづくりネットワーク北芝と密接に関わっています。

暮らしづくりネットワーク北芝の活動する地域は、
被差別部落である地域で、差別や貧困の連鎖と向き合いながら、
住民たちが自らの暮らしを守り、育ててきた場所です。

もともとは、部落解放運動の流れの中で、
「生活支援、環境改善を求める」要求型の運動から、
「自分たちで地域をつくっていこう」という自立型のまちづくりへと、
住民の意識が変化していったことがひとつのきっかけでした。

1995年の阪神淡路大震災では、
ボランティアによるネットワーク型の支援が注目され、
北芝でも「地域の声を拾い上げて、形にしていく」活動が強くなっていきました。
たとえば、コミュニティ道路をつくる際には、
地域の人たちとワークショップを開き、みんなで考えながら進めていくという、当時としては珍しいスタイルが採用されました。
こうした経験を通じて、「地域のことは地域で決めていく」「誰もが関われるまちづくりを」という思いが育まれています。

地域の中間支援を担う団体として、住民のアイデアを形にする活動を中心にしていました。

地域通貨「まーぶ」もそのひとつです。
子どもたちが地域でお手伝いをすると「まーぶ」がもらえ、それを使って買い物をしたり、また稼いだりすることで、地域とのつながりが育まれていきます。

2010年には、萱野中央人権文化センター「らいとぴあ21」の指定管理者となり、青少年教育や生活相談など、より直接的な業務も始まりました。
生活に困難を抱える人に対して、仕事や暮らしの相談を丁寧に行い、
一人ひとりに合った支援を届けています。

こうした活動の根底にあるのは、「誰もが安心して暮らせるまちをつくりたい」という思い。
差別や偏見を乗り越え、すべての人を受け止める。
そんなまちづくりを、北芝はずっと続けてきました。

そして、この流れの中で生まれたのが「イーチ合同会社」です。
今回は、イーチ合同会社の代表池谷(いけがや)さんにお話を伺いました。


○まちの声に、会社として応えるということ〜イーチ合同会社〜


うちの会社は、もともと「まちでつくった会社」なんです。
会社名は数年前に変えたのですが、それまでは「北芝まちづくり合同会社」っていう名前で、
まちの中で起きることに対して、必要な部分を会社として担っていこう、という形で立ち上がりました。

NPOである「暮らしづくりネットワーク北芝」の活動もある中でできた会社で、「まちの経済活動」を中心にやっていこうという考え方で始まっています。

まちの中で起きる小さな経済活動を、一つひとつ丁寧にやっていこうという発想は、2000年代の前半くらいからありました。
ただ、非営利の活動だけでは持続可能性が低いなと感じていて、
営利活動もしっかり取り入れて、利益が出たらまちに還元する。
そんなまちにしていきたいなという思いがあり、合同会社を設立しました。

最初の頃は、行政から出てくるような小さな事業をちょこちょこ受けていて、2013年くらいから、箕面市の市営住宅の管理が、民間にアウトソーシングされるという話があって、
うちのまちには市営住宅が100戸以上あって、
そういうまちの特性も踏まえて、
「外部の人が管理するよりも、まちをよく知るメンバーが管理した方が住民にとってもいいんじゃないか」
「それが経済活動としてもまちの循環につながるんじゃないか」という話になりました。

それで、「会社で管理を受けてみよう」となったんですが、
会社としては経験が少なかったので、最初は外部の企業と組んで取り組みました。


〇“排除されてきた側”だからこそ誰も排除しない


もともと北芝は、差別の歴史がある地域なんです。
排除されてきた側なんですよね。と池谷さんはいいます。

だからこそ、「自分たちは人を排除する」ということに対して、
すごく強い抵抗感があるというか、人を攻撃したり、排除したりすることに対して、みんなすごく敏感なんです。
「それはなんとかしようよ」ってなる。

昔の話なんですけど、地域に知的障害のある子がいて、
その子が中学を卒業した後に行く場所がないってなった時、
まだ作業所がほとんどなかった時代に、
まちの人たちが「じゃあ、みんなでお金を出して作業所をつくろう」って言って、実際にその子のために作業所を1985年に立ち上げたんです。

その作業所は今でも運営されていて、続いています。

「その子が行く場所がないなら、まちでなんとかしようよ」って、みんなが動いた。
それだけのことなんですけど、そういう感覚が、まちのベースにあるんですよね。

これはうちだけじゃなくて、他の障害者支援の事業をやっているところの話を聞いても、やっぱりそういうきっかけってあるんです。
そういうベースがあるところが、今もちゃんと生き残っている。

これって、たぶんどこのまちにも本当はあるはずだし、昔はあったんです。

ただ、「めんどくさいからやめちゃった」だけなんですよ。
本当は、やったらいいんです。そんなに難しいことじゃなくて、やったらいいだけなんです。


■最後に


最後までありがとうございました。

長年活動してきたからこそ、変化を言語化した時に、
「めんどくさいからやめちゃっただけ」言葉になったのだと思うのですが、
この「だけ」でやめたことがかなり大きなことだな〜と考えさせられました。
安心、信頼、つながり、希望みたいなものが、便利なものに変換されていったのだなと思うと、サービスと昔ながらのつながりをどちらもあるのは土台がしっかりした地域になるなーなんて考えておりました。

次回は働くことで関係性を育てるお話しです!
次回も見てもらえると嬉しいです😊