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ベーコンはカリカリ派だったおじいちゃんの3周忌によせて

わたしのおじいちゃんが亡くなって今月で2年になる。

悲しいかな、2年も経つと、おじいちゃんがどんな顔をしていて、どんな声でわたしに話しかけてくれたか、だんだん記憶が薄れてきているのを感じる。

だから、少しでも記憶が鮮明なうちにおじいちゃんにまつわる思い出をここに記録しておこうと思う。

わたしの中でおじいちゃんと言えばカリカリのベーコンだ。
子どもの頃、祖父母の家にお泊りすると、おじいちゃんは必ず朝食を作ってくれた。
メニューはいつでもトーストに目玉焼き、ベーコン、サラダ、コーヒー牛乳。

背が高かったから、レンジフードの角に時折頭をぶつけながらベーコンをカリッカリ(というかほぼ干からびてるのに近い)に焼くのがおじいちゃんのこだわりだった。
その影響かはわからないけど、わたしもベーコンはカリカリ派である。

おじいちゃんは昭和初期の生まれだけどパソコンやスマホ、デジカメを使いこなしているクレバーな人だった。

亡くなる数日前まで、生まれてから2023年くらいまでの自分史をWordでまとめていたことが判明し、生まれた日や結婚した日、子どもや孫が生まれた日などのビッグイベントだけでなく、「小学校の遠足で○○君と一緒になんとか山に登った」とか、「戦争の影響で○○県のどこそこ(詳細な住所付き)に疎開した」とかの日常の出来事についても事細かに記録されていた。
(おまけに、話した覚えがないのにわたしの就職先や転職時期についても記されており驚いた。)

おじいちゃんは物静かで自分の昔話をベラベラ話すタイプではなかったからほとんどが初耳の内容で、今更後悔しても遅いんだけど、もっと昔の話を聞いておくんだった。

おじいちゃんは長年、合唱クラブに所属しており、日々活動にいそしんでいた。
中学生くらいの時、1度だけ父と二人で発表会を見に行ったことがある。最初は「おじいちゃんスタイル良いな~」とか思いつつ頑張って聴いていたのだが、オールドイツ語の歌が続き、うっかり親子そろって眠りに落ちてしまった。

大きい会場でたくさん人がいたからおじいちゃんは多分気づいていないと思うし、わざわざ言うことでもないから打ち明けずじまいだった。
おじいちゃん、あの時はごめんね。

コロナ禍のとき、わたしは地方在住だったため、コロナの感染が怖くて丸2年間、関東にいる実家の家族や祖父母に会うことができなかった。

わたしは会えない間に祖父母が亡くなってしまったらどうしよう、ということをずっと恐れていたので、少し行動制限が緩和されて、やっと帰省できた時は心底ほっとした。

でも、これはわたしの悪い癖なのだが、ずっと会いたかったことを祖父母に伝えるのがこっぱずかしくて、せっかく会えたのにスンとした態度をとってしまった。

なので今更ながらここに書く。
待ち合わせ場所の横浜駅で出迎えてくれた時、マスク越しでもわかるくらい嬉しそうに駆け寄ってきてくれて、わたしも嬉しかった。意外と柄の入ったかわいいマスクが似合っていたね。
素直に気持ちを伝えられなくてごめんなさい。

おじいちゃんが亡くなった時、斎場の予約状況か何かの影響で、葬儀まで1週間くらい時間が空いた。
その間、斎場に安置されている故人との面会が可能だったので、わたしはこっそり1人でおじいちゃんに会いに行くことにした。

なぜ1人かというと、わたしは家族の前で感情を出すのが苦手で、葬儀の際に人目をはばからず泣いたり、最後にメッセージを伝えたりすることはできなさそうだったからだ。

(結果的にこの判断は正解だった。当時のわたしグッジョブ。)

面会室で対面したおじいちゃんは、正直「こんな顔だったっけ?」って思った。
そして、第六感は持ち合わせていないものの、故人と同じ空間にいたら何かしら感じるものがあるのでは?と少し期待していたけど、完全なる「無」。
数日前までおじいちゃんだったものが横たわっているだけで、おじいちゃんはもういなかった。
2人いるのに1人ぼっちで変な感覚だった。

とはいえ、最後に誰にも邪魔されずにお礼を伝えることができたことはわたしにとって救いになった。

おじいちゃんが亡くなってすぐのおばあちゃんは目に見えて痩せてしまい、心配していたのだが、人生初の一人暮らしも板についてきて、最近は生きる気満々(母談)らしい。
おじいちゃんも安心してくれているといいな。

ビールをちょっと飲んだだけで顔が真っ赤になっちゃうおじいちゃんが懐かしい。
わたしがお酒のおいしさに目覚めるのがもう少し早ければ一緒にお酒を飲めたのかな。

また会いたいな。


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