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祭ばやしが聞こえた

小学校の同級生は、5人だった。ちなみに女子だけ。
全校生徒でも50人ちょっと。ぎりぎりなんとか1学年1教室ではあったが、かなり限界を感じる数字である。今、小学校自体はまだ存在するが、周りの何校かが廃校して、合併してまだ名前が残っている、といった具合。通っていた中学校は、数年前廃校してしまった。

そんな田舎でも、更に地域がいくつかに分かれ、私が小さい頃はまだ、それぞれでお祭りをしていた。田んぼに囲まれた地域なので、収穫祭の秋祭り。
小学校全体でそんな様子なので、地域の子どもとなると小中高合わせても10人に満たない。それでも子どもたちは、お祭りで太鼓を叩く役目を任される。
毎年お祭りの時期になると、地域の集会場で太鼓の練習があった。どのくらいの頻度でやっていたか忘れてしまったけど、週2〜3回集まってたんじゃないかな。
小太鼓が3台、大太鼓が1台。笛は吹ける人が吹く。得意なおじさんが2人いて、その2人が中心になって太鼓を教えてくれた。子どもたちは年齢も様々なので、簡単な曲を小さい子が練習する。曲は全部で4曲程度だった、と思う。
中でもちょっと難しい曲があって、それは年上のお姉さんお兄さんが叩く。それでもうまくいかなくて、教えてくれるおじさんとこの高校生くらいのお姉さんが上手で、結局そのお姉さんが最後ひとり残って終わる、みたいなことがよくあった。私にも叩いてみるか?と声がかかった時は、ちょっぴりお姉さんになった気分で、むず痒く嬉しかった。
当日はみんなで半被を着て、おじさんたちがお神輿担いで、子どもたちは山車を引く。ところどころの広場や庭に停まって、山車に乗った太鼓を叩く。大太鼓は大体酔っ払いのおじさんが叩いたけど、ちょっと叩いてみたこともあった。笛は結局、やらずじまいだった。
子どもはすでに少なかったけど、大人だってそんなに多くない。そして、みんな歳をとる。子どもがもっと少なくなってお囃子をやめて、大人たちが歳取ってお神輿を神社から降ろすのが危ないから、お祭りもやめてもうしばらく経つ。集会場に集まってお酒飲むくらいしてたみたいだけど、今はどうなのかな。太鼓を教えてくれてたおじさん、ひとりは何年か前に亡くなった。

大変だったと思う、何ヶ月も前から準備して、毎年当番で雑務をこなし、当日はみんなで協力して料理や酒を準備して。全員の顔も名前も知っている同士だからこそ、いろいろあったんじゃないかな。でも私は、子どもの頃「地域のお祭り」があって、日本の祭りの音、お囃子の音の中にいられたこと、幸運だなと思う。今でもばちを渡されて、はじめっぺよーって笛の音が聞こえたら、いくらか叩けると思うんだ。

20世紀前半のスイスで活躍した画家、カール・ヴァルザー。ヴァルザーは1908年、小説家のケラーマンと共に日本を訪れる。とりわけ気に入り長く滞在したのが京都の宮津で、4月下旬から夏の終わりまでいたようだ。初夏の葵祭、山王祭、夏の灯籠流し。ヴァルザーのスケッチと後日つくられた作品が、その景色を伝えてくれる。異国の文化という新鮮な視点もあっただろうが、むしろだからこそそこには、純粋な風景が描かれているように感じる。
展覧会で用意された、現在の宮津の祭りの映像を最初から最後まで見た。こんなに立派なもんじゃないけれど、日本の祭りが私にも「原風景」としてあって幸せだなと、ふと思う。

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