未解決事件の被害者遺族の話
平成26年、母方の祖父を失った。
祖父はお喋りな人だった。
誰にでも気さくに色んな話をする人だった。
当時の私は学生だった。
母と父と妹と4人で暮らしていた。
深夜、珍しく家の電話が鳴る。
母が電話を取ると、警察だった。
祖父が亡くなったかもしれないから、確認してほしいと。
家族みんな信じられなかった。
眠気なんて吹き飛んで、
不安が押し寄せたと同時に、
これは夢なのでは?と現実逃避していた。
まだ未成年だった私は、
当時ほとんど詳細を教えてもらえなかったが、
祖父が殺されたことだけは理解していた。
祖父のお葬式でどこから聞きつけたのか、
カメラやマイクを持った大人が式場の周りに現れる。
制服を着た私たちに、
「お孫さんですか?」
「犯人は見つかりましたか?」
私たちは祖父が殺されたことに動揺していた。
祖父が殺されたばかりの子供に取材をしようと試みる薄汚い大人たちに軽蔑し、
目も合わせずに歩き続けた。
お葬式で亡くなってから初めて祖父の顔をみた。
頭を殴られ血まみれで死んだ祖父。
棺の中で眠る祖父は、
死装束を着て
綺麗に死化粧を施されていたが、
くっつけられた皮膚が痛々しかった。
なぜこんなになるまで暴力を振るえるのか。
理解など到底できなかった。
地元のコンビニでバイトをしていた。
オーナーは時々祖父と同じ店で飲んでいたので
祖父のことを知っていた。
出勤すると、オーナーの第一声が、
「事件は解決した?」
「犯人は捕まりそう?」
事件に対する興味が前面に溢れ出ていた。
私のメンタルの心配はしてくれないんだ。
「知りません。」
私はバイトを辞めた。
ある日、犯人は捕まった。
祖父が定期的に会うような関係性の人だった。
ほっとした。
これで祖父は少しでも報われたんじゃないか。
家族みんなで泣きながら喜んだ。
警察はたくさんのミスを犯した。
捜査資料を紛失した。
初動がとても遅かった。
物的証拠をすぐに探せなかった。
証拠不十分で不起訴となった。
釈放である。
不起訴となってから数ヶ月後、
商店街を歩いていた時、
ふと自転車に乗った男の顔を見た。
不起訴となった人物だった。
何食わぬ顔で、商店街を自転車で通り抜ける。
あいつはもう平然と商店街を通れるんだ。
絶句した。
と同時に強い殺意が湧いた。
「今ここで殺せば祖父は報われるんじゃないか。」と。
その気持ちとは反面に、
私たちのような被害者遺族を増やしてはならない。
あの人が死んで悲しむ人がいるかもしれない。
そう思い、深く深呼吸した。
自転車に乗った男は、
私の横をすーっと過ぎ去っていった。
高校生だった私は
自分の気持ちに蓋をした。
幸か不幸か
私の祖父が殺されたことを知る人は少なかった。
祖父のことを周囲から聞かれることはなく、
平穏な日々を過ごした。
その一方で、
だれにも相談できずに、
抱え込んだ。
毎晩夢で見た。
祖父が殺されるシーン。
私は見てはいないのに。
頭が勝手に妄想を沸き立てる。
祖父を助けれなかったこと、
何度も頭の中で繰り返した。
祖父の事件は、家族の話題に一切あがらなかった。
みんな苦しんでいた。
私より苦しんでいるかもしれない家族に
私の苦しみを訴えかけることなど出来なかった。
当時は今ほど情報に溢れておらず、
どこに助けを求めたら良いのか、
この気持ちを人に打ち明けても良いのか、
高校生の私には分からなかった。
醜い殺意と永遠と繰り返す後悔に心を苛まれ
私は大人になった。
事件が起きてから12年を迎える。
私の壊れた心も、
色褪せたこの事件も、
未解決のままである。
あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございます。
このお話は当時高校生だった私の実話となります。
今覚えている内容や当時の日記をもとにnoteにまとめてみました。
今でも助けられなかった自責の念に駆られ、
精神的におかしくなることはありますが、
愛する夫と犬に支えられ、なんとか生きております。
これを読んでくださった方に伝えたかったのは、
残された被害者遺族は、平穏な日々を取り戻しても、死ぬまでずっと苦しみ続けるということです。
そして、もしも貴方が被害者遺族になってしまったら、必ずメンタル面で手厚いサポートを受けてください。
「大丈夫」と思っていても、あなたの心は深く傷ついています。
自力でサポートを受けれない家族がいるなら、サポートを受けれるようにしてあげてください。
それは小さな子供であってもです。
被害者遺族の抱える大きな傷を少しでも和らげて、平穏な日々を安らかに過ごせるように願っています。
世界が平和になることを祈っています。
完読、ありがとうございました。
