薬屋店主がアルコール依存症の境界線になるまで──泣きながら歩いた少女の600メートル、その先。
これは、誰にも言えなかった暗闇の話。
600メートルの恐怖の中で、「死」を願った少女が、
35年後、薬屋の店主になって、
自分の脳を救い出していくまでの物語。
もし今、あなたが絶望の中にいるなら、
どうかこの600メートルを、一緒に歩いてください。
最後には、私自身の経験をもとに作った
**「お酒との距離チェック」**も載せています。
今のあなたとお酒の関係を、責めずに確認するきっかけにしてもらえたら嬉しいです。
「酒買いに行って来い!!!」
子どもの頃。
そう言われて、街灯もない暗闇の田舎道を歩いたことがあります。
涙をこらえながら、
私は暗闇の600メートルを「散歩」しました。
小さな女の子は、泣きながら歩き続けるしかありませんでした。
流れる涙を隠すように、口ずさんでいたのは『さんぽ』。
あの歌だけが、恐怖の夜に私を守ってくれました。
今でも、苦しいときに口ずさむことがあります。
私にとって、あの歌は唯一の小さな光でした。
▪️ お弁当の思い出
子どもの頃のお話です。
父と2人の生活。
朝起きたら、
父が仕事に持って行く
お弁当づくりです。
女手のない生活だったので、
お弁当の作り方もわからず、
とにかく
「米を詰めただけの弁当」を
毎日作って持たせていました。
それは『米8割、おかず2割』
という、
今思えば米ばかりの重量のある弁当を、
毎日父に持たせていたのでした。
ただ父は、
お弁当さえ持たせてあげれば、
中身に文句を言うことはなく、
いつも重たい弁当箱を持って、
仕事に出掛けてくれていたのでした。
▪️ 全校生徒 対 1
父が出勤してからの私は、
自分も適当に朝ご飯を食べ、
学校に行く。
学校に行っても勉強も分からず、
友達もいなかった。
ただ毎日無事に1日が終わることを願っている
ばかりでした。
学校が終わり、
帰り道
1人で石ころをコロコロと蹴りながら
家に帰る。
そんな私の後ろ姿を見つけ、
男の子たちの声がする。
「あっ、あいつがおる」
「なんか臭いと思ったーー」
次の瞬間、
後ろからおもむろにランドセルを掴まれ、
前後に激しく揺さぶられ、
身体と共に
地面に叩きつけられる。
誰にも見つかりたくなかった。
1人にして欲しかった。
でも、
不思議と涙は出なかった。
家庭環境が複雑で、貧乏な私は、
恰好のいじめの対象になった。
田舎だったので、
『全校生徒 対 1人』
という状況でした。
▪️ 私には自由がない
家に帰ると玄関前には
洗濯の山。
洗濯物を済ましておかなければ、
明日父が仕事で履いていく靴下がありません。
そうなると、
父の怒りの導火線に火をつけるので、
殴られる。
絶対にそれだけは避けたい私は、
洗濯を始める。
また、
お風呂は薪で沸かしていたので、
夕方には火を付けないと
父の帰宅時間に間に合わない。
買い物に、
晩御飯づくり。
学校から帰っても、
私には休まる時間は
1秒たりともありませんでした。
▪️ 父との団欒
父が帰宅後は、
晩御飯です。
毎日500mlの缶ビール3本。
それをいつも
夕方の買い物の時に買って帰ることを
父に言われていました。
夕方の買い物の時は
ビールを忘れずに買いました。
19時には、
2人で晩御飯。
冷えたお惣菜と、
野菜入りの袋ラーメン。
そんなさみしい食卓でしたが、
父と話せる時間が、
私は大好きでした。
父は
「今日の新聞を持って来い」と言い、
毎日新聞の一面を、
自分の前で朗読するように
言いました。
読み間違えても、怒られる訳ではなく、
面白おかしく、
沢山の言葉を教えてくれました。
そんな時間が、子どもの頃の私にとって
とても楽しい時間で、
そんな父が大好きでした。
▪️ 「恐怖の20時30分」
そんな大好きな父は、
ほぼ毎日20時30分を過ぎると
こう言います。
「酒がなくなった。酒買いに行って来い。」
私が住んでいた場所は、
街灯もないような
田舎です。
21時前の道なんて、
人も通りません。
私は子どもの頃から
異常な『怖がり』だったため、
「行きたくない」と伝えると、
「ええけ、酒買いに行って来い!!」
と、父の声に圧がかかる。
反対に私の声は
弱まる・・
「だって遠いし怖いんじゃもん・・」
「なにが怖いんな?
すぐ近くじゃないか!
ええけ買いに行ってこい!!!」
私は父の圧力に負け、
玄関を出る。
なぜ分かってもらえないのか?
なぜ自分だけが
こんな目に遭わないといけないのか?
そんな思いを
口にする事も出来ず、
ただ泣きながら
玄関を出るしかありませんでした。
▪️ 暗闇の600メートル
暗闇の恐怖の道のりを、
地図アプリで調べてみたら
『600m』でした。
今見れば、たった600m。
父があの時言った
「すぐ近く」は、
真実でした。
しかし、
その近くの道のりは、
行ったら帰らないといけない。
実は、
全く短くない道のりでした。
まだ小さかった私には、
暗闇の1200mは、
「いつ自分の命がなくなるか分からない」
といった恐怖で包まれていました。
田舎の夜です。
光はない、
音もない、
人もいない。
そんな細道を600m歩いて、
父が飲むビールの自動販売機まで、
歩くのです。
気を抜いたら、
涙が出る。
とにかく
恐怖心しかない。
小走りで駆け抜けたり、
ゆっくり歩いてみたり。
周りをキョロキョロと警戒してみたり。
そんな時、
いつも口ずさんでいた歌が
「さんぽ」でした。
あるこ・・あるこ わたしはげんき・・
あるくのだいすき・・
どんどんいこお・・・・・・
とにかく
ビールを持って帰らないと
殴られる。
弱々しい「さんぽ」を歌いながら、
ビールを買って
急いで家に帰る。
大人になった今も、
しんどい時
この「さんぽ」を口づさんでいる事を、
記事を書きながら気付いた。
そんな歌である。
平成初期のお話です。
子どもでも、酒が買えた。
そんな時代でした。
▪️ 私の頑張りは泡と共に消える
私は恐怖の戦いをくぐり抜け、
500mlの缶ビール2本を持って
走って家に帰る。
父は
「よくやった」と
言わんばかりに笑顔になる。
そこから、30分足らずで
父は涙の結晶のビールを飲み干し、
トイレへ向かう。
そう、
全て吐き出すのだ。
トイレから聞こえてくる
吐いている声。
あそこまで怒られて、
頑張って手に入れたビールを
吐かれる虚しさ。
「吐くぐらいなら飲まにゃええのに。」
そんなことは口が裂けても
言えなかった。
私は自分が、
どんだけ頑張っても報われない事がある事を
父を通して学びました。
▪️ あの頃弱者だった私が誰かに光を届ける
父が吐く音を聞きながら、
私は学んだ。
どんなに努力しても
報われない時があることを。
自分の人生なんて
報われない事だらけだという事を。
幼いながらに
自分の産まれてきた意味を模索するも、
答えは分からずにいました。
「生きていても死んでもいっしょ」
ずっとそう感じていました。
私にとって生きるとは、
消えてなくなる事と同じくらい
苦しい事と感じていました。
自分の逃げ場もない、
助けてくれる人もいない。
ただ、目の前に出された課題を
コツコツとこなしていくだけ。
明るい未来の予測も
希望の光もクソもない。
そんな子ども時代でした。
でも、あの暗闇の600メートルを、
「さんぽ」を歌いながら走り抜けた私は、
今、ここにいます。
35年経って気づきました。
あの時、
恐怖で震えながら歌った「さんぽ」は、
私の脳が生き延びるために選んだ、
「精一杯の自己防衛」だったという事を。
もし今、
あなたがあの頃の私のように
「暗闇」の中にいるなら。
頑張っても、
自分が産まれてきた意味が分からずに
涙を流すなら。
歯を食いしばって生き続けた私が
今度はあなたに光を見せたい。
暗闇の600メートルの道のりを、
もう一人で歩かなくていいように。
――――――――――――――――
でも、正直に告白します。
あの日から35年。
薬屋の店主になり、
「脳ケア」を発信する立場になった私は、
本当にちゃんと、
自分の脳を救い出せていたのでしょうか。
答えは──いいえ、でした。
なぜ「頑張り」だけでは治らなかったのか
このように幼少時から歯を食いしばり、
頑張り続けた私の脳は、
『生きるという事は自分の優先順位を落とし、
他者に尽くす事』
そう学びました。
子供の頃から父に言われてた言葉。
「ワレが我慢しときゃええんじゃ」
それを忠実に守って生きてきました。
どんなに自分を蔑ろにされようが、
どんなに裏切られようが、
どんなに嫌なことがあろうが、
友達だろうが、恋愛関係だろうが、
いつも
「いいよ」と答えてきました。
腹の奥から湧いて出る感情を
何度も押し込み、
いつの日からか、
その腹の奥から出てくる感情を引っ込めると
丸い物体がお腹の中に引っ込んでいくような感覚が見えるようになりました。
私の口から出てくる言葉はとても綺麗で
良い人で、
自分が我慢をすることが『美しい』ことのように感じるようになりました。
そんな私が、
唯一自分を取り戻せれる時間がありました。
それは「酒」を飲んでいる時間。
この時間だけは等身大の自分で居られる。
そして、嫌なことは全て忘れられる。
合法なんだから、みんなも飲んでいるのだから
何も悪いことはない・・
酒だけが、私を救う。
酒だけが私を孤独から救い、
本当の自分で居させてくれる。
自分の人としての我慢や頑張りが、
のちの自身を苦しめる事になろうとは
思いもしていませんでした。
唯一の逃げ場だった「酒」
子どもの頃、家庭にも学校にも、
私の居場所はなかった。
家に帰れば父の顔色をうかがい、
学校に行けばいじめられる。
どこにいても、
本当の自分でいられる場所がなかった。
今でも、
1人がこわい。
あの頃から私は、
「独りぼっちにされること」
を何よりも恐れてきたのだと思う。
15歳から酒の魅力に取り憑かれた私は、
毎晩浴びるように酒を飲んだ。
「これはいっそ仕事にすればいい。」
そう思った私は15歳から水商売の世界で
働くこととなる。
昼は高校生。
夜は年齢を偽り、瓶ビールをラッパ飲みするような女だった。
とにかく、酒を飲めば楽しい。
そのうち
嫌なことがあっても
良いことがあっても
酒を飲む習慣がついてしまった。
それは日中何か出来事が起きた時点で
「あー今日は酒飲も」
と思うようになり、
一度酒を飲もうと頭をよぎったら、
絶対に飲んでしまうようになりました。
どんなに理由があろうとも
どんなに予定があろうとも
一度よぎった
「酒を飲も」は消えないのだ。
そして30歳を過ぎたあたりから私の脳は、
一定の飲酒量を超えると一切の記憶を残さないようになりました。
どんなに楽しい夜も、
悲しい夜も、
私の中には何も残らない。
自分が今いる場所や、
今が何時なのか、
そんな事すら分からなくなるまで
酒を飲むようになった。
そんな問題のある飲酒も、
一度や二度ではなかった。
若い頃は度数の低いお酒でも
美味しく飲めていたはずなのに、
気付けばだんだんと、
強いお酒でなければ、
満足できなくなっていった。
そして40歳を超えたあたりから、
急に大好きだったビールが美味しく感じなくなり、ハイボールを覚えた。
ハイボールの美味しさに気付いた私は、
ハイボールの量が一定量を過ぎると、
ウイスキーに手をつけ始める。
ロック氷を入れたどデカいグラスの中に
なみなみとウイスキーを注ぐ。
まともにかき混ぜることすらせず、
ウイスキーはグラスの中でメラメラと踊る。
気付つけば自分を落とし込むように、
きついお酒を煽るようになったのだ。
不思議なもので、
アルコールの入った飲み物はいくらでも美味しく感じるのに、
ノンアルコール飲料を口にすると、
どうしようもなくまずく感じてしまう。
これは、味覚の問題ではないのだ。
私の脳が「酔うこと」=快楽
そのものを求めているのだ。
その頃からか酔うと
私の中の『もう1人の自分』が顔を出し、
暴れ出すようになる。
そう、
日頃、言いたくても我慢で押し殺した
言葉や感情が、
堰を切ったように溢れ出し、
私は酔うと暴れるようになった。
▪️ 「もう1人の自分」が壊したもの
思い返せば私は、
過去にお付き合いをした男性と
うまくいったことがなかった。
そのため、40を過ぎた今でも、
1人なのである。
ある時、大好きな人が出来た。
彼は、昔からの知り合いで、
仲良くなるには時間は掛からなかった。
彼と時間を共にするようになり、
ある日飲み過ぎてしまった私がいた。
私は、彼の前でもう1人の自分を
出してしまったのだ。
そう、この時の私は
おそらく幼少期の自分を出し、
いきなり彼の前で
泣き叫んだ。
きっと彼は、なぜ私が泣き崩れたかも
理解できないまま、
それでも優しく私をなだめてくれたのだろう。
私の脳はこれで学んでしまった。
「私にとって彼は安全な場所」
そう学んだ私の脳は、
この日から彼に会いたいと思うと
酒を飲むようになり、
一定の飲酒量を超えると
彼に向かって、
日頃押さえてた言葉たちを
投げつけるようになった。
テーブルの上のものを払い上げ、
彼の元から逃げるような発言を
繰り返すようになっていったのだ。
ひどい時は、
彼の車の助手席に座っていても、
彼の車から飛び出し、
逃げ、
車も入れないような狭い路地に逃げ込み、
隠れるために座り込み、
そのまま寝落ちしてしまうような事も
起こすようになった。
そして翌日目が覚めると、
何か起きたであろう雰囲気を感じながらも、
事実を知ってしまう怖さと恥ずかしさから、
携帯すらさわれなくなってしまったのだ。
そして思い返せば、
過去お付き合いしてきた人たちのときも、
同じようなことを起こしていた事に、
薄々私は、気付いていた。
私は、何かがおかしい。
大好きな彼なのに、なぜか近づけない。
そしてなぜか、口から出てくる言葉は、
拒絶と別れの言葉ばかり。
大切な人のはずなのに、
なぜ私はその大切な人を
自分の手で苦しめてしまうのだろう・・
▪️ 「もう自分では制御できない」と気づいた日
大切な彼を私の手で
苦しめたりしないように。
そして、今後私自身が幸せになるために、
病院に行く事にした。
「もう私は自分で自分を制御できない。」
自分でなんでもできると思っていた私が、
自分を制御できないと感じて、
もう自分でどうにかするのは限界なんだと
感じ、病院の受診を決めたのでした。
▪️ 診察室で聞かれた、たった一つの質問
初めて病院にいった日、
私は担当の先生にこう話しかけられた。
「子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?」
その言葉を聞いた瞬間、涙が流れた。
辛いとか、苦しいという感情はない。
ただ、涙が溢れた。
てんかんの父のヤングケアラーをしていたこと。
父が打ちに行くパチンコのために、
近所の人に「お父さんが調子が悪い」と
嘘を言ってお金を借りにいってたこと。
学校では家庭環境があったのもあって、
いじめられていたこと。
全校生徒 対 1人をしていたこと。
とにかく全てを話した。
この44歳までの道のりを
全て話しました。
そして、私は先生に聞きました。
「先生、うちの脳は壊れとん?」
先生は困ったように微笑み、
ゆっくりと頷きました。
診断の結果は、「アルコール依存症の境界線」。
病院の先生はこう言いました。
「普通の人は1つの出来事で、
追い詰められて命を落としてしまう人もいる。
例えばね、離婚とかね。
その1つのことだけで、
生きていけなくなる人もいるの。
それなのにあなたは、
お父さんのこと、
子供さんのこと、
お店のこと、
他人のこと、
1人の肩にたくさんの責任をのせて
生きてきたでしょう。
よく死なずにここまで来てくれましたね。
ありがとう。」
と。
私は44年間、この生き方が普通だったので、
こんなことで人って死ぬんだなと、
そして、自分の生きてきた過程が普通ではなく、
壮絶でいつ自ら命を絶ってもおかしくないところにいたんだなという事に、
初めて気づいたのでした。
今ならまだ、人生やり直せれる。
だから、一緒に少しづつやっていきましょう
先生の言葉に光が見えました。
私が色々な話をするうちに、
先生に
「あなた発達障害の勉強してるね?」
と言われました。
「はい、職業柄」
と答えると、
「なら投薬は嫌よね?」
と先生。
私は、身近な人が投薬で壊れたのを
見た経験があったので、
正直に「投薬は嫌です」と話しました。
投薬は一度検討し、
診察と認定心理士による心理テストをうけ、
弱点や強み、思考の癖などを叩き出し、
そこから正しい脳の使い方が出来るように
カウンセリングをしていきましょう。
との事でした。
私は、藁にもすがる思いで
「お願いします」と頭を下げた。
もしかしたら私の人生、
これから変えれるかもしれない。
そんな希望が見えた日でした。
▪️ 今、私が回復のために続けていること
「もしかしたら私の人生、これから変えれるかもしれない」
そう思った日から、私は少しずつ、
自分との付き合い方を変えていきました。
特別なことは、何もしていません。
ただ、毎日続けられる小さなことを、
淡々と積み重ねているだけです。
読んでくださっているあなたにも、
明日から一つでも
真似してもらえたら嬉しいので、
今実際にやっていることを、
正直に書き出してみます。
お酒との付き合い方
飲酒の記録を毎日つける(量や気分も一緒に)
夕方以降、空腹にさせない
どうしても飲みたくなったら、コーラやジンジャエールで糖分を補給する。
アイスでもいい
酒が飲みたくなったら、ドライブに行く (運転をする。他県に行ったりもします。)
自分を暇にさせない
脳と心のケア
疲れ切ってしまう前に、仕事を切り上げる
自分の気持ちは、素直に伝えるようにする
気持ちに嘘をつかない
孤独にならない。寂しい感情を、放置しない
安心できる環境をつくる
病院やカウンセラーの人と、積極的につながっておく
そこで安心感を得ること
そして、安心できる自分の居場所を、少しずつ増やしていくこと
どれも、意志の力で我慢するためのルールでは ありません。
むしろ逆で、「我慢しなくていい状態」を先につくっておくための工夫です。
我慢が得意だった私だからこそ、
我慢に頼らない仕組みを、日々更新しています。
▪️ あの日の少女に、そして今のあなたに
600メートルの暗闇を、
泣きながら「さんぽ」を歌って歩いた少女は、 44歳になっても、
まだ同じように
歯を食いしばって歩いていました。
我慢することが美しいと信じ、
酒だけが自分を救うと信じ、
大切な人すら自分の手で傷つけてしまうほど、
本当は誰よりも助けを求めていたのだと思います。
でも、「もう自分では制御できない」と
認めたあの日から、
少しずつ、少しずつ、
本当の意味で歩き方を変え始めています。
もしあなたが今、
「頑張っているのに、なぜか苦しい」
「誰かを大切に思うほど、うまくいかない」
「自分を保つために、何かに頼りすぎている」
と感じているなら。
それは、あなたの意志が弱いからではありません。
幼い頃の私と同じように、
脳が生き延びるために選んだ、
精一杯の防衛反応かもしれません。
自分を責める前に、
まずはその頑張りを認めてあげてくださいね。
そして、一人で抱え込まずに、
専門家でも、信頼できる人でも構いません、
「もう自分では制御できない」と
声に出してみてください。
その一言が、
あなたの人生を変える最初の600メートルに
なるかもしれません。
【特典】
あなたと、お酒との「今の距離」チェック
ここまで読んでくださって、
本当にありがとうございます。
この記事を最後まで読んでくださった方への特典として、
「頑張りすぎ」から始まる、
お酒との距離チェックをご用意しました。
医学的な指標と、私自身が実際に経験してきた
ことをもとにした22の質問で、
あなたの脳と心の「今」を、責めずにそっと確認するものです。
匿名で答えられ、記録も残りません。
診断ではなく、気づきのきっかけとして
使っていただけたら嬉しいです。
チェックが終わったら、
結果を教えてくれたら嬉しいです☺️
下の公式LINEで、私あおいが直接お話をお聞きします。
ひとりで抱え込まなくて大丈夫ですよ。
一緒に頑張りましょう🥰
▶ 公式LINEはこちら:https://page.line.me/454fvvay
最後に、皆さんへ
この記事は、私の人生で一番人には話したくなかった部分です。
それでも書こうと思えたのは、
今もどこかで、あの日の私のように
600メートルを一人で歩いている人がいると思ったからです。
頑張り屋さんほど、
自分を責めやすいと思います。
でも、あなたが今こうして生きているだけで、
すでに十分頑張っています。
どうか、あなた自身を、
あなた一番の味方でいてあげてください。
私も、薬屋の店主としてではなく、
一人の人間として、
これからもあなたの隣で、
この道を一緒に歩いていきたいです。
記事を読んでいただき、
ありがとうございました。
この記事が、少しでもあなたの心を動かしたなら、下の「スキ♡」を押して教えてください🙇♀️
その一回が、私が暗闇を生き抜いた意味になり、
明日も誰かに「脳を整えれば人生は再建できる」と伝えるための、大きな大きな勇気になります。
これからも、私の人生をかけて見つけた
「生きづらさをラクにする知恵」
を届けていきます。
フォローして、一緒に歩いてくれたら嬉しいです!
まっとるよー🤗
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んでくださり感謝いたします。不器用な両親のこと、ヤングケアラーだった過去。そして現在はシングルマザー。その失敗の全てを「武器」に変えて、今を生きる誰かの力になりたいと願っています。頂いたお気持ちは、発達障害などの 学びを深めるための教材費として大切に使わせていただきます。