異文化間の問題? about books no.13
『鴨川ランナー』
グレゴリー・ケズナジャット・著
講談社
「きみ」という二人称の文体を読みながら、ふと思い出した本があった。
『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』 ジェイ・マキナニー・著
日本語の場合「きみ」という語りは、少し引いた視点の印象を与える。
一人称はどこか告白めいて、自伝的な要素があるとコントロールが難しいかも知れない。
ここには、なぜきみが日本語に興味を持ち、どう日本語を学び、どんな方法で来日して、日本のどこで暮らし、何をして、何を見て、何に出会い、何に失望したのかが書かれている。
きみは今も日本にいる。
きみの感じる疎外感は異文化間の問題じゃないと思う。
きみは人に興味がないように感じた。
きみ以外の人たちは、みなアイコンのような印象だった。
言語は、言葉は人の意思や感情を伝え合うためのものだと思う。
知識や文化を共有するために不可欠なものだとも。
きみは誰かに自分の意思や感情を伝えただろうか?
日本語を話したいから、学んできたことを試したいから、それが理由でも構わないと思う。
きみを相手にしない人ももちろんいる。
ほとんどかも知れないけど、でも、十人中ひとりくらいは話を聞いてくれると思う。
もしそのひとりがきみの期待はずれだったとしても、懲りずに繰り返すくらいタフでいて欲しかった。
人との関係は、そんな煩わしさを避けて通れないものだから。
きみに影響を与えた人が二人だけ登場した。
一人は高校の外国語科目で日本語を教えていたマキノセンセイ。
マキノセンセイはマキノ先生から、牧野先生になった、だけ?
彼女はどんな人だったんだろう?
もう一人は大学院の富田先生。
彼はきみに大切なことを教えてくれた。
言葉の意味は後でいいから、文章を素直に感じてみてと。
彼はどんな人だったんだろう?
彼らでさえどこかぼんやりとしていて、他の登場人物はもっと曖昧に感じた。
きみは人に興味がないのかも知れない。
人を書くのが文学ではないだろうか?
だからきみの頭に『京都に帰りたい』という言葉が浮かんだとき、心底ほっとした。
やっと出会えた気がした。
血の通った生身の人間に、会えてよかった。
三年ぶりに訪れた京都で、ホテルのスタッフに伝えたくなった言葉を、口にして欲しかった。
