カメラは翻訳機──表現よりも拾うことに惹かれる
僕は、どうにもテーブルフォトが苦手だ。
照明を組む段階で気力が削られ、撮影する前から「もういいかな」と思ってしまう。
ライティングは、今の時代でもしっかり収入につながる“職人技”だ。スタジオでも屋外でも、人工光とフィルターを自在に操れる人は、やっぱり強い。
けれど僕は、その「手に職」を持っていない。
だから写真を撮るときは、結局いつも光そのものを読むしかない。そして光を観察することは、好きでさえあれば案外すぐ身につく。むしろ僕にとって致命的なのは、そもそも“自分の中のイメージを写真で表現したい”という欲求があまり強くないことだ。
その時その場所で何かを感じて、そのまま写し取れればそれで満足してしまう。
写真は、頭の中のイメージを外に出すための装置ではなく、外の世界の気配や情報を、自分の内部へ連れ帰るための「翻訳機」に近い。
たぶん僕は、表現者ではなく採集者なのだ。
ソンタグが語った意味での“世界をコレクションする人”。
写真を「つくる」よりも、「拾う」ことに魅力を感じてしまうタイプの人間なのだ。



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