名前のない、【noteでBL】
なみさんの主催されている企画に参加させて頂きました。
初参加です。よろしくお願い致します
【ジャンル】
叙情ホラー
【あらすじ】
しがない工場作業員のおれは、駅前のラーメン屋に行く途中、誰かが後ろにいた気がしてふと振り返った。誰もいない。ラーメン屋でバイトしている後輩の仁礼は、野菜嫌いのおれに頼んでもいない葱山盛りのラーメンを提供する。「野菜食えって言われてるんでしょ」訳がわからないおれは、仁礼の言う通りにもう一人の後輩・見城に会いに行く。見城が見せてくれたスケッチブックには、何も思い出せないのにひどく懐かしい青年の姿があった。
以下本文(3814字)
ふと、振り返るとそこにはあいつがいなかった。
笑い声がきこえた気がしたんだ。おれが転びかけたから。
両手をアウターのポケットにつっこみ、季節外れの雪が羽根に似て舞うシーグラスの青空、作者不詳の泥絵のような空を見上げていたから、歩道のタイルがぶっかけたとこにつま先をひっかけた。
がきん。
ジグソーパズルのピースが一個間違っていたみたいに、急に俺だけ抜き出されて世界が切り替わった気がした。おれはしばし、おれの他に歩行者のない、シャッターばかり並ぶ駅前通りに右から左に視線を巡らせた。奇妙な感覚は急速に薄れていく。耳を裂くように冷たい風がふいて、おれはぶるりと一度大きく震え、背中を丸めて歩行を再開した。
今年の雪解けはずいぶん早い。わだかまりのように凝って汚れた雪の塊が電信柱の影に落ちている。
この街にはラーメン屋が多すぎるが、おれがいつも行くのは駅前の塩ラーメンの店。百年前から変わらないのではないかという貫禄ある面構えの、カウンターしかない汚いとこだ。
赤い暖簾を潜ってガラス戸を開ける、入り口脇のいつもの席が空いていた。無言で座る。
「つしゃっせっ!」
厨房の暖簾を上げて顔だけ覗かせた仁礼は、客がおれだとわかるとそのままひっこんだ。おれの注文は味玉塩ラーメン一択なので注文を聞く必要がないのだ。仁礼は高校の後輩で、工芸大の現役合格を逃し、ラーメン屋でバイトをしながら予備校に通っている。
時刻は十一時ちょっと過ぎ。店が本格的に混み合う前の時間帯。こんな店でも正午頃には並んでたりするのだ。
セルフの水を取りに行き、両手にグラスを持ってきてしまったので首をひねった。おれは一人しかいないからお冷は二個いらない。戻すわけにもいかず、左の壁際にグラスをひとつ押しやる。なんとなく椅子を右にずらして座り、さも誰かがいるみたいなスペースを作った。隣の席のリーマンは急に距離を詰めてきたおれをちらっと見たが、何も言わなかった。仕事できなそう。
「先輩、お待たせしました」
金髪の仁礼はラーメン屋のバンダナスタイルがよく似合う。ヤンキーのパシリ感がにじみ出ている。
でん、と目の前に置かれたラーメンは麺が見えないくらい白髪葱が山になっていた。
「仁礼、葱めっちゃ多いけど、サービス?」
「は? いつも葱大盛じゃないすか」
「嫌がらせにはびみょーだな。葱はそんなに嫌いじゃないがまあまあ嫌いだ。野菜だからな」
「何言ってんすか? 先輩。野菜食えって言われてるから食わなきゃいけないんでしょ?」
「ンな事誰に言われんだよ。母ちゃん?」
「誰って……」
仁礼はおれの左側をちらっと見てから、拾えない捨て猫を見つけた時のようななさけない顔をした。
「……知らねっす」
「は?」
「今日の葱はサービスでいいすよ」
「は?」
仁礼はそれきり会計をする客に呼ばれて行ってしまい、入れ違いにぞろぞろ入ってきた客の注文を取ったらすぐ厨房に引っ込んでしまった。店の外には二人ばかり並んでいる奴もいる。混み合う店内で仁礼を呼びだす訳にもいかず、おれは葱山盛りのラーメンを汁まで完食した。
「先輩、見城のとこ行って下さい」
おれの会計対応をした仁礼は顔を伏せたまま、五十円をおれのてのひらに乗せ、言った。
「見城のとこ行けば、葱の秘密、わかります」
ドッキリを仕掛けんなら、もっと楽しそうにしろ。意味不明すぎる。
おれと仁礼と見城は同じ高校の美術部に所属していた。受験に失敗してしがない工場作業員になったおれと違い、見城は地元の美大に現役合格し、実家から電車で片道一時間の距離を毎日通っている。見城は実家が太くて、広い敷地の中には使われてないガレージがあり、そこを作品制作のために好きにできるのだ。
おれは見城の家に行くことにした。仁礼と見城が結託してドッキリをするなど、見城の性格上は考え難いが、話の座りが悪すぎる。
貴重な休日使ってくだんねえオチなら二人共デコピンだな。
ラーメン屋から歩く事十分、立派な門扉の玄関で顔なじみのお手伝いさんに挨拶し、おれは見城がいるガレージに向かった。半端に開いたガレージのシャッターをしゃがんで潜る。膠の独特な臭いが鼻孔を刺激した。でかいくしゃみを二発繰り出す。
「よお、見城」
見城は振り返らない。床置きした一五〇号のパネルに向き合っている。筆を動かす見城の横顔は神々しささえ感じさせ、一葉の宗教画みたいだった。こいつは絵が描けなくなったら死ぬんだろうか。おれには一度も見えなかったが神様が見城には見えているのかもしれない。
ぼさぼさ頭の見城の背後にまわり、製作途中の絵を覗きこんだ。
青い絵だった。様々な色調の青い長方形の枠が、らせん状にいくつも折り重なっている。階段のようにも見えるし、窓にも穴にも見える。背景は黒によく似た深い青。
奈落の絵だと思った。
「そう見えますか」
口に出してしまったらしい。ダサい黒ぶちメガネの見城がおれを見上げていた。
「見城、眼鏡に顔料ついてっけど、それ見えてんの」
長時間同じ姿勢をしていたのだろう見城は、絵皿に膝をぶつけながらガタピシ立ち上がり、ジャージの膝に濃い青の顔料を転々と飛ばした。老人のような前傾姿勢のまま歩きだして、壁際の棚からスケッチブックを引き抜き、画集やしわくちゃの紙束の雪崩を起こして床にぶちまけた。こいつは絵を描く以外がてんでダメなのだ。
「おい、見城」
見城は取り出したスケッチブックをぱらぱらめくったかと思えば雪崩の上に捨て、棚の隣に設置している小さな冷蔵庫を開けた。何故かスケッチブックが入っている。
「なんで?」
「膠と一緒に仕舞いました」
「年々ひどくなってない? お前」
見城は無言でおれの胸にスケッチブックを押し付けた。
「どうぞ」
流れでスケッチブックを受け取ったおれの頭上にクエスチョンマークでも見えたのか、見城はめんどくさそうに続けた。
「仁礼から連絡を貰いました。答え合わせです」
ぶっきらぼうな物言いだが、見城に悪気はない。相手が誰でも人と会話するのが嫌なのだ。
「先輩のスケッチブック」
馬鹿にでかい音が耳の中で鳴っていると思ったら、おれの鼓動だった。
スケッチブックを持つ手がおもしろいくらい震えている。
「……笑えない冗談だな。おれは絵を辞めたんだ。知ってるだろ?」
「家では描けないからって、ここにスケッチブック置いて、毎週描きに来ていました。去年の十月から……本当に覚えていないんですね」
「嘘だ、描ける訳ない」
「くだらない。受験に失敗したくらいで描けなくなるってなんですか」
「っおれはお前とは違うんだよ!」
「はい。俺は描けるのに描かない奴の気持ちなんてわからない」
「お前、ホントさあ」
仮にも先輩に対してそれ言っちゃうってどうなの。見城の傍若無人っぷりは尊敬の域にある。
「でも、結局、先輩はまた描いたじゃないですか」
ささくれだった見城の指が、おれの抱えるスケッチブックを指差した。
「先輩に憑りついていた幽霊」
「……笑えねえ」
「笑うかどうかは、見てから言ったらいい。怖いんですか」
「はは、くっそ生意気な」
びびっている訳じゃない。こんなのなんでもない。スケッチブックの表紙に指をかける。右上がりの筆記体は確かにおれの字でおれの名前だ。でも全く覚えていない。
「元々いないものだから、幽霊は成仏する時、記憶も一緒に持っていくらしいですよ」
「誰の受け売りだよ」
「怖いなら辞めていいです」
今日の見城はやけに好戦的である。完全におれを舐め腐っている態度に、おれの手は反射でスケッチブックを開いた。
二十代後半くらいのとりたてて特徴のない男だった。モスグリーンのセーターにベージュのシャツ、前髪がやや長めの茶色がかった髪は地毛だろう。緊張がにじむ横顔は何か言いたげなようにも何も言わんとしているようにも見える。右の目尻に小さな黒子があった。
証明写真のように、ぎこちない正面からの顔。目線が泳いでいる。
後ろ姿はやたらに姿勢がいいが、シャツの裾が半分はみ出していた。
次のページは地面に伸びて昼寝している猫を眺める男。猫の尻尾に延ばした所在なげな指先が透けている。
ラーメン屋のカウンター。触れない水のグラスに手を添えて、微笑むと右の頬にえくぼができる。
何がおかしいのか手を叩いて大口を開けて笑う男の目尻には涙が浮かんでいた。
また笑顔。柔らかく緩んだ目元が、その目がまっすぐ見つめる先にいるのは、おれだ。
おれ以外ありえない。
頭の中で何かが弾け、瞬時にひび割れ雪欠片のように光の粒子のようにきらめいた。最後に残ったあいつの微笑みがスケッチに重なって、消えた。
「先輩」
見城が唇を噛み締めて、タオルを投げてよこした。
ぱたぱたと液体がスケッチブックに降る。視界がにじんでいる。目玉が溶けて頬を流れているのかのようだ。顔料と膠の臭いがしみついたタオルに顔を埋めると、目が染みて開けていられなくなった。
あれほどこだわっていた日本画の筆を置いた時ですら感じた事のない喪失感があるのに、おれはそいつが誰かわからなかった。香月泰男の「青の太陽」だ。真っ黒な俺の中心に風穴があいている。星が瞬くきれいな青い空だ。手を伸ばしたいのに届かない。
ふざけんな。
勝手に現れて勝手に消えんな。おれはもう絵は描かないつもりだったのに、簡単に描かせんな。
お前に会うには、絵を描くしかないじゃないか。どうしてくれんだ。
おれは口を開き、息をひとつ吐いて再び閉じた。
あいつの名前さえ、わからなかったからだ。
了
お読みいただきありがとうございました。
※「過去回想や回帰なし」「台詞や話の流れでちょっと思い出す程度は大丈夫」のお題の縛りに抵触しないぎりぎりを攻めたつもりです。大丈夫でしたでしょうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければお願い致します。本代にさせて頂き、記事を書きます。