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随01| 抑え切れない衝動、その罪と救済 ⋯ 非行少年W

2026年2月16日/記
(敬称省略)

 かつて精神病院、少年院、刑務所生活に明け暮れた少年がいた。彼の症例が公表されているので、その症例記録に従いながら、心の救済について考えてみたい。が、その前に、夏目漱石の類似問題についても触れておこう。文豪夏目漱石と無名の非行少年を並べて語るなど、飛躍が過ぎるだろうか。しかし、並べることで、文豪とか無名とかの次元を超えた、心の救済問題が見えてくる。

🔵漱石の場合

 ブログ『改訂版 女たちのいけばな』(07)で、漱石の異常な言動について書いた。漱石と言えば、文豪、人格者、清廉潔白、反骨の人であり、私にとっても心から尊敬できる人物なのである。そんな漱石だが、残念ながら負の行動があった。妻や子供たちへの暴力である。
 精神病に起因する暴力なので、発病期以外には、そんな兆候は見られない。普段は発病期と真反対の優しい夫、優しい父親であった。だから鏡子夫人は、最大の被害者であるのに、これが本来の漱石だと固く信じて生涯寄り添った。ただ、発病時に被害を受けた長女や次女などは、正常時に漱石から優しくされても、どうしても親愛の情をもつことができなかったという。悲しい話である。

 漱石には病についての自覚はなかったようである。だが、暴力にまで至っていたわけで、なにがしかの異変を感じ取っていた可能性はある。発作が起きれば人にもモノにも当たるので、結果として女中が辞めたり、モノが壊れたりした。正常になった漱石の鋭敏な感覚が、周囲の異変にまるで気づかなかったとは思えないのである。また、鏡子夫人の手配によるとはいえ、精神病専門医の診断を受けていること自体、少しは心当たりがあったからとは考えられないだろうか。
 二重人格のような、もう一人の自分の気配。ことは深刻であり、「人」としての尊厳を不安にさせたに違いない。家族への暴力など、正常時の漱石なら、決して自分を許せなかったはずである。

 こんな漱石に救いはあるのか、そのカギを握るのは鏡子夫人である。漱石門下の一部からは「悪妻」呼ばわりされたが、漱石の狂気と暴力を受け止め、様々な努力をして寄り添った人である。
 漱石の死後のことだが、彼女は、〈 いろんな男の人をみてきたけど、あたしゃお父様が一番いいねえ 〉とつぶやいた。これは最大の被害者が漱石に与えた赦しであり、没後のこととはいえ、漱石の尊厳を守る救済の言葉である。その言葉の温かみに導かれて推測したくなる⋯⋯生前においても、漱石の不安を彼女という存在が癒やしていたのではないか、と。

🔴非行少年W

ある非行少年の記録

 かつて読んだ本の中の一症例が非常に気になっていた。著者は精神科医の杉山登志郎で、本は『発達障害の豊かな世界』(日本評論社、2000年刊)である。その中に「ある非行少年の記録」という症例があり、それは杉山が〈 慚愧の念に耐えない 〉と語る、治療失敗例の記録である。医学的にも重要な症例なのだろうが、それとは別次元の人間的問題を伝えている。杉山医師も、「症例」というだけでなく、「人」として書いている。それを受けて、私もこの「人」に自分なりの解釈を加えてみたいと思ったのである。
 ただ、一般向きに書かれた本ではあるが、あくまで医学の症例であり、素人が解釈を加えることには問題がある。原著で全文を読んでいただくことをお勧めする。

 ある日、杉山医師が勤務する病院にW(12歳の男子)が母親に連れられてやってきた。当時のWは、家から毎月のように金を持ち出したり、家出を繰り返したりしていたという。未熟児で生まれた子であり、小さい頃は病弱だったが、発達に大きな遅れはなかった。また、家庭に問題があったわけでもない。

 Wは、幼稚園に3歳で入園したが、年長組になる頃にいたずらがひどくなり、小学校入学前後からは人の物を隠したり、壊したり、黙って持ち帰ったりするようになった。また、理由なく人を突き倒したり、叩いたりすることもあった。そして、叱られると家出をするようになり、7歳時には新幹線の無賃乗車で遠方に住んでいる祖母のところまで行ってしまったこともある。
 そんな問題行動を何度も起こすので、児童相談所の紹介で、7歳の秋に全寮制の情緒障害児のための学園に入園し、そこで2年間を過ごす。その後、自宅に戻ってしばらくはおとなしかったが、やがて無断外出が再発し、相当な遠方に出かけてしまうようになった。一方で、母親が肩が凝っているとすすんで揉んでくれるような、優しいところもあった。
 しかし、12歳の新学期には近くの塾から10万円以上を盗み、新幹線の終点まで切符を買って保護された。さらに、近くの店から金を盗み、夜行列車で九州に行き、保護された。学校では暴力事件を起こすなど、問題行動がエスカレートしたので、学校の紹介で病院受診となり、杉山が診ることになったのである。

窃盗と暴力の日々の果てに

 初診時、杉山がWに受診の理由を尋ねると、〈 悪いことをしたから連れて来られた 〉と答えた。〈 悪いことを自然にしてしまう。する時は悪いとは思わない。お金が欲しいと思うと止められないが、後で後悔する。いじめられたり叱られたりしていらいらした後にしてしまうことが多い 〉と語る。自分では抑えきれない衝動への、そして善悪の判断、戸惑いと後悔が入り混じる12歳の自覚である。

 様々な検査で微細脳機能障害に基づく行動障害と診断され、その後は問題行動の軽減を目的にした外来治療がおこなわれた。しかし、問題行動はやまず、家出や窃盗、大暴れなどが続く。〈 学校は好きなことができないから嫌 〉〈 じっとして座っているのがとても辛い 〉〈 外来で座って話していても辛くなる 〉という。学校では、ちょとしたきっかけでも怒り出すようになり、ガラスを割る、机を投げる等の行動が続くようになった。さらに教科書を燃やし、教室に火をつけようとしたが未遂、といった具合である。
 両親は教師から勧められて精神病院に入院させた。ここでは抗てんかん薬と抗精神病薬の服薬処方を受けた。退院して再び杉山の外来に通院するが、家から金を持ち出したり、学校で暴れたりで、精神病院に再入院となった。

 精神病院の退院後も問題行動を繰り返す。その頃、外来でやってきたWに杉山が、〈 荒れているみたいだが 〉と問うと、〈 うん 〉とうなだれていたという。この時のWは14歳、杉山の紹介で杉山が信頼する児童精神科医の勤務する病院に入院する。その病院で14歳から18歳まで、3回の入院治療を受けたが、入院中に窃盗を繰り返したので入院治療は困難とされた。その後、窃盗でついに逮捕され、少年院に20歳まで入所する。
 少年院を出所して3日後、母親と口論の末に自宅に放火し、全焼した。精神病院に数か月入院するが、退院の2日後に(新たな)自宅に放火し、今度は医療刑務所に収監された。入所中は服薬処方を受けた。

 23歳の時に出所、しかし、出所後は服薬が中断となったためか、翌日から不眠、幻聴が出現し、〈 人が隠れていて殺しに来る 〉〈 家族が自分を殺す計画をしている 〉などと言いながら、部屋の隅に隠れておびえる状態になった。精神病院に緊急入院となり、強力な抗精神病薬等の服薬処方を受け、幻聴は解消した。ただ、その病院では、希望した解放病棟への転棟を断られ、外来治療も断られた。そして、杉山医師の外来受診となった。杉山とWの10年ぶりの再会である。

 以上、症例の概略を記しただけだが、痛々しく、書いていて辛くなる。これは小説ではなく、Wの実人生である。少年期から青年期まで、症例記録の行間から彼の悲鳴が聞こえてくる。両親、教員、学校、児童相談所、医師、病院、少年院、刑務所、等々。皆が困り果てたし、誰も彼を救うことができなかった。杉山は再びWに向き合い、治療を再開する。

僕はどうしたら良いのでしょう

 杉山は治療再開で検査のための採血をおこなった。しばらくして結果が届いて、杉山は驚く。染色体検査で「XYY症候群」だったのである。
 XYY症候群は、1961年に初めて報告され、犯罪との関連が注目された。ただ、その後の研究で、情緒的な不安定性や衝動性は見られるものの、暴力や犯罪に直結するものではないことが定説となっている。とはいえ、杉山は、症候群の一部に犯罪や行為障害が生じやすいことも事実だと判断している。
 杉山は外来で来たWに以下のとおり、説明をする。

◆〈 Wにその結果を伝え、この症候群の説明を行った。Wは説明を聞いた後、真剣な表情でこちらを見据え「じゃあ先生、僕はどうしたら良いのでしょう」と尋ねた。私は「 あなたがそのような衝動を起こしやすいハンディをもっていることを知ったうえで、行動をしてゆくことが必要なのだと思います」と答えた 〉。

 その後のWは、家を飛び出し、窃盗を起こしたのち自首し、刑務所に収監された。刑務所に入るためにワザとした窃盗だったようである。それから1年ほどして、Wは突然に外来を受診してきた。〈 きょう出所した 〉とWは言った。

◆〈 家には「連絡をしたくない、家の人とも会いたくない」という。「9月から腰痛がひどくて、でも今日中に仕事を探さなくてはいけませんので」と話す。昨年と同じ処方を行い、症例の公表許可を訊ねた。実はWとは別にもう一人のXYY症候群の少年を経験し、こちらは少なくとも初期の治療には成功したので、Wの場合とあわせて報告をしたいと私が言うと、Wは笑い顔で「いいですよ」と答えた後、真顔になって「ぜひお役に立てて下さい」と述べた 〉。

 その日の遅く、杉山は警察から、Wがビルの屋上から飛び降り自殺したとの連絡を受けた。享年24歳であった。杉山はWの染色体異常の発見が遅れたこと、その告知が最悪の時期に最悪のタイミングだったことを激しく悔やんだ。

Wに救いは?

 Wの行動には当然ながら被害者がいる。だから安易に言うことではないけども、症例記録から読み取るかぎり、善良な素質をもった少年だったように思われる。杉山によると受診時には最後まで従順だったというから、治癒への願望は強くあったはずだ。しかし、自分ではどうにもならないもう一人の自分を、染色体異常の告知によって、ようやく自覚した。いや、先に述べた夏目漱石とは違い、はっきりと自覚してしまった。
 彼の24年の短い人生には、嬉しいこと、楽しいことがあったかもしれないが、症例記録ではわからない。症例記録は犯罪や暴力に満ち、病院や刑務所の壁に塞がれた人生ばかりが露出している。また、漱石とは真逆であり、意味ある業績は何一つなく、人から褒められることなど無縁の人生だった。その人生に救いはあったのどうかが気になる。

 杉山医師が症例の公表を言い出した場面に、私は惹きつけられる。公表の申し出が救済の役割を果たしたとは考えられないか。申し出は、〈 ぜひお役に立てて下さい 〉という前向きの一言を引き出した。そして、Wは、その言葉で小さな尊厳を手にしたと見るのである。なんら実証性のない、私の感覚的な推測、あるいは願望にすぎないのだが⋯⋯。
 
 Wの自殺によって、杉山は症例の発表に逡巡したが、年月をへて、ようやくWとの約束 を果たしたいと発表に踏み切ったそうである。


(随01| 抑え切れない衝動、その罪と救済 ⋯ 非行少年W おわり)


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