花08|古典という観念のオーラ ① 古典と現代
2025年11月11日/記
(敬称略)
私は、美術から越境して、いけばな界に途中参入した。参入といっても、「現代いけばな」と呼ばれる活動に介入しただけのことである。いけばな界の内側ではなく、周縁部との関わりにとどまったと言ったらよいだろうか。そのかわりに、業界的な面倒事に煩わされることなく、思いのほか長く関わることができた。
今はもう現場から卒業したつもりで、離れた位置からいけばなを見ていこうと思っている。そして、今回は、いけばなの「古典と現代」問題に取り組むことにした。研究的要素と批評的感覚を合体させた方法で語らせてもらうが、さて、どうなるか。
いけばなは、鍋一つ
いけばな分野には、古さを尊び古式を守ろうとする傾向が強くある。しかし、一方では、近代化の波を受け入れて変化し、太平洋戦争後には世間を騒がせるほどの激しい前衛運動を展開した。そんな歴史をもつ特殊な分野であり、たいへん面白い。
美術の場合は、大雑把に言えば、西洋文化流入による近代化の衝撃を日本画と洋画の分離によって回避したと言ってよい。伝統を主に日本画が担い、海外の新動向を洋画で受け止めるといったように、とりあえず鍋二つに振り分けた。よいか悪いかは別にして、この振り分けが以後の発展の基礎になっている。
いけばなの場合は、鍋一つの発展であった。素材の味が混じり合うごった煮のようなもので、それが今日まで続いている。だから鍋の中に好物のアヴァンギャルドがあるのでつまんでみたら、半分は保守本流の固さで歯が立たない、ということもある。しかし、ごった煮こそ「古典と現代」を考えるためのよい材料である。
では、伝統文化と呼ばれる分野はみな同じかというと、違うのである。例えば、茶道を見てみると、いけばなとは大きく異なり、前衛運動の痕跡がまったく見当たらないのである。もちろん茶道にも改革派はいた。神津朝夫『茶の湯の歴史』(注1)によれば、明治31(1898)年に大日本茶道学会を旗揚げした田中仙樵は、流儀の否定・秘伝の開放を掲げて裏千家から別れたとのことだ。
しかし、危機感をもってそれに対応した裏千家が〈 近代的な茶道流儀への転身 〉に成功したという。家元側が、家元制度を守りながら、一定の近代化を果たしたのである。その他に財界数寄者などの動きはあるものの、今日まで、前衛運動と呼べるような動きは見当たらない。茶花道と呼ばれ、まるで兄弟姉妹のような扱いを受けているが、違っている面も多々あり、それぞれの特殊がある。
(注1)神津朝夫『茶の湯の歴史』角川選書、2009年刊。
「古典と現代」問題は、あちこちに転がっている
流派の数にしても、いけばな界には流派が何百とあるが、茶道界の方はるかに少ない。一つ一つの流派が家元を頂点としたピラミッドだとするなら、いけばな界では、大小のピラミッドがひしめいている状態なのである。
きわだって高い巨大ピラミッドといえば、室町時代にルーツをもつ最古最大の流派、老舗の池坊である。ただし市場を独占しているわけではなく、やはり巨大な小原流と草月流を合わせれば、池坊と対等な勢力になると言われている。
意外なのは、老舗の池坊に対抗できる2流派がともに近代流派であることだ。小原流は明治末頃、草月流は昭和初頭に成立している。また、以上を3大流派と呼ぶが、それ以外では江戸後期に成立した古流とか未生流とかは、分派している親類一族を集めると大流派になるらしい。ただし、今日のいけばな人口激減状況では、流派規模は大きく変動しているだろうし、正確に把握している人はいないと思われる。
美術の場合は、古典は共有財産であり、みんなの古典なわけである。ところが、いけばなの場合、個人よりも流派が優先する、少なくともそういう傾向にある。流派各自の歴史を背景にして、例えば池坊では古いいけばな様式である「立花(りっか)」、古流や未生流では「生花(せいか)」を表看板にしている。一方、近代に成立した小原流や草月流は新しさを重視する。
ただ、古典様式を表看板にしている流派でも、新しいいけばなをカリキュラムに取り入れたり発表したりしている。いけばなを習う人は現代人であり、いろいろな欲求をもっているので、そのニーズに応えようということなのだろう。では、古典様式をもたない流派はどうかだが、いわゆる伝統文化の名の下にあると考えているだろうし、どこかで古典を意識しているものと思われる。そうだとするなら、「古典と現代」は、いけばな文化全体にとっての必須のテーマとなる。
実は、「古典と現代」問題は、いけばな界のあちこちに転がっている。私がいけばな分野に参入して間もない頃、ある人から花展の招待状をいただいて見にいった。様々な流派の家元や幹部クラスが参加する「日本いけばな芸術協会展」である。古典様式の花もあれば現代的な花もある、やはりごった煮の花展であった。
私は水準の高い立花を是非見たいと池坊のコーナーを探して、池坊の家元作品にたどり着いた。で、驚いたのである。その作品は、水準の高い立花ではなく、水準の高い現代いけばな作品だったのだ。古典様式を表看板にしている流派のトップがアヴァンギャルド・・・いけばな分野に参入してまだ日が浅い私は、大いに戸惑った。一つ鍋の世界は、古典だ、現代だ、といった見方では理解できないのである。流派も個人もだ。
現代花をいけ、古典花をいける
以前、本ブログで、若手バレエダンサーの登竜門、有名なローザンヌ国際バレエコンクールについて触れた(注2)。このコンクールでは、コンテンポラリーとクラシックの両方が必須の課題になっていて、現代的バレエと古典的バレエの両方を踊り、審査される。美術なら現代美術作品と狩野派作品の両方を制作して、審査を受けるといった感じだろうか。制作する側も審査する側もたいへんである。

古典と現代の共存という現象は、いけばな分野にもある。そうした事例を、現代いけばなのトップ作家である大坪光泉の作品集『現代のフラワー・アーティスト4 大坪光泉』(図1)で見ておこう。この本には現代いけばな作品(現代花)とともに、古典様式のいけばな(古典花)が収録されている。
美術家の個人作品集によくあるのが、作風の変化を追った収録だが、そうではなく、完全に2つのジャンルが並立している。ただし、現代花に重きが置かれ、古典花の収録数は少な目である。
まずは現代花を見ておこう。例えば、チューリップを料理してベーコンエッグなどと一緒に食卓に並べた《O氏の朝食》(図2)、多数の白菜を使ったオブジェ作品《クレイジーナイト》。自分が出演する《植物人間》(図3)というのもある。《化粧する大根》(図4)は、大根に白粉らしきものをほどこして空間に散りばめたインスタレーション作品である。《「嵐の金曜日」を歌いながら》は、廃棄物の集積場に無数の花を散華した作品だが、パフォーマンス的傾向がある。いずれにしても、これはいけばな?美術?と、誰もが思い悩むような作品群である。
器にいけた作品もある。ゴミをいけたり、茹でたロールキャベツをいけたり(図5)、ガラス花器に花を水没させたり(図6)。あるいは、わざと無技巧にいけたりする、非常に行儀の悪いいけばなである。





じゃあ古典花はどうかだが、こちらの方は非常に行儀がよい。伝統的な素材を使い、伝統的な規範に従っていけた、まさしく古典様式のいけばななのである。その一つ「蓮一色立華」(図7)などは、修練に修練を重ねて身につけた技術を惜しげもなく注ぎ込んだ古典花で、技巧の冴えと完成度の高さを誇っている。明らかに古典花でも彼はトップクラスだ。


最初に言っておこう、大坪の現代花と古典花、そのどちらも面白いし、深い感銘を受ける。が、しかし、これらは同じ芸術観から生まれたわけではない。また、同じ芸術観の下で感銘を受けるわけでもない。ここが肝要である。なにしろ立花(立華)は、2代池坊専好によって江戸時代初期に完成された古典花であり、成立基盤が現代花とは根本的に違っていると考えねばならない。
事実、大坪は、現代花作品には今日的な個人表現を濃厚に反映させたタイトルをつけながら、古典花にはタイトルをつけていない。先ほど触れた「蓮一色立華」もそうだが、「かきつばた一色立華」(図8)、「さざんか奥根じめいけ」、「蓮一色二株砂物立華」など、素材、技法、様式名などが記されているだけで、作家の個人性とか作品の個別性とかはないのである。
だからこう言っておこう、〈 すばらしい古典様式作品である、しかし大坪個人の主張は見当たらない 〉と。また、〈 今回の立花の出来はすばらしい、しかし様式の範囲内の作品であり、学びの姿勢で何度も作るもの。だから出来不出来とか味付けの差異はあるけども、基本、個別性はない 〉と。
古典花の同時掲載は大坪自身の意志による。では、なぜ古典花を収録するのか、私はこの本に収録する対談の相手を頼まれたので、その時に聞いてみた。ところが、やっかいな人で、なかなか本音を語らない。
大坪は〈 普通の人は掌が退化 〉しているという。で、古典花では植物に密に接触するから〈 古典花をやると、現代の便利な日常から原始に戻るんです。陶然となるんですよ 〉と語る。それはよいとして、それに続いて〈 この本に載せた古典花は自分の行き着いた誇らしい境地、というようなものではないですね。この程度ならいつでもできるよ、とうそぶいている姿 〉だと語る(注3)。
自分で載せておきながら古典花を突き放すわけで、じゃあそれが本音なのかと思いたくなる。ところが、実はそうでもないようなのだ。別の機会に彼と話していた時、〈 私は立花師でもあります 〉と、誇らしげに言い放っていた。おそらくこれも本音、本当にやっかいな人である(注4)。
大坪光泉は極端な例かもしれないが、この2つの本音は、他の現代いけばな作家にも潜在していると私は感じている。現代花と古典花の背後に、かなり複雑な問題があるものと思われる。それについてはのちに考えてみたい。
(注2)ブログ『美術の終末、芸術の終末』の「すぐ横には異なる芸術観が・・・」。
(注3)『現代のフラワー・アーティスト4 大坪光泉』京都書院、1995年。
(注4)ついでに記しておくと、際立って個性的な作品は、わざと小画面にして掲載する等々、かなり扱いが悪い。本音隠しの天邪鬼な悪癖だと私は見ている。
(図1~8)出典 前掲書『現代のフラワー・アーティスト4 大坪光泉』。
「古典」という言葉をめぐって
すでに「古典」という言葉を頻繁に使っているが、あらためてこの言葉について触れておこう。
古典には示唆に富む深い内容があり、長い時を生き抜いてきた普遍性がある。とりあえず私はそう思っている。が、注意も必要だ。特定の古典を個別に見れば、創作者、時代状況、運不運などが複雑に絡み合った動的な過程をへて、完成形、すなわち新しい古典が生まれ出るのではないか。古典作品をやたら美化するのではなく、背後に動的な過程があることを忘れないようにしたいのである。
実は「古典」という言葉そのものが動的であり、長い歴史の中では大きく変化してきた。文化史研究者の池田亀鑑は、もともとは中国に起源をもつ言葉であり、日本でも〈 中国古代の聖賢の経典をさしていたのであろう 〉と推測する。そして、近世国学では日本古代の文物を重視する傾向が強まり、中国起源の「古典」より、「ふるきふみ」「ふることぶみ」といった言葉を使うようになったという。さらに明治以降、西洋のクラシックと出会い、西洋のクラシックの概念と融合して今日的な用語「古典」になったというのである(注5)。
いわば近代化した言葉なわけである。日本の文化全体の変遷に即した、順当な変遷という思いがする。
ところが、同じく中国に起源をもつ言葉に「風流」がある。こちらの言葉は近代化されたのかどうか、ちょっと怪しいのだ。小説家の佐藤春夫が1924(大正13)年に書いた「風流論」があって、この論評は、近代用語「古典」を念頭に置いた上で読むと、より興味深く読める。佐藤は次のように書いている(注6)。
◆〈 現代人としての私、コスモポリタンとしての私。それらの私はたしかに風流などを馬鹿げ切ったものと信じている。しかも私は同時に、風流なるものを無視し去ることが出来ないところの伝統人としての私、日本人としての私を実にしばしば見るのである。時には私は、風流を無視し去らないどころではない。月の夕に花の晨(あさ)に、むしろそれが私を蠱惑することをさえ感ずる 〉。
大正時代、近代化が進展する中で風流はすでに脇に追いやられていた。それでも佐藤には風流なるものが〈 蠱惑 〉する力をもつもの、〈 決して西洋の芸術からは感得されない何ものか 〉という自覚があった。
その佐藤によると、かつて谷崎潤一郎と風流についてよく話し合ったという。しかし谷崎は、風流の蠱惑の力を認めた上で、「菜食主義的の美食」と呼び、それが人々から青春を奪い、人々を消極的にするものとして怖れたという。のちの「陰翳礼讃」の谷崎とはずいぶんギャップがある。また、芥川龍之介は、谷崎から同様な話を聞かされていたらしいが、〈 谷崎のように何もああ戦慄するには及ぶまい 〉と語ったそうだ。
今日、古典という言葉を聞けば、人は誰でもあまり深く考えずに了解する。しかし風流と聞くと、ハテと思うかもしれない。扱いの難しい内容を指し示す言葉だったため、近代化の波に乗れなかったのであろう。近代化から外れることで、国民の多くが常用する言葉にはならなかった。が、それでも、どこか気になる言葉として今も生き残っているのが興味深い。余計な話だが、「風流」は「クール」に近いニュアンスをもつような・・・どうだろうか。
こんなことをいちいち考えていたのでは、言葉が使いにくくて困る。ただ、古典という言葉が動的であるというイメージは、今回のテーマを考える上で重要なので、あえて言及した。そう、古典花も動的なイメージで再考するつもりである。
(注5)池田亀鑑『古典学入門』岩波文庫、1991年(『古典の読み方』至文堂、1952年を書名変更して復刻)。
(注6)佐藤春夫「風流論」『中央公論』1924年4月号。
(花08|古典という観念のオーラ ① おわり)
