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ディープリサーチでエゴサーチしてみたら、自分が見えすぎた|完璧主義×AI|制作ログ⑬

あなたは、自分のnoteや自分の名前を、エゴサーチしたことがありますか?

発信していると、一度はやってみたくなる瞬間があると思う。
「自分の名前、検索したらどう出るんだろう」
「誰かが私の記事に触れていたら……」 でも怖くてできない、
という人も多いんじゃないかと思います。

私は今回、初めてやってみました。
しかも、自分でそっと検索するのではなく

AIに第三者として調べさせるという形で。

そこで見えたのは
思っていた以上にはっきりした、発信者としての自分の姿でした。


完璧主義のnote記事をディープリサーチしたら、自分がいなくて少し凹んだ

完璧主義というテーマで、
どんな切り口の記事が多いのか、どんな内容に反応が集まっているのか。
自分の発信の参考にするために、他の人の記事を分析したかったから。

そういう内容が知りたくて、AIにディープリサーチさせながら見ていた。
でも、そこで少し意外なことが起きた。

自分の記事が、1つも出てこなかった。

完璧主義について発信をしていたのに。
内容も、主張の置き方も、こだわってきたという自覚はあった。
それなのに・・・その検索結果の中には
私の切り口も考え方も、ひとつも引っかからなかった。

残念な気持ちもあった。
でも同時に、冷静に考えるとそうかもしれないとも思った。
膨大なデータの中で、AIがわざわざ取り上げるほど特出した存在には、まだなれていない。
発信の回数も、内容の積み重ねも、まだまだだと思い知らされた感覚だった。

少し凹んだ。
でも、それ以上に面白いとも思った。
そこで今度は、完璧主義というテーマではなく

「瑞馬かおり」で調べてみることにした。

公開情報をもとに、外から見た自分の発信をまるごと分析させてみようと思った。
返ってきたのは、予想より、ずっと解像度の高いものだった。


公開情報だけで、ここまで見抜かれるとは思っていなかった

AIが整理してきたのは、記事単体の評価ではなかった。
発信全体の輪郭だった。

たとえば、

  • 完璧主義を「直す・手放す」対象ではなく、「動ける形にアップデートする」対象として扱っていること

  • noteを母艦にして、X、Kindle、Podcastへ展開していること

  • 各媒体でプロフィールや主張が大きくブレていないこと

  • 1つの原稿から複数メディアへ展開する構造があること

  • 抽象論に逃げず、失敗ログをかなり具体的に書いていること

そういう部分が、「偶然ではなく、かなり意識して組まれているはず」と読まれていた。

ここは、正直かなり嬉しかった。

私は発信するとき、内容だけではなく、
「どう見えるか」「何を出して何を出さないか」まで考えている。
noteでもPodcastでも、言っていることがズレないようにしたい。
プロフィール文も、媒体ごとに人格が変わったように見えないようにしたい。

そういう細部の設計まで、公開情報からある程度伝わっていた
それは思っていた以上に大きな発見だった。


「60%で止まれない側」という読み取りが、一番刺さった

もう1つ嬉しかったのは、ポジショニングまで読まれていたことだ。

AIは私の発信を、
「60%で止まれない側に刺さる設計」
と読み取っていた。

私はもともと、
「完璧主義は手放そう」
「もっと気楽に」
「60%で出せばいい」

という言葉が、どれだけ読んでも自分には着地しなかった。

悪いアドバイスだとは思わない。
それで救われている人が多くいると思うから。
でも読むたびに、自分だけ対象外の場所に立っているような感覚があった。なぜこれしかないのか。
自分に届く言葉はどこにあるのか。
そう思い続けていた。

だから私は、完璧主義を否定する方向ではなく
完璧主義のまま動ける形に整える方向を考えてきた。

この立ち位置は、自分の中ではかなり大事な主張だ。
だからこそ、そこがちゃんと伝わっていたのは救われるものがあった。


泥くさい失敗ログが、「信用」になると評価された

AIの分析の中で、特に印象に残った言葉がある。

私の強みとして、
「抽象論に逃げず、失敗ログを開示していること」
と書かれていたことだ。

私は、きれいに整った成功談だけを書くのが得意ではない。
うまくいかなかったこと。
手戻りしたこと。
自分の完璧主義で、自分が一番面倒くさくなったこと。
そういう泥くさい部分を、むしろ書いてきた。

出す時には毎回、少し怖さがある。
さらけ出している感覚もある。
でもそれが、「概念ではなく挙動として伝わる」と評価されていた。
きれいごとだけの自己啓発より、泥くさい試行錯誤のほうが信用になる、と。

これは今後の発信にも、自信をくれた言葉だった。


広く届けたいつもりだったのに、そうは見えていなかった。でも、それが事実だった

全部が「その通り!」で終わったわけではない。

私は自分では、もっと広く届けたいという気持ちがある。
完璧主義の人、真面目な人、不器用な人、考えすぎる人。
そういう人たちに、広く届いてほしいと思っている。
でも今回の分析では、こう読まれていた。

「万人向けではなく、刺さる人を狙っている設計」

最初は、少しだけ「そう見えるのか」と思った。
でも考えてみると、それはズレというより
今の公開情報から見える事実なのかもしれない。

たしかに私は、誰にでも当てはまる一般論より
「それ、まさに自分だ」と強く刺さる言葉を書きたいと思っている。
そう考えると、AIの読み取りは外れているというより、
いまの自分の輪郭をそのまま映していたのだと思う。

そしてもう1つ、気づいたことがある。
今回指摘された「まだ弱い部分」を見ていて、
最初は「自分の欠陥だ」と受け取りそうになった。

でも、よく考えると少し違った。
弱みの多くは、自分の中身の問題ではなかった。
素材はある。
熱量もある。
継続もある。
ただ、それがまだ届く形に編集されていないだけだった。

今見えている弱みの多くは、自分の中身が足りない証拠ではなく
すでにあるものを、まだ届く形に整えきれていないだけだった。

欠陥ではなく、未編集。

自分を説明する自己紹介とも、ただのエゴサーチとも違う。
忖度なく外から見た自分の見え方を受け取る作業だったからこそ
そこまで見えたのだと思う。


発信している人ほど、自分の見え方をAIにディープリサーチさせてみてほしい

発信していると、自分では自分の見え方が分からなくなってくる。

こういうつもりで書いている。
こういう人に届けたい。
こういう立ち位置でいたい。


そう思っていても、実際に公開情報から見える輪郭は、
少し違うことがある。
逆に、こだわって整えてきたことが、ちゃんと伝わっていることもある。

だから、何かを発信している人には、一度やってみてほしいと思った。

自分を褒めてもらうためではなく、自分の見え方を確かめるために。
AIに自分の名前で検索させて、公開情報を分析させてみる。

すると、自分では気づきにくいズレや、一貫して伝わっている強みが見えてくる。

思っている以上に輪郭が出ていて
思っていた方向と少し違う形で伝わっていることもある。
どちらも、知っておく価値がある。


この記事で触れた分析の詳細や、「動ける完璧主義」という考え方
については、他の記事や「動ける完璧主義ラジオ|未完成の取扱説明書」(各種Podcastにて配信中)でも書いています。

自分の発信が外からどう見えているか、気になったことはありますか?
「やってみた」
「こんな発見があった」
「怖くてできない」など
どんな感想でもコメントで聞かせてもらえるとうれしいです。


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