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#1 娘よ。あのとき抱きしめてやれずにごめんね。


これは私が note に投稿した一番最初のものです。
自分の人生を振り返って書こうとした時、「懐古」より先に「猛省」がありました。
一番先に書かないではいられなかった想い… 
note では200記事に近い投稿をしてきましたが、その原点となったのが、この手紙です。(名前は全て仮名)

𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧

娘へ

我が家に最初に授かった君。


根拠もなく君が男の子だと思ってた私は、ダディにも『きっと男の子よ』って言ってた。
産院の定期健診で赤ちゃんの性別を訊けばわかる時期がきて、私たちは教えてもらうことに決めたの。
生まれるまで待てないって、ちょっと夢のない感じもするけどね。

でも、もう家族の一員だった君に、たとえまだなまえはなくてもやっぱり男の子なのか女の子なのかはごく自然に知っとかなきゃと思ったの。

いつも笑顔の先生がスキャンを見ながら「おんなのこですよ」って言ってくださって、これがまたうれしかった。

弟ができるまでの二年半、おしゃまで素直な君にダディと私は夢中でした。

母子手帳には、私がたのしくてたのしくてつい書き留めた「巴奈 (ハナ) 語録」が残ってる。
一歳半で114語(うち英語は20語)を話したのよ。しかも「おじーちゃん、バイバイってったね(言ったね)」なんていう三語文もいくつもバリエーションが記されてる。
一歳半検診は「2語以上の意味のある話しことばを言えればよい」というのが基準なの。その時に、初めて『そういえば巴奈はどんなこと話せるかな?』って記録してみたら「すごいすごい」ってことになった。
巴奈ほど言葉の早い子はまわりにはいなかったから、うちはほんとに面白いっていつも思ってた。

巴奈と一緒に出歩けば『可愛いから』って食べ物を貰えたし、巴奈は情緒が豊かで、時々こちらが膝を打ちたくなるような、面白いことを言う。ダディも私も、君の愛らしさに夢中でした。

巴奈が二歳半で、甲斐が生まれた時、初めて出会った甲斐を叩いたり、つねったりしちゃったんだよね。巴奈の中にはじめて、わけのわからないきもちが湧いてきて言葉より先に手が出てしまったのかな。

巴奈とばあちゃん、私は密かに『魂の二卵性双生児?』って思ってたんだよ。一緒に居るだけでなんだか気持ちが通じ合ってるみたいだったね。


皆で相談した結果、しばらく巴奈と甲斐を離すために、ばあちゃんのところでホームステイさせてもらったの巴奈は憶えてる?

そこは君にとってはおおじいちゃん、おおばあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんの住むおうち。同じ敷地に住んでるいとこの亮太も昼間はいつも一緒だったよね。ばあちゃんが一歳半の亮太をおんぶする横で、巴奈用のおぶいひもで君がモンチッチ人形をおぶっている、その頃の写真が残ってるよね。そのピースサインの君の楽しそうなことと言ったら!なにしろばあちゃんはおおらかだし、年寄りだらけの家というのは包容力が素晴らしい。
私たちの心配なんてどこ吹く風、約束の二週間後も、電話口で「まだばあちゃんのとこにおる」と巴奈は言ってたよ。


巴奈は素直で、とても良いお姉さんぶりを発揮してくれたね。それでも、時々私たちの視線が甲斐の愛らしさに集まると、ピチャっと弟を叩いてしまうこともあったね。昔のビデオを観直すと時々甲斐のこと叩く巴奈のこと、私たちが叱ってないんだよね。それが逆に今『おおらか~』ってびっくりするわ。


一般的には男の子のほうが言葉が遅いって言うのよ。でも我が家では、かしましいお姉ちゃんのおかげで、甲斐もとても流暢に、方言を話したね。
「顔と方言とのギャップが可笑しい」と、よく幼稚園の先生が、笑い転げていたんだよ。

そんな君たちと、同士のように生きていた私に訪れたイギリスへの移住。

それは私にとっては「青天の霹靂」と言うよりは「とうとう来たか」という招かれざる宣告だったかな。

一方で、君たちはと言うと、知らないことは理解できるはずもなく。イギリスという馴染みのない場所は、君たちにはどんなふうに映ったことでしょうね・・・


1999年の3月が終わる日に四人でひょいと飛行機で来たんだよね。まるでちょいとグランマに会いに来るよな身軽さで。


巴奈は五歳だったから、プライマリースクールのレセプションクラスに途中から入ったね。レセプションは、Year 1 から Year 6 という六年間の、前段階の一年間。
日本ならあと一年は幼稚園に通ってたはずなのにね。

だから巴奈は、五歳でいきなりポンと小学校に入れられた、そんな感じだったね。

イギリスに来て、私がびっくりしたのは、女性がとってもハッキリものを言うことだった。今でこそなんとも思わないけれど、日本を離れて間もなかった私には、それがとってもきつく感じたのね。

大人の私が「怖い」と思ったのよ。巴奈は大丈夫だった?日本の幼稚園での先生方の物腰の優しさに比べたら『ここはどこ?』って感じじゃなかった?・・・もしかしたら私の想像を超えるものだったんじゃないか、って今でも思うのよ。

巴奈は一度も嫌がることなく学校に通い、学校から戻ると、ずっと甲斐と遊んで過ごしてた。

時々何をしているのか覗いたら、三歳の弟に “Ok, repeat after me!” (私のあとをくり返すのよ!) と指示して、その日学校で覚えた英語のことばを教えていたんだよ。

あれはイギリスに渡って二か月が過ぎた頃だったね。

一日中ノイズのようにあふれていた君たちの会話に、ふと耳を澄ませてみたよ。すると、なんてことでしょう、私がずっと聞いていたあの田舎の言葉が聞こえて来ないの・・・それどころか、ひとことの日本語も君たちはしゃべっていなかった。

まさか!と思ったよ。粘り強く待ってみたけど、巴奈のほうはまるで意地でも日本語を使うまいとしてるようだった。普通ははずみで日本語が混ざることってあるし、そのほうが自然なのに・・・どんだけ決意が固いんだ!って思った。

その時の私のきもち、思い返すと胸がつまるよ。
マミーはひとり、台所で涙を流しました。

そんな時だったね、巴奈の大好きなばあちゃんから、初めて国際電話がかかったのは。

その時、驚いたことに、巴奈はかたくなに電話に出ることを拒んだね。
ばあちゃん、どんなにか寂しかっただろう・・・っていう想いでいっぱいになって、マミーは電話のあとで君のことを叱りました。

その時だった、イギリスに来て初めて巴奈の涙を見たのは。

“I don’t miss Japan. I don’t want anything to do with Japan!” (日本なんか恋しくない。日本なんか関係ない!)
しゃくり上げて言った巴奈の言葉に、今度は私が泣いた。あの時、私を襲った感情に浸ることしかできなかった。

親なのに・・・

もしも私が一度だけ過去に戻れるなら、どれだけあの日に帰って君を抱きしめてやりたいことでしょう・・・


誰よりもまるごと日本を失ないながら、失った意味も分からずにいた君。一番運命に流されながら、弟を全力で守っていたのも君だったのだね。
甲斐がのほほんと育ってくれたのも、巴奈のおかげだったのかもと思う。

移住後しばらく、私はどれだけ泣いたことだろう。それに比べて、泣き言ひとつ言わなかった君には、感謝してもしきれないよ。

今、独立してフランスに住む君は口数が少なく、自己主張が苦手。だけど、一本芯が通っていて、居るだけで場の空気が柔らかくなる、そんな女性になりました。

あの時、ばあちゃんとどうしても話せなかったのは、理解不能な感情が込み上げたからなんだよね。

理不尽で悲しくて。。。求めても得られない日本。そんなきもちを自分から断ち切ることでしか、自分を支えられなかったのよね。

日本でのことも移住した当時の気持ちもまったく憶えていないと言う君。


あの日にはもう戻れないけれど、

君の居る場所へも飛んでいけないけれど、

私は私の心で全力で君を抱きしめる。


ありがとう。

ずっとずっとずっと愛してる・・・



投稿後記があります。次の日の大切な気づきになります。



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