パブハラ・ファイル09|税金で守られる学校、自費で問わされる遺族
事故後、遺族は説明ではなく手続と向き合わされる
学校事故の後、遺族が求めるものは、本来とても単純です。
何が起きたのか。
誰が、何を確認したのか。
どの記録が残っているのか。
なぜ、その対応になったのか。
同じ事故を繰り返さないために、何を変えるのか。
ただ、それを知りたいだけです。
しかし、私が経験している現実は違いました。
説明は遅れる。
資料は出てこない。
質問に正面から答えられない。
文書は黒塗りになる。
判断の理由は見えない。
そして、時間だけが過ぎていく。
遺族は、事故の事実を知ろうとしているだけなのに、いつの間にか、学校、教育委員会、情報公開制度、黒塗り、不開示理由、審査請求、第三者委員会、そしてスクールロイヤーと向き合わされるようになります。
これは、遺族の側に本来あるべき負担なのでしょうか。
私は、学校管理下事故の後に、公的機関が制度や手続や文書を使いながら、事故の事実を知ろうとする遺族に過度な負担を負わせる対応を「パブハラ」と呼んでいます。
パブリックハラスメント。
怒鳴られることだけが、ハラスメントではありません。
説明を先延ばしにされること。
資料を出されないこと。
理由の見えない黒塗りを受け取らされること。
そして、その一つ一つに対して、遺族側がさらに手続を取らされること。
それもまた、公的機関による負担の押し付けです。
今回考えたいのは、その中でも、スクールロイヤーの介入についてです。
スクールロイヤーの利用そのものを否定しているのではない
スクールロイヤーは、本来、学校事故対応を適正化するために活用されるべき制度だと思います。
重大事故が起きたとき、学校が法的助言を受けること自体はあり得ます。
適切に活用されるなら、事実確認、記録保存、遺族への説明、再発防止策の整理に役立つはずです。
しかし、私が経験した現実は、そう見えるものではありませんでした。
事故から相当の期間が経って、ようやく学校事故調査報告書が提出されました。
ところが、その報告書の内容には、事実確認の不足、記載の曖昧さ、検証の偏りがありました。
私は、その疑問点について質問書を提出しました。
しかし、学校から返ってきたのは、すぐに回答するという姿勢ではありませんでした。
回答にはさらに時間が必要だという連絡でした。
しかも、その期限は、私が求めた期限よりもかなり先でした。
事故から、すでにどれだけの時間が経っているのか。
学校は、その重みをどこまで認識していたのでしょうか。
報告書の提出までにも待たされ、その報告書にも疑問があり、質問をすれば、さらに待ってほしいと言われる。
では、遺族はいつまで待てばよいのでしょうか。
情報公開制度を使わざるを得なかった
私は、最初から行政文書開示請求をしたかったわけではありません。
まず、学校に説明を求めました。
事故調査報告書を求めました。
その報告書に疑問があったから、質問書を出しました。
しかし、任意の説明が先延ばしにされるのであれば、県民に認められた権利として、情報公開制度を利用するしかありませんでした。
行政文書開示請求は、学校を困らせるためのものではありません。
行政が保有する文書について、制度に基づいて開示・不開示の判断を求める手続です。
私がしたのは、特別な要求ではありません。
説明を求めても先延ばしにされる状況の中で、県民として認められた制度を使っただけです。
黒塗りでは、何のための助言か分からない
その一方で、学校側では、スクールロイヤーへの相談が行われていました。
この事実は、私が行政文書開示請求をしたことで、初めて明らかになったものです。
学校から任意に説明されたものではありません。
もし開示請求をしていなければ、学校がスクールロイヤーに相談していた事実は、遺族の目に触れないまま、内部の記録として埋もれていた可能性があります。
説明を求めても出てこなかった事実が、制度を使って初めて見えてくる。
ここにも、学校事故後の対応の問題があります。
私は、スクールロイヤーを使ったこと自体を問題にしているのではありません。
問題は、その助言が何のために使われたのかが見えないことです。
事故の事実確認を進めるためだったのか。
証拠保存を徹底するためだったのか。
遺族への説明を適正化するためだったのか。
再発防止につなげるためだったのか。
それとも、回答範囲を狭めるためだったのか。
情報提供を抑えるためだったのか。
学校側のリスクを減らすためだったのか。
開示された文書では、その核心部分が、ほとんど読み取れないほど黒塗りになっていました。
何が相談されたのか。
どのような助言があったのか。
誰が、どの判断で、遺族への説明をどのように整理したのか。
そこが分からない。
分からないからこそ、疑問が残ります。
公費で運用される制度として、読者も無関係ではない
ここで見えてくるのは、税金で支えられる側と、自費で問い続ける側の差です。
学校や教育委員会は、スクールロイヤーの助言を受けることができます。
その費用は、自治体の予算から支出されます。
つまり、最終的には県民、市民、国民が納めた税金によって支えられている制度です。
これは、遺族だけの問題ではありません。
この記事を読んでいる多くの方も、納税者です。
公費で弁護士の助言を受ける制度があること自体を、私は否定しません。
学校現場には、法的な整理が必要な場面もあると思います。
教職員を不当な要求から守る必要がある場面もあるでしょう。
しかし、公費で運用される以上、その使われ方には、公共性が求められます。
事故の事実確認を進めるため。
証拠を保存するため。
遺族への説明を適正に行うため。
子どもの権利を守るため。
同じ事故を繰り返さないため。
本来、スクールロイヤーの助言は、そうした方向に使われるべきものだと思います。
ところが、学校事故の後に、スクールロイヤーの助言内容が黒塗りにされ、何が相談され、何を助言され、どのように遺族対応へ反映されたのかが分からない。
これでは、公費で使われた制度が、本来の目的に沿っていたのかどうかを、県民も納税者も確認できません。
ここに、強い違和感があります。
しかも、被害に遭った子どもの家族も、その地域の住民であり、納税者です。
その遺族が、学校や教育委員会に説明を求める。
しかし学校や教育委員会は、公費でスクールロイヤーの助言を受ける。
その一方で、遺族側は、自費で弁護士に相談しなければならない。
つまり、遺族は、自分たちも納めている税金によって支えられた制度を相手にしながら、自分たちは私費で問い続けなければならないのです。
これは、単なる感情論ではありません。
公費で法的助言を受ける側と、自費で事実を問う側。
この非対称性が、学校事故の遺族に重くのしかかっています。
弁護士に相談すること自体が、大きなハードルだった
普通の家族にとって、弁護士に相談すること自体が大きなハードルです。
弁護士を探す。
相談内容の資料を整理する。
予約を取る。
事情を一から説明する。
相談料を支払う。
相談費用も、1時間で1万円を超えることは珍しくありません。
そして、相談料を払えば必ず前に進むわけでもありません。
私自身、複数の弁護士に相談を持ちかけました。
しかし、学校事故というだけで、相談に入る前に断られることもありました。
相談に乗ってもらえても、「難しい」「時間がかかる」「無駄になりかねない」と言われることもありました。
学校事故は、弁護士でさえ腰が引けるほど重い
これは私の想像ではありません。
実際に、相談した弁護士から言われた言葉です。
「これは、何かが上から落ちてきたというような単純な事故ではありません」
その言葉は、私の中に強く残っています。
たしかに、学校事故は単純ではありません。
学校。
教育委員会。
病院。
競技関係団体。
救急隊。
顧問。
管理職。
第三者委員会。
複数の関係者が絡み合い、記録も分散しています。
医学、安全管理、教育、行政手続、競技特性が重なります。
弁護士事務所から見ても、労力も時間もかかる重い案件なのだと思います。
さらに、訴訟になったとしても簡単ではありません。
学校側に責任を問うためには、事故が起きたという事実だけでは足りません。
どの危険を予見できたのか。
どの時点で、学校側がどのような対応を取るべきだったのか。
その対応をしていれば、結果を避けられたのか。
そして、その対応の不足と結果との間に、法的な因果関係があるのか。
そうした点を、遺族側が一つずつ立証していかなければなりません。
だから、弁護士が慎重になる理由は分かります。
しかし、ここで見落としてはいけないことがあります。
その立証に必要な記録や情報の多くは、学校や教育委員会、関係機関の側にあります。
そこから情報が出てこない。
回答が遅れる。
質問に正面から答えない。
文書が黒塗りになる。
そうなれば、遺族は訴訟の前段階で、すでに大きな壁にぶつかることになります。
パブハラは、遺族を支える専門家まで遠ざける
私は、弁護士に断られた経験を、単に「この案件は複雑だ」という意味だけでは受け止めていません。
なぜ、学校事故はここまで敬遠されるのか。
それは、過去の学校事故において、情報が十分に出されてこなかったからではないでしょうか。
回答に時間がかかり、質問に正面から答えず、責任の所在が曖昧になり、文書は黒塗りになり、遺族が疲弊していく。
そうした悪い事例が積み重なっているからこそ、弁護士でさえ最初から腰が引けてしまうのではないか。
私はそう感じています。
だとすれば、パブハラは遺族だけを苦しめているのではありません。
遺族を支援する専門家まで遠ざけている。
その結果、事故遺族が泣き寝入りせざるを得ない状況を生み出している。
これは、個別の学校だけの問題ではありません。
事実を出さない。
時間をかける。
説明を求める側に負担を戻す。
その構造の問題です。
公費で使うなら、本来目的に沿っているか示すべき
学校や教育委員会が公費でスクールロイヤーの助言を受けるのであれば、その利用が本来の目的に沿っているのか、最低限、検証できる形で示されるべきです。
すべてを公開せよと言っているのではありません。
ただ、事故の事実確認、遺族への説明、再発防止のために使われたのか。
それとも、回答を抑え、開示を狭め、学校側の防御を固めるために使われたのか。
そこすら確認できないまま、黒塗りで済まされるのであれば、公費で使われた制度として説明が足りません。
学校や教育委員会が公費でスクールロイヤーを使うなら、その助言は、組織を守るためだけに使われてはならないはずです。
子どものため。
事実のため。
再発防止のため。
そして、公費を負担している県民・納税者への説明責任のため。
その視点がなければ、スクールロイヤー制度は、遺族から見れば「公費で作られた防御壁」に見えてしまいます。
遺族は誰と戦っているのか
遺族は誰と戦っているのか。
学校でしょうか。
教育委員会でしょうか。
スクールロイヤーでしょうか。
黒塗りの文書でしょうか。
延長通知でしょうか。
第三者委員会でしょうか。
私には、もっと大きなものと戦わされているように感じます。
事故の事実に近づく前に立ちはだかる制度の壁。
説明を求める側にだけ負担を負わせる仕組み。
公費で守られ、自費で問わされる構造。
それが変わらない限り、学校事故の遺族は、この先も同じ壁にぶつかり続けることになります。
これもまた、パブハラです。
