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明日死ぬなら何する?って考えたら、ちょっと安心した話

「もしも明日死ぬなら、
あなたは何をして過ごしますか?」


これに対してあなたは決まった答えがありますか?


私ね、昨日、真剣に考えたんです。

そしたらね、
全っっ然、何も出てこなかったんです。笑



これに対して思ったことは

「私の人生はやりたいこともないのか」という
絶望ではなく、

「私ってやりたいこと、
ちゃんとやれてるんだな」っていう
ちょっとした安心感でした。



人は死ぬときに
「もっと家族といればよかった」とか
「あれにチャレンジしておけばよかった」っていう
後悔をしがちらしいですが、

あえて後悔を選択しているような、
そんな気がしてしまったんです。


いや、もちろん、
本当に後悔したりもするでしょう。
私も後悔のない人生でしたか?と聞かれれば、
あのとき、ああしてればと思うことは
山ほどあります。

でも
そんなん、死ぬときに後悔してどうすんの?

って思っちゃった。笑
(辛辣でごめん)


死ぬときに後悔するんじゃなくて、
いつだって、いつからだって
「これでよかったんだ」と
自分を肯定してあげる方が
何万倍も幸せな人生だと思うんですよ。


死ぬときの後悔というのは、
未来のある人へ向けての言葉なのかもしれない。

「自分はこういうことで後悔してるから、
あなたは後悔しない人生を歩んでね。」
みたいな。


分かります。
それは人生の先輩としての優しさからの
メッセージなんですよね。


でも、
〇〇しなかったら(したら)、後悔するっていう
前提条件ってどうなんだろう?とも思うんです。


それならば
「どんな道でもあなたがその時選んだ道が
きっと正解だったんだよ」って言ってあげれる方が
死に際に「後悔」という概念もなくなるような。


別に死に際じゃなくても、
「後悔したこと」なんて
ごまんとあるやん。笑

反抗期に親に暴言を吐いてしまったとか。
あの時、お金で諦めてしまった自己投資とか。
家族を顧みずに仕事ばかりしていたとか。


だけど、そういうのって
「あんまりよくない」って
頭ではわかってたけど、
できなかったこともあるんじゃないの?って。


もし、良かれと思ってやっていたとしても。

そもそも
それを後悔するのもなんか違くないですか?
だってそれが当時は最善と思ってたわけだから。


だけど、素直になれなかったとか、
勇気がでなかったとかはさ、
「本当はこっちは最善じゃないんだろう」って
頭で分かってるのにできなかったんでしょう?


それに対して
死に際に後悔してもさ、

出来なかったんだからしょうがないじゃん。

それを責める必要とか
全然ないと思うんですよ。


だったら、

後悔よりは
もう肯定してあげたほうが
良い気がしたんです。

「本当はこうすればよかったと思ったけど、
当時の自分には出来なかった。
あの時の自分が選んだ生き方だった」ってさ。

だれも死ぬ寸前に後悔とかしたくないし、
後悔されたくないですしね。

いっそのこと開き直ってくれた方が
嬉しいかもしれません。笑



だから私は
明日、人類滅亡の日になっても、
「これでよかったんだ」と思える毎日を
ちゃんと送れていることが
ちょっと嬉しかったのです。


もちろん、
最後の日だけはこんなことしたい!っていうのも
素敵だと思います。
特別な日にして最後を迎えたいのも、
それはそれで幸せな選択です。


だからね、
別にどっちでもいいんですよ。

どんな人生でも、
どんな生き方でも。

だけど
最後だけは。


「これでよかった」と思ってほしいなって。


その落としどころは
どんなのでも良くて。

「私なりに」でも
「結果として」でも

とにかく
後悔もまるごと受け止められれば
全部いい人生にできるんじゃないかなって思うんです。


だから私は
明日死ぬとしても
何も変わらない日々を送る気がします。

ただ一つ、
笑顔でいたいなって思うくらいです。


改めて考えると、
人生ってあっけないですね。

あっけないからこそ、
楽しいことをしていたいなって
思える時間でした。


何も特別なことはしないけど、
それでも“これでよかった”って思える今日を、
ちゃんと生きていきましょうね。


読んでいただき、ありがとうございます。




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