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『中指夫』 第7話:アバウト・タイムに中指を

土曜の22時。
洗濯機がガタンと止まったまま、私はバルコニーで夜風に当たっていた。
隣の部屋からはテレビの笑い声。
佳奈かなは録画したアニメを見ながら、寝落ち寸前だ。
春男はるおはLINEで「今日は会社の後輩と飲み」と一言よこしたきり、既読がつかない。——どうせ、飲みすぎて実家直帰コースだろう。
あいつ、佳奈の顔なんてここ半年、ちゃんと見てない。鏡に映った自分の寝癖のほうが、よっぽど見てるわ。
誕生日も、保育園の参観も“仕事”って逃げたくせに。

ふとポケットのスマホが震えた。麻美まみだ。

「Netflixでさ、『アバウト・タイム』観たんだけど」
「ボロッボロ泣いたー。なんかいいことないかなぁって探してたらさ」

Netflix。おお、リッチな女め。私はAmazonプライムの年払いを死守しているので、すでに別ルートで観ていた。
あの“何度でもやり直せる人生”の甘ったるさ。こっちは期限切れ直前の鶏むね肉ですら、二度と戻らないってのに。

「ムカつくわー。タイムリープで愛もお金も丸抱えとか、どんだけチート設定よ」
「泣くより腹立ったわ」

そう打つと、すぐ既読。

「さすが麻子あさこw」
「でも観たんだ(笑)」
「ひとりでいいや~って二缶飲んで寝たわ」

(ほんと、相変わらずだな)
でも、この毒舌の応酬があるだけで、夜中の虚無が少し薄まる。

洗濯籠を抱えて部屋へ戻ると、佳奈がソファでうにゃっと伸びた。
画面に映っているのは、偶然つけっぱなしになった深夜映画。
女優と俳優が抱き合って泣いている。

「ママ、この人たち、幸せそうだね」

「……映画だからね。現実はカットのない長回しなの」

佳奈はよくわかっていない顔で瞬きをして、そのまま寝息を立てはじめた。
膝にブランケットを掛けてやりながら、私はスクリーンの中の“時間をやり直せる男”に静かに中指を立てたくなった。
——現実には“やり直し”なんて、どこにもないくせに。

麻子は思った。
もし私に戻れるチャンスがあるなら、結婚式当日のスタジオで、白無垢姿の自分に言いたい。

「その男、魚肉ソーセージだからやめとけ。マジで!」

深夜0時。
レンジで温めた白飯をかきこみながら、スマホに向かって麻美へ長文を送りつける。

「タイムリープできても、うちの冷蔵庫は魚肉固定。まずは豚にアップグレードする未来を引っ張ってきてくれ」
「できれば春男の頭をリープで開けて、中身リセット希望」
「ついでに春男の借金履歴と、あとあいつの実家の住所録も地球から削除してください神様」

スタンプで返ってきたのは、うさぎが爆笑しながら中指を立てているやつ。
さすが麻美、わかってる。
深夜テンションでしか共有できない怒りを、さらっと笑いにしてくれる。

私はキッチンへ戻り、流しに置きっぱなしのフライパンを見てため息をついた。
ここにも“やり直しのボタン”があればいいのに。油汚れゼロ、残飯ゼロ。
でも、人生はワンクリックで皿を洗ってはくれない。

テレビがいつの間にかニュースに変わり、「円安・物価高」に関する特集が始まった。
コンビニの弁当が10円値上げ? 魚肉ソーセージは据え置き?
——くそ、魚肉だけ世界を救いすぎじゃない?

中指がピクリ。だが今日は立てない。

「タイムリープが無理でも、せめてタイムセールを逃すな」

脳内でツッコミを入れながら、さっきの残り飯を丸めてラップに包む。
明日の弁当、卵焼きと、このおにぎりで確定だ。
佳奈と公園に行く約束、ちゃんと守らないと。
この子の笑顔のためなら、魚肉ソーセージだって焼き上げてみせる。

01:30。
スマホに再び通知。麻美からの追いLINE。

「寝落ち前にひとこと:
『アバウト・タイム』のパパが “人生を二度生きなさい” って言うじゃん?
私ら、二度目だと思ってやれば勝ちじゃね?」

私は思わず吹き出した。二度目なら、遠慮なく中指立て放題だ。

「オッケー。私は二周目のラスボス戦だと思ってる」

そう返してスマホを置いた。部屋の電気を消す。
佳奈の寝息が規則正しい。時間は戻らない。映画みたいに甘くもない。
だから私は、中指を引っ込める技を覚えた。……でも、もしもう一度だけ過去に飛べるなら?

結婚式の写真スタジオじゃなくて、魚肉ソーセージ売り場の冷蔵ケースの前で、春男にこう言うんだ。

「人生は常温保存できないから、ちゃんと選べ!」

あいつは、いつもぬるま湯で、適当で、責任から逃げて、気がつけば全部“私に選ばせる”人生だった。

そのとき、春男の寝言のようなLINEがふと通知に浮かぶ。

「今夜も実家に泊まるわー。疲れてるから」

その文字を見て、麻子はそっとため息を吐く。
——だから今、私は魚肉ソーセージ1本にすら怒ってる。

深夜の台所で、私はそっと自分の拳を握る。
——タイムリープの代わりに、明日のチラシをチェックしなきゃ。
特売の豚こまが、私たちの未来を少しだけマシにする。

中指は、今夜もグーに包んでおく。けれど明日、値札がズレてたら?

そのときは——映画みたいに美しくはないけれど、
私なりの“愛おしい時間”を、魚肉に焼きつけてやる。

#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

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