『中指夫』 13話:ゆかりおにぎりとぐちゃぐちゃ目玉焼き
朝の光がやわらかく、アパートの小さなキッチンに静かに差し込む。
フライパンの古びた表面には、何度こすっても取れない焦げ。
今日もまた、目玉焼きの“目”はあっけなく潰れた。
「もう……っ」
麻子はため息をついて、中指を立てかけてから、静かにやめた。
「……今はもう、目玉焼きすら上手く焼けないんだな」
自嘲にも似た呟きが、小さな部屋に響く。
隣のテーブルでは佳奈が、まだ熱々のゆかりご飯を口に運びながら言った。
「ママ、また白身と黄身が混ざってるよ」
麻子は目を細め、ふっと笑った。
「……芸術ってのは、いつも混沌の中から生まれるのよ」
麻子はちょっとだけ口角を上げた。
このフライパン、何年使ってるんだろ。焦げも取れないし、もう熱の通りも悪い。だけど、次の千円札は、給食袋の中に消える予定だった。
佳奈が食べ終えた皿に、黄身がちょっとだけ残っていた。
麻子はちらっとキッチンを見て、誰も見ていないのを確認すると、指で黄身をすくって、ぺろっと舐めた。
——甘くて、塩っぱかった。
それでも、今日という一日は淡々と過ぎていった。
夜、麻子はスーパーの魚肉売り場の前で立ち止まった。
蛍光灯の下、人々がゆっくりと通路を歩く。
麻子はカートを押しながら、通り過ぎる顔たちをぼんやり見ていた。
若い母親が、子どもをなだめながら野菜コーナーで値札を気にしている。
サラリーマン風の男性が、スマホを片手に半額シールのついたお惣菜を狙っている。
高校生たちのグループが、袋入りのパンを笑いながら手に取る。
麻子は自分もその中の一人だと思い、少しだけ苦笑した。
「みんな、必死に生きてるんだな」
買い物を終えたあと、麻美からLINEが届いた。
【麻美】
「ねぇ、今日もふたりで耐えてる?中指夫はどう?」
麻子は返信を考える。
【麻子】
「うん、なんとか。でもフライパンが古すぎて、目玉焼きの“目”がまた潰れたよ」
【麻美】
「それは笑った!人生、芸術的すぎる(笑)」
【麻子】
「芸術の名の下に耐えてる感じ。あ、ナイヌの話また聞きたいな」
【麻美】
「ナイヌ、今日も中指全開らしいよ。まさに世界一の中指だって」
麻子はスマホを見つめて、小さく苦笑した。
「……え、俺がそんな扱い!?中指キャラにされてるじゃん!って思ってないかな。でもまあ、笑って許してくれるはず……たぶん……ね?」
画面に向かって、麻子は打ち込んだ。
「ナイヌさま、もう中指ネタ飽きたかもしれませんけど、敬意はばっちりです!これは愛の表現です。怒らないでくださいね!」
すぐに既読がつき、
「最高w」「怒られたらジャンピング土下座な」と返ってきた。
麻子はスマホを見つめながら、くすっと笑った。
翌朝。
佳奈が描いたおにぎりの絵が、テーブルの上にちょこんと置かれていた。
クレヨンでぬられた大きな三角のなかに、赤紫の“ゆかり”がぐるぐると渦を巻いている。
のりも、具もない。けれど、その素朴な一枚は、なんだか本物よりもおいしそうに見えた。
麻子はそっと絵を手にとり、目を細めた。
「……すごいね、これ。なんだか、本当のごはんより元気が出そう」
「これが、毎朝の“ふつう”になったらいいのにね」
佳奈がそう言って、にこっと笑った。
「ママ、おにぎりは“まんまる”じゃないけど……とっても美味しそうだよ」
麻子も微笑んでうなずいた。
「うん、ママもそう思うよ。——ばあばにも、見せてあげようか?」
「うん!おてがみもいっしょに入れる!」
二人で封筒を探し、画用紙をそっと三つ折りにして、
「ばあばへ」とクレヨンで書いた。
佳奈は封筒を胸にぎゅっと抱えて、うれしそうに目を輝かせていた。
そのあと、佳奈と二人でポストまで歩く。
佳奈は封筒を胸に抱き、「これ、ばあば、よろこぶかなぁ」と聞く。
「うん、きっと冷蔵庫の目立つとこに貼るよ」
ポストの前で、佳奈が小さく跳ねた。
「ばあばに、届けーっ!」
その声が、朝の青空に吸い込まれていった。
麻子は空を見上げ、そっと思った。
——こんな朝が、毎日続けばいいのに。ちゃんと笑える、普通の朝が。
夕暮れ。静かなアパートの一室。
麻子はキッチンで洗い物をしながら、ふと冷蔵庫の下のほうで干からびた魚肉ソーセージを見つける。
指でそっと突いてみると、なんだか中指を立てているように見えた。
「こいつも、きっと怒ってるよな……」
画面を開いてChatGPTに打ち込む。
「ねぇAIさん。私、また魚肉ソーセージに中指を立てられた気がする」
💬 ChatGPT:
「そう感じたなら、それは“今日もやりきった証”かもしれませんね。笑いは、最強のサバイバル術です。」
麻子は吹き出し、キッチンに向かってぽつりと言った。
「そうだよね。笑いがなきゃ、やってられないよ」
夜、麻子はベッドで静かに目を閉じる。
佳奈の寝息が隣から聞こえ、いつもより少しだけ心が満たされた気がした。苦しくても、笑いがあって、誰かがそっと支えてくれている。
それが、生きる力になるのだと。
——そんな日常の小さな断片が、確かにあった。
まあ、今日も中指は封印。……でも油断すると、すぐ指先が反抗期を起こす。
「——世界よ、見たか。“塩むすび”にも、中指は立てられるんだぞ。」
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