『中指夫』 4話:中指と酔拳と猫が欲しい朝
「ママー、ねこ、かいたい!」
休日の朝。
目玉焼きの黄身をうまく割れた佳奈が、突然そんなことを言い出した。
「ねこ?」
「うん、テレビで見たの!ふわふわで、ひざのうえにのってきて、ゴロゴロってするの!佳奈も、かいたい!」
朝の食卓は、白米・納豆・味噌汁。
そして、昨日の残りの魚肉ソーセージを細かく切ったやつ。
ちょっとだけ焦げてる。けど、それも我が家の“ごちそう感”の演出。
「……猫ねえ」
猫を飼う。たしかに憧れたことはある。
ふわふわで、ツンデレで、ちょっと気まぐれで。
でも、現実の私は“家計が猫の額”ってやつ。
「ママ、おこづかいで、かえる?」
「無理だね。猫って、お金もかかるし、病院代も……おうちに置いとく砂とか、ごはんとか……」
言いかけて、佳奈の顔を見る。
もう、ぷぅっとふくれっ面。目もウルウルし始めてる。
「でもさ、見るだけならいいよ。ペットショップ、行ってみよっか?」
「ほんと!?」
佳奈の顔が、パァッと光った。
たったこれだけで、朝がちょっと救われる。
昼前、近所のショッピングモールへ。電車賃を節約して、歩いて30分。
暑い。でも、佳奈は「ねこ〜♪」と歌ってる。
ペットショップのガラスケースの中には、もふもふの子猫たちが並んでいた。
「見て!あの子、くろしろで、うごいてる!」
「おー、ほんとだ。佳奈に似て、せわしないね」
「ちがう!この子のほうがかわいい!」
ははは、って笑ったけど、内心はちょっと切ない。
「この子たち、おいくら万円ですか……」と値札を見ると、30万円。
無理ゲー。
“生き物に値段がある”ってこと、6歳の娘にどう伝えたらいいんだろう。
「ママー、かわいいね! かいたい!」
佳奈はガラス越しに、ふわふわの子猫に目をキラキラさせて言った。
「うん、かわいいねえ……」
私は笑ってうなずいたあと、少しだけ声を落として言う。
「でもね、無理かな。うち、アパートだし……動物ダメなんだよ」
「え〜〜……」
「猫ってね、お金もかかるんだよ。ごはんとか病院とか、いろいろ」
「でも、かわいいもん……」
「そうだね。でも、また見にこよう。見るだけなら、いくらでもできるもん」
「うん!ぜったいまた来る!」
そう言って笑う佳奈の手を、私はぎゅっと握った。
──“生き物に値段がある”ってこと。
それを6歳の娘に伝えるのは、まだ早いのかもしれない。
けど、“誰かを大切に思う気持ち”なら、今すぐでもわかる。
そしてきっとそれだけで、今日はじゅうぶんだ。
帰宅したら、春男がいた。
リビングのソファに寝転んで、スマホをいじってる。
私たちが入ってきても、「おかえり」すら言わない。
「あのさ、抱かせてよ」
唐突に言ってきた春男に、冷蔵庫のドアを閉める勢いで私は怒気をこめる。
「は?アンタ、今日いくら返してきた?」
「はあ?」
「借金の、返済。今日また電話あったよ。“奥様から折り返しの電話を”って」
「あ〜〜もう、うるせえな……」
その瞬間、私の中でスイッチが入った。
「うるさいのはそっちでしょ!? こっちは猫すら飼えないのに!ソーセージすら魚肉なんだよ!!」
「魚肉はソーセージじゃねえって前も——」
「はあぁぁ!?」
その時、脳内で何かがはじけた。
私は想像した。
自分がスーパーサイヤ人になって、両手の中指をビームみたいにバッシーン!!って春男に向けて飛ばす姿を。
「中指ビーーーーム!!!!!」って、叫びながら。
……でも実際には、冷蔵庫をバンッて閉めただけだった。
それでも佳奈が「ママ、スーパーウーマンみたいだね!」
と言ってくれたから、私の怒りも少し収まった。
その晩。
晩ごはんは、チルドピザ。
「ピザ食べたい〜!」って佳奈がねだったけど、デリバリーなんて無理。
スーパーで198円。トマトソースと、ピーマンと、チーズがのってるやつ。
「ピーマン、のけて〜」
「自分でのけなさい」
私は、料理酒を手に取った。冷蔵庫にビールはない。
「ああ〜、酒が飲みたい……」
酔拳のジャッキー・チェンを思い出す。
お猪口をくるっと回して一気に飲む姿が、やけにかっこよかった。
でも、現実の私は——
中指でコップを持って、料理酒をくいっと飲んだ。
「くっさ……アルコール度数のくせに、まずっ」
それでも、ほんの少しスカッとした。
春男に怒鳴るより、中指で乾杯して、妄想でぶっ飛ばす方が、健康的かもしれない。
夜。
佳奈が寝たあと、麻美にLINEした。
【今日、ペットショップ行ってきたよ】
【え、飼うの?】
【いや、見るだけ】
【うちも昔そうだった。見て、泣いて、帰って、魚肉ソーセージ】
なんかもう、同志。
【酒のみたい】
【料理酒しかないなら、妄想酔拳で中指アタックしとけ】
くすっと笑った。
麻美とは10年来の付き合い。SNSでつながって、ずっと友だち。
彼女は離婚して、今は一人暮らし。
安い第三ビール片手に、
毎日「もうひとりでいいや」って笑ってるけど、すこし寂しそう。
でも、そういう強がりが、私は好きだ。
その夜、私はまた夢を見る。
猫を飼っている夢だった。
中指がビームを撃てる夢だった。
そして、佳奈が「ママ、つよーい!」と笑っている夢だった。
現実は、猫もいないし、春男はどっかで寝てるし、ビームも出ない。
けど、私は生きてる。
この中指とともに、なんとか明日を迎えてる。
そしていつか、ほんとうに猫を飼える日がきたら。
その時は、中指じゃなくて、優しく撫でてやりたい。
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