『中指夫』 第3話:魚肉とピザと借金と
朝7時。
スマホのアラームじゃなく、着信音で目が覚めた。
「……はい、もしもし……」
声が枯れていた。
寝起きだったのもあるけど、もう何度も同じ電話を受けてるから、反射で“謝罪モード”に入る。
「奥様、春男さんご本人とお話したいのですが——」
ああ、また借金の催促だ。
「夫は今、仕事中です。折り返させます」
そう言って電話を切り、通話履歴をぼんやり見つめた。
もう何件目だっけ。
どこの会社も名前は違うけど、声のトーンはみんな似ている。
「慣れてますよ」っていう、あの無機質な感じ。
マニュアルで動くAIボイス。
「マジで、電話くらい出ろよ、春男……」
私は思わず、中指を立てた。
その瞬間を、隣で朝食中の佳奈がじっと見ていた。
「ママ、それ……また“魔法のゆび”?」
「うん、これは“パパをやっつける指”」
「へぇ〜。ママ、RPGのボスキャラみたいだね」
それ、褒めてるのか? でも、笑ってくれるだけで救われる。
佳奈は、もう“パパ=クズ”という現実を、自然に理解してしまっている。
6歳なのに、悲しみに慣れた表情ができるってどうなの。
悲しい。でも、笑える。ああ、やっぱり私ってバカバカ。
けど、そんな朝でもちゃんと味噌汁をあっためるのが、
私なりの“小さな戦い方”。よし、中指も今日の味方。
スーパーのチラシをめくりながら、今日の献立を考える。
白米はある。卵もある。納豆もある。
そして、あの存在感を放つ——魚肉ソーセージ。
「またこれかよ」
自分でつぶやいて、自分で笑った。これ、春男の決め台詞だったな。
たしか2週間前、同じ魚肉ソーセージを出した夜。
テレビ見ながら、ぼそっとこう言ったっけ。
「なにこれ、ソーセージって書いてあるけど魚じゃん。詐欺かよ」
は? 魚肉もソーセージじゃボケ!って
怒鳴りたかったけど、私は静かにこう返した。
「うちの経済状況で、豚を選ぶ余裕はありません」
横で佳奈がクスクス笑ってた。
意味はわかってなかっただろうけど、たぶん“ママの口調”が面白かったんだと思う。
でも、本音を言えば——
あの瞬間、私はスーパーのレジ袋をなびかせながら、
スーパーサイヤ人になって、金色の髪を逆立てて、
両手の中指で春男の額をガッと突きたかった。
「魚肉もソーセージだろがァァ!!!」って、
目からビームでも出して吹き飛ばしたかった。
冷蔵庫の中身見て文句言うくらいなら、ATMとして金くらい吐き出せっての。
……うん。
想像の中でスーパーサイヤ人になるあたり、
私のメンタル、もう悟空じゃなくてベジータ寄りかもしれん。
でも、たぶんそれで正解だと思ってる。
「今日の夜ごはん、なに〜?」
佳奈が聞いてきたので、私は宣言した。
「魚肉ソーセージと、卵焼き。そして、白米」
「またか……」
6歳のくせに舌打ちしながら言った時点で…、
我が家はわりと終わってると思う。
その夜。
玄関のチャイムが鳴った。
ドキッとした。
もう“借金取り”って単語が脳に根を張ってて、
インターホン鳴るだけで心拍数が跳ね上がる。
でもそこにいたのは——麻美だった。
「やっほー!来ちゃったー!」
第三ビールの6缶パックを片手に、靴脱ぎながら勝手に上がってくる。
この自由さ、10年来の友人じゃないと成立しない。
「てか、春男いないの?」
「いるわけないでしょ。あの中指野郎、夜は実家に帰って寝てるのよ」
「中指野郎(笑)」
麻美は爆笑しながら、中指を立てて台所に直行。
冷蔵庫のドアを開けて「え、今日も魚肉?」と驚いた。
「今日ね、借金の電話また来た」
「マジか。残高いくら?」
「知らん。もう私、債務額で夫の価値を測ってるから」
「はは、もはや投資信託だね」
ふたりで笑った。でも、笑い終わると、ふっと静かになる。
「そういやさ、佳奈が“ピザ食べたい”って言ってたんだけど」
「デリバリー?」
「無理。スーパーで198円のチルドピザ買ってきた。ピーマン抜けば、それっぽくなるでしょ」
「なるなる。うちも昔それだった。むしろ“ピザごっこ”って呼んでたわ」
麻美は、すでに離婚済み。
クソ旦那と別れた麻美はスッキリした顔でビール飲んでたのを、私はよく覚えてる。
「もうね、ひとりでいいやって思ってる。なんか、がんばっても損しかないやん?」
「ほんと。私は結婚した瞬間から“人生ハードモード”突入したから」
ふたりで、チルドピザをかじりながら、第三ビールの缶をカンと鳴らした。
麻美が帰ったあと。
私は佳奈の寝顔を見ながら、そっと手を握った。
その手は小さくて、あたたかくて、ふにふにしていて、
まるで「大丈夫だよ」って言ってくれてるみたいだった。
「ママ、がんばるからね」
声に出さず、心の中で誓う。
スマホの通知欄には、また借金会社からの不在着信。
その下には、春男からの「今夜は帰れません」LINE。
私は中指を立てて、スマホのロックを解除した。
——これが、我が家のログインキー。
セキュリティはザルだけど、怒りは万全。
そう思った瞬間、なんだか笑えてきた。
こんな生活、たしかにギリギリ。
でも、ギリギリって、案外しぶとく続くもんだ。
中指ひとつで、私はまだ、生きてる。
※当アカウントで公開している文章・アイデアの無断転載・転用・模倣はお断りしております。著作権を放棄していません。お問い合わせはDMへ。
