『中指夫』 15話:中指ダンスと、さよならのブランケット
夜中。
私は、中指だった。
いや、正確には“中指の着ぐるみ”を着た私が、TikTokのトレンド曲に合わせてクネクネと踊っていた。
「ちゅっ♡ちゅっ♡ちゅっ♡中指〜♪」
その曲名も歌詞も、どうかしてる。でも夢だからおかしくない。
周りには、同じように中指をかたどった着ぐるみの人たちが、次々に回転している。光る電飾、コメント欄、ハートマークの嵐。
夢の中の私は、なぜか堂々としていた。中指の先でリズムを取り、シュールな笑顔で決めポーズ。
そして最後、クルリと回転して、着ぐるみのまま離婚届を春男の机に叩きつけた。
「叩きつけたぞ、春男!サインしろ!これは公式の中指だ!」
「……っは!」
目が覚めた。いつもの薄暗い寝室。
布団の端で丸くなって寝る佳奈。その隣には、だれもいない。静まりかえった布団の山。春男はもういない。
数日前、私物をすべて実家に持って帰った。ここにはもう来ない。
あの間の抜けた、いびきのリズムだけが、まだ耳の奥にこびりついている。
でも私の胸には、夢の中の“中指ダンス”の高揚感と爽快感が、くっきりと残っていた。
今日は、月曜日。
そして、離婚届を出す日だった。私はリビングに座り、深呼吸を一つ。
机の上には、すでにサインの済んだ離婚届。
夢で叩きつけた紙が、現実にもそこにある。
証人欄には、麻美のサインと、なぜか小原くんの名前もあった。
頼んだとき、彼は何も聞かずに
「そうですか〜。これからもよろしくです〜」
って、小原くん。……いや、よろしくって、何に?
その無邪気さに、思わず笑みがこぼれた。
「ママ、あのね」
登園前、佳奈が言った。
「おにぎりの絵、先生が“おいしそう”って言ってくれた」
「それはよかった」
「“なんで、おかかと梅干しを半分ずつ入れたの?”って聞かれて、“ママと半分こ”って言ったら、“いいね”って」
私は一瞬、何も言えなくて、それから
「それ、ほんとにいいね」と答えた。
こんな朝が、永遠に続いてほしいと思うことがある。
でも、私はもう知っている。
「いいね」は、ただの「いいね」で、人生は“中指”みたいに、不格好で、ひねくれていて、それでも、自分で立たなきゃいけないのだ。
午後。
私は役所に向かう道を歩いていた。
春男からは、最後の最後までLINEが来なかった。
「よくわかんねーけど、まぁ自由にしてくれや」と、あの感じだ。
自由ってなんだ。責任から逃げた男の口癖じゃないか。
私は、ChatGPTで書いた小説のタイトルをふと思い出す。
『ChatGPTと、はじめての中指文学』
あのときも、深夜だった。
思わずAIに
「こんばんは、AIさん!私、毎日夫に対して、中指が立ってしまうの!」
って打ち込んだっけ。そこから、何かが始まった。
自分の声を文字にして、誰かに届いたこと。
知らない誰かが「いいね」と言ってくれたこと。
あのときの震えを、私はずっと忘れないと思う。
提出を終えたあと、私はアパートに戻った。
帰り道、スーパーに寄って買ったのは——佳奈が好きな“たまごやき味”のおにぎりと、小さなケーキ。
頑張ったご褒美に……
いや、“決めたこと”に対しての、自分への「よくやった」。
夕方。
佳奈と一緒に公園に座りながら、私はひと息ついた。
「ママ、今日、元気?」
「うん。ママね、今日、ちょっとだけ中指立ててきた」
「え?」
「……ごめん、わかんないね。いいこと、したってこと」
佳奈はまだわかっていないけど、
いつか彼女が、自分で自分の幸せを選ぶ日がきたら、
そのとき、今日のこの空気みたいなものを、思い出してくれたらいい。
夜。
お風呂上がりの佳奈を寝かせたあと、私はパソコンを開いた。
SNSには、あの中指文学の続編を書いてほしいというコメントがいくつか届いていた。
その中に、一つだけ、こう書いている人がいた。
「人生は、カットのない長回しって言葉、すごく刺さりました」
……そうだ。映画じゃない。現実は編集も演出もない。
でも、たまには“演出する自分”がいたっていいじゃないか。
私は、例の夢を思い出しながら、新しい動画を作ってみた。フリーの映像編集アプリに、中指の着ぐるみ素材を重ね、音楽をのせる。
最後に、あのセリフを入れて、公開ボタンを押した。
「人生は、踊りきってから、さよならするものだと思う。」
翌朝、思いがけずTikTokがバズった。
「中指ダンスで離婚を祝うシングルマザー」というタグまでついていた。
いいねの嵐、コメントの連打。
——なんだこれは。でも、思わず笑ってしまった。
日常は続く。
洗濯物は山のようにあるし、冷蔵庫の中はいつもパンパンにならない。
でも、私の胸の中には、一本ピンと立った“見えない中指”がある。
それは、怒りでも、侮辱でもない。
生きるために、どうしても折れないものの形。
「ママ、これ、あげる」
佳奈が、画用紙に描いた新しい絵を見せてくれた。
そこには、おにぎりと、女の人が、クルクルと回っている絵が描かれていた。
「これ、なあに?」
「“ママのダンス”だよ」
「……そっか」
私は笑った。ブランケットを膝にかけながら、あたたかい気持ちで。
——さよなら、中指夫。ようこそ、中指人生。
(終)
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