『中指夫』 12話:離婚届と新しい朝
朝、目覚めると、炊きたての白米と、ばあばから届いた手作りの
「ゆかりふりかけ」がテーブルの上にあった。
ビニール袋に詰められた、赤紫のふりかけ。
手書きのメモがセロハンテープで貼られていた。
「いつも頑張ってるあなたへ。
しそ、今年のはちょっとすっぱいかも。
ばあばより。」
麻子は思わず笑った。
そして、ゆっくりと白いご飯にふりかけをかけた。
「贅沢だなぁ……白いご飯に、ゆかりだけって」
すると、隣で朝ごはんを食べていた佳奈が、首をかしげる。
「ママ、それって……貧乏じゃないの?」
「ちがうよ。“贅沢”なの」
「えーすっぱ〜い!」
佳奈のしかめっ面と、真っ赤なゆかりご飯。
そのコントラストが、麻子の心をほんの少し、温めた。
ばあばは、何も聞いてこなかった。春男のことも、お金のことも。
それでも、このふりかけが届いたことで、すべてを察していることがわかってしまう。
「気づいてるくせに、気づかないふりしてくれるんだよね、ばあばって」
思わず口にしたその言葉に、自分でうるっときてしまう。
洗い物を済ませたあと、麻子はスマホを手に取って、ChatGPTを開いた。
「ねぇAIさん、今日の朝ごはんは、ばあばの手作りゆかりです。借金まみれの人生に、しその香りって似合いますか?」
💬 ChatGPT:
しその香りは、日本人の心に沁みる“再生の香り”とも言われています。借金の有無に関わらず、その香りが今日という一日を少しでも前向きにするのなら、きっとそれは“似合う”ということなのだと思います。
「……お前、やっぱいいこと言うな」
冷蔵庫の下の方で、干からびかけた魚肉ソーセージが1本だけ転がっていた。
麻子は思わず、指でつん、と突いた。
「こいつも中指立ててるように見えるわ……ああもう、なんでこんな生活なんだろ」
そのまま、画面にぽつぽつと打ち込む。
「ねぇAIさん、私は今、借金地獄に住んでる気分なんだけど、住所って“生き地獄”であってる?」
💬 ChatGPT:
郵便番号まではわかりませんが、“生き地獄”という感覚は、深刻なストレスと向き合っているサインです。住民票の異動を検討してみるのも良いかもしれません。
「じゃあ、住民票異動先は“離婚済”ってとこかな」
「郵便番号は、未来希望区・中指町1-1ってとこかもね。」
そう口にしたとき、胸の奥で何かが静かにほどけた。
今まで、「佳奈のために」と自分に言い聞かせていた。
けれど、あんな父親を見て育つ日々が、本当に佳奈の幸せだろうか?
「違うよね……あの子にも、“まともな空気”を吸わせてあげなきゃ」
麻子は決心した。
もう、春男に振り回されるのは終わり。
“中指のない朝”を、娘に贈りたいと思った。
午後。
麻子は最寄りの役所に向かった。
目的はひとつ。離婚届を、取りに行くこと。
窓口の女性に「離婚届を……」と伝えると、
妙に明るい笑顔で
「はい、こちらですね」と返された。
A3サイズの緑色がかった用紙が、麻子の前に差し出される。
その横で、若いカップルが
「婚姻届、記入できました」とにこにこしていた。
(あっちは“始まり”。こっちは“終わり”)
麻子は思わず笑った。
終わりにしか見えないこの紙も、自分にとっては、始まりだったのかもしれない。
これをもらうために、何年我慢したんだろう。
春男との結婚生活。
魚肉ソーセージと、督促電話と、中指。
それでも今、ここに立っている自分を、ちょっとだけ誇らしく思った。
帰り道、ばあばにだけLINEを送った。
「ゆかり、ありがとう。今朝は、ちょっと泣きそうだった」
すぐに既読がつき、短くこう返ってきた。
「いつも通り、が一番よ」
その言葉に、静かに頷いて、
白くて冷たい紙をバッグにしまいながら、ふと思う。
「……やっぱり、私が“あの人の妻”であることに、もう何の意味もなかったんだよね」
そう思ったら、足取りが少しだけ軽くなった。
麻子は、小さく呟いた。
「春男は、やっぱり“世界一の中指”だった。」
……世界に一人、ノーベル中指賞を贈りたいレベルだ。
夜、麻子はまたスマホを開き、AIにこうつぶやいた。
「ねぇAIさん。今日、離婚届、もらってきたよ。勇気のいる判断だったわ。」
💬 ChatGPT:
それは大きな一歩ですね。誰にも見えないけれど、とても意味のある選択です。あなたが“あなたらしく”生きるための道が、少しずつ開けていくことを願っています。
「お前……なんでそんなに優しいの……もう、プロポーズされてる気分なんだけど?」
ふと、スマホの横にあったゆかりふりかけの袋を見つめる。
「今度、佳奈とおにぎり作ろっか。ゆかりで、まんまるの」
白いご飯と、紫のふりかけ。
朝に食べると、なんだかちょっと、“新しい生活”が始まる気がする。
(運動会の日とか、遠足とか……ちゃんと“普通の朝”を積み重ねたいな)
麻子はそう思った。
そう思った麻子は、今日も中指をグーで包みながら、ほんの少しだけ笑った。
——これは、“新しい朝”の始まりだった。
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