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いつか私は、あの山の向こうに行けると思っていた

 私は、町中の人々が全員顔見知りで、名字を言えば住所や親の職業まですぐにわかってしまうような、小さな小さな田舎の町で育った。
その日町の中で起こったちょっと変わった出来事は、翌日には誰もが知っていたし、どこかの家のお父さんがよそのお母さんと不倫したなんて大事件は、10年経っても眉を顰めて語り継がれた。

 誰もが似たような暮らしをしているのに、自分のみならず、遠い親戚レベルの他人までを数に入れて、ほんの僅かな給料や学歴の差を自慢し合ったり。
そこで生まれ、そこで育ち、そこで働き死んでいく人も多いので、子供時代のスクールカーストのような力関係も一生続いていく。

 私はこの町が大嫌いだった。
みんなと同じように、ここで適当な仕事をして、適当な男と結婚して、一生ここに閉じ込められて死んでいくのかと思っただけで、ずっと深海に沈んでいるような息苦しさと閉塞感、自分がすでにゆっくりと死にかけているような絶望に苛まれた。

 中学校の授業中、教室の窓からはどこまで行っても、畑と永遠に続くような果てしない山しか見えなかったけれど。
  私は、みんなとは違う。
  こんな所で一生終わるような人間じゃない。

きっとあの山の向こうには、ドラマや小説に出てくるような、刺激的で胸をときめかせてくれる「恋」や、私の才能を花開かせてくれる「輝かしい人生」が待っている。
そんな事を、毎日空想しながら暮らしていた。

 大人になった私は、夢に見た東京に出てきた。
「恋」は思い出せないくらい沢山したけれど、所詮はほとんどが思い出せない程度の相手だったし、あの頃の自分が信じていた程の才能も実力もなかった。
「何者」にもなれなかったけど、ここで家庭を持ち平穏に暮らしている。

 数年前、生まれてから一度もあの町を出た事のない父が亡くなった。突然の年末の出来事だったため、家族のみの密葬で送り出すつもりだったが、噂は瞬く間に広まり、生前親しくしていただいていたお友達や近所の方が早朝から自宅を訪れ、買い物に出た先々のお店では、お会いした方が皆父の思い出話をして下さった。
かつて私があんなにも嫌った、小さな町で小さな一生を終えた彼は、たしかにあそこで幸福に生きてきたのだ。

 久しぶりに眺めた、あの町と外の世界との境界線のような山は、記憶の中の姿よりもずっと低く小さく映った。
あの山は、ずっと私の心の中にあったんだ。
境界線など、本当は最初からどこにもなかったのに。

#創作大賞2025 #エッセイ部門 #HSP #自分振り返りnote #田舎暮らし

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