偏見を越えて。心が生きやすい社会へ ──助けを求めることが、自然になる未来を
“精神科なんて、よほどの人が行く場所”だ──。
多様性の時代になった今でも、そんな先入観は根強い。
私は精神科で働いているが、現場ではその偏見にたびたび出会う。
「精神科に通っている」と口にしただけで、特別視されたり、距離を置かれることもある。
偏見、差別、家族にすら理解されにくいような現状──。
そんな社会を変えたい。
誰もが認められるような社会になってほしい。
そんな風にずっと思っていた。
数年前のこと。
私は仕事と家庭でのストレスが重なり、心が重くて眠れない日々を過ごした。
頭が働かず、やる気も出ない。
あきらかに、いつもと違う自分に気づいた。
「メンタルクリニックに行こう」
…そう思った。簡単にできるはずだった。
でも、電話をかける手が止まる。
私は、なぜか身構えていた。
「精神科なんて──」
私も、心のどこかで“精神科は特別な場所”だという先入観があったのだ。
その事実に気づいた時、自分自身が情けなく、悲しくなった。
「社会の偏見をなくしたい」
そう偉そうに言いながら、私自身が偏見を持っていたのだから。
思い切って予約を入れると、気持ちがふっと軽くなった。
薬で眠れるようになり、今はあのとき受診して良かったと思う。
精神科の待合室には、声を潜める人、下を向く人、スマホを握りしめる人──。
それぞれが不安を抱えて、静かに順番を待っている。
ある日の診察。
表情はうつむき、震える手で診察室のドアを開けた20代の女性がいた。
診察後、彼女は少し笑顔を見せ、私にこう言った。
「ここに来るまで1年かかりました。でも、もっと早く来ればよかった」
その言葉が、私の胸に刺さった。
彼女は、助けを求めるまでに、どれほどの迷いや葛藤を越えてここに来てくれたのだろう。
心の病は特別なものじゃない。
ストレスが積み重なると、誰だって体調を崩すことがある。
でも、体の病気は堂々と言えても、心の病気だけは隠さなきゃいけない──そんな風潮が、今もまだ残っている。
そして「生きづらさ」は、誰の中にも必ずある。
私もこの仕事をしながら、患者さんの言葉に何度も救われてきた。
だからこそ、助けを求めることを″恥ずかしいこと″にしない社会がいい。
そして「大丈夫?」と声をかけ合える空気が、もっと日常の中にあればいい。
心の病を“特別なもの”にしないこと。
そして、助けを求めることを当たり前にできる未来こそ、
誰もが少しでも生きやすくなるための、確かな一歩になるはずだ。
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