文字を持たなかった昭和 六(長女)

 農家の五人きょうだいのいちばん上のミヨ子は、幼くして弟や妹たちの面倒を見ることになった。

 乳飲み子の世話に加えて農作業にも忙しい母親を手伝うのは当たり前だった。学校から帰っても友達と晩ご飯まで遊ぶ、というわけにはもちろんいかない。水道がない時代水汲みは大事な仕事で、幼いミヨ子も桶を担いで井戸へ通った。当時を振り返って「桶が重かったねぇ」(※7)と語るのを聞いたことがある。炊事もガスがあるわけではなく、かまどに火を起こし薪をくべ湯を沸かし……といったことを、幼いながらにもこなさなければならなかった。

 やがて弟二人がやんちゃに育ってくる。質素な食卓を囲むとき、弟たちは少ないおかずに素早く「つばをつけた」。いちばん上の子はのんびりしているとよく言われる。のんびりしていたのか、遠慮したのか、ミヨ子はいつもそれを眺めているだけだった。「あら、また間に合わなかった(※8)」と思いながら。

 幼いなりに一家の労働力としての務めを果たし、きょうだいの中では常に下の子に譲る。自分はどうあるべきか、周囲を観察しながら考え、口には出さず実行する。あとになってそう分析できるような彼女の性格は、運命づけられたように培われていったのだと思う。

※7 鹿児島弁:タンゴが重(おっ)かったがねぇ。 
 水汲みに関連して思い出した。わたしが子供の頃、母方の祖父母の家(ミヨ子の実家)には子供の背丈くらいの大きな水がめがあった。祖父母が水汲みする姿を見たことはないが、短い坂の下に井戸があり水はそこで汲んでいたのだと思う。昭和40年代、井戸はモーター式のポンプが備わっていたように思うが、それ以前は手動のポンプで、ミヨ子(母)の子供の頃は釣瓶で汲んでいたかもしれない。

※8 鹿児島弁:はら、また間に合(お)わんかった。

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