昭和、男もつらかった 205 「てんがらもん」の長男③ 学校は好き
昭和初期の鹿児島で農家の一人息子として生れ、戦時中は陸軍特別幹部候補生として内外地で戦闘機の整備に当たるも、復員後はふるさとで農に生きた二夫(つぎお。父)の物語。
昭和35(1960)年2月生まれの長男・カズアキ(兄)は、家でじっとしているより外を友達と走り回るのが好きな「てんがらもん」(いたずらっ子)だった。農作業の手伝いは嫌がらずやったが興味津々というほどでもなかった。(②より続く)
できて間もなかった町立の幼稚園には年長クラスしかなく、1年だけ通った。その幼稚園も小学校も、カズアキは嫌がらず、というより楽しそうに通っていた。
隣り合うといっていいほどすぐ近くに、二夫の家と同じように本家から分家した一家が住んでいた。5人いる子供のいちばん下のTさんはカズアキより六つ上で、カズアキたち兄妹は「T兄(あん)ちゃん」と呼んで懐いた。幼稚園でも小学校でも、カズアキは家を出るとまずこのTさんを迎えに行った。おかげで通学は毎日楽しいものだった。長男でなにかと期待の多いカズアキは、身近で頼れる兄的存在を無意識に求めていたのかもしれない。
学校の勉強は「まずまず」といったところ。当時の通知表は5段階評価だったが、体育は文句なしに5、あとは4と3が半分ずつ、1はないが音楽だけは2という成績がほぼ6年間続くことになる。
じっとしているのが苦手と述べたが、教室で騒いだりはしない。その代わり休み時間になるとすぐ校庭に出てクラスメートと走り回った。もちろん昼休みも。学校でたくさんの友達と遊べることが、カズアキにとって日々の楽しみのひとつだったのだろう。そう、「サザエさん」一家のカツオのように。
授業参観にはこの頃はまだ妻のミヨ子(母)が行っていた。そもそも当時、両親が揃って授業参観に行く習慣はない。9割以上の家庭が母親のみで、まれに母親が亡くなったりした家庭だと参観に誰も来ないこともあった。父親が来るのは稀だった。
「ちゃんと勉強すればできるようになると思うんですが」
授業参観後の個別面談のとき、担任の先生からミヨ子は何回こう言われたことか。その度に
「外を走り回ったりするほうが好きみたいですから…。でも家ではちゃんと言うことを聞きますよ」
と「申し開き」せねばならなかった。
友達と遊ぶのと同じくらい、給食も楽しみだった。家で食べるごはんは、明治生まれの祖父母に合わせて――というより食べ慣れないものは避けて――、よく言えば純和風、つまり素朴な田舎料理だった。ミヨ子自身がそれほど料理上手でないし、何より農作業に忙しく料理に時間を割く余裕がなかったのだ。
ミヨ子が作る「いま流行りのおかず」はせいぜいがカレーだが、給食の場合、家ではあまり出ないパンと牛乳は必ず、おかずは食べたことのないものがたくさんあった。
給食に「釣られて」楽しく通う――。カズアキにとって学校はそんな場でもあった。(「てんがらもん」の長男④へ続く)
