文字を持たなかった明治―吉太郎33 家を買う①(嫁の来手)

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ったあと、「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅で明治13(1880)年生れの吉太郎(祖父)のことを述べつつある

 吉太郎については、古い除籍謄本をいくつか参照しつつ一家の成り立ちや構成員について見渡したあと、ハル(祖母)との「婚姻」でようやく吉太郎自身の話題にたどり着いた。その後、戸籍には記載されていない前妻・セキや、お産で亡くなったセキを追うように死んだ赤ん坊のハツエについて述べたところだ。

 さて、時計の針を少し戻そう。

 「31 最初の子・ハツエ」や、noteを始めた頃に書いた「八十一(屋敷)」でも述べた通り、吉太郎は勤労と倹約により自身の家屋敷を購入した。最初の妻・セキはそこに嫁入りしたと仮定すれば大正期の後半のこと、吉太郎は40歳を過ぎていたはずで、当時としては中年から老年に差し掛かったころ、晩婚もいいところだ(それでも戸籍上は、兄が戸主を務める一家の構成員だった点は興味深い)。

 その家屋敷は、どういう経緯でいつ頃買ったのか、孫娘の二三四(わたし)はよく知らない。ただし「吉太じいさんが苦労して買った」ことだけは、家族はもとより近所の大人たちから繰り返し聞かされていた。
 
 それによれば――「八十一(屋敷)」で述べたように――大工さんが自宅用に建てた家を、まるまる譲ってもらったのだという。プロが自分の納得のいくように材料と工法を吟味したせいだろう、梁や柱も立派だった。

 それにしても大きい家で、中年とはいえ独身だったはずの吉太郎が、なぜこんな大きな家を買う気になったのか不思議でならない。いずれ家族が増えるから、と思ったためかもしれないが、それにしては晩婚に過ぎた。

 あるいは、いい年になってちゃんとした家を持たなければ嫁の来手もない、と考えたのかもしれない。もしそうなら、五男でなんの相続も期待できない吉太郎にとって自身の財産を持つことは、年を重ねるほどにますます重要な目標になったことだろう。

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