昭和、男もつらかった 121 引く手あまた② 石切り屋

「引く手あまた① 県庁に…」よりへ続く)
 戦後の男手不足の中、二夫(つぎお。父)にはいろいろな働き口の声がかかった。「県庁に」という口まであったことは前項のとおりである。

 一方二夫は、家(の田畑の耕作)を守ることを最優先にしたかった。なにせ、自分は唯一の跡取りなのだから。とは言え、もし農作業の片手間でできるような仕事があれば手伝ってもいいが…ぐらいの気持ちはあった。

 そこへ願ってもない話が湧いて出た。隣の集落の「石切り屋」から声がかかったのだ。「石切り屋」は地域(鹿児島弁?)の言い方で、つまり石材店。小さな店ながら大小の石材を扱い、墓石も取り扱っていた。農村地帯の「石切り屋」のこと、自前の田畑も持ち自給自足しながらの商いで、大きな商売というわけではなかった。もっとも地域の「需要」はそう多くなく、それこそ農業との兼業でちょうどいいくらいの商いだったかもしれない。

 ここで、2025年前期のNHKの朝ドラ『あんぱん』に話は飛ぶ。このドラマは「アンパンマン」の原作者やなせたかし氏とその妻がモデルになっていたが、妻となるヒロインの実家は石材店という設定だった。

 ドラマの中でも戦争が始まって経済が停滞し、石材店の商売はだんだん衰えていく。石材店で働く青年はヒロインの妹と恋仲になり、店の後継ぎにと見込まれるが、戦争に取られ結局戦死する。その青年の墓石に店主であるヒロインの祖父が銘を入れようとして泣き崩れるシーンもあった。

 二夫の娘・二三四(わたし)はこのシーンを見たとき、父親が戦後のある時期地元の石材店で働いていたことを思い出し、「もしかして」と考えた。石材店の口がかかったのは、働き手自体が足りないという理由のほかに、戦死した人の墓石を建てる(彫る)必要が一時的に高まったせいだろうか、と。もちろん、ことの次第はもはや想像するしかない。

 二夫が石切り屋から声がかかったのには、「字がうまい」という理由もあったのだと、二夫の妻・ミヨ子(母)が語ったことがある。墓石などの銘は筆と墨で書き上げたあと、それをなぞりながら石ノミで彫っていく。二夫なら字を書くところから任せられるということだった、と。

 まだ20歳そこそこの青年にそこまでの仕事をさせたのかどうか。ただ、副業的とはいえ石切り屋での仕事はけっこう長く続いたようで、その間に二夫も熟練していったかもしれない。

 しかし、衛生への備えも管理もまだまだ不十分だった時代――そもそも物資が不足していた――、刻んだ石の粉が舞い上がる中、マスクもろくにせずに作業するような職場は、体によいはずがなかった。そのうち二夫も肺に違和感を覚えるようになる。

 「塵肺」と診断されたのを機に石切り屋での手伝いも辞めることになったが、なんの巡り合わせかその影響は晩年に現れた。これについてはずっと後で述べることになるだろう。

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