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韓国の友人より、デモのあれこれ。

こんにちは。
毎日蒸し暑いだけでも疲れるのに、国会議事堂では『違憲立法暴政JAPANフェス-2026 Summer-』が開催されている。最悪だ。

経済政策も石油危機も外交もそっちのけで悪法ばかり成立する。
内心(もっと焦ってよ!)とメディアと世間に苛立ちながら、あなたやわたしはデモに行く。四方八方へご意見を送る。見たくもないニュースをリポストする。

もし、わたしという人間が420万人ほどいれば直ちに国会を取り囲んで抗議し、明日には『内閣総辞職』の号外が出る。めでたい。時々そんなことを考える。

それでも社会はまだ、つつがなく回っている。TLには楽しそうなジャンルの話題が流れてくる。気が狂いそうだ。

もう疲れた? そんなあなたに!
韓国の友人から、デモのアドバイスを頂いた。どうか一緒に元気を出してください。文章については「他の参加者と意見を交わす際に素材として使われることこそ、私が最も望んでいたことです。」と快諾を頂いている。
本当にありがとうございます。

1.デモの最適解を求めて。

一番気になると思うので結論。

日本のデモのやり方は間違っていない。
同時に、魔法のようなやり方もないので地道に続けるしかない。

肝心なのは、
・絶えず声を上げ続ける
・できるだけ人が多く集まる場所で行う。
・重要な時間帯は朝7~9時、夜18時~20時のラッシュアワー。
・周囲に多少の摩擦を生む。
ということのようだ。

順番に行こう。
メディアが報道に消極的な中「もっと良い方法、何か正解があるのでは?」と不安になるが、今のまま続けるのが一番よいとのこと。友人曰く、

「社会的進歩のため(時には社会的後退を防ぐため)のデモは、韓国でも日本でも、さらには世界的にも、その議題や趣旨が正確に報道されるほどの認知度と支持を築くのはかなり難しいと思います。
デモというのは、現在の社会体制を維持しようとする公権力にとっては、目の上のたんこぶにしかならないからでしょう。

社会の無関心に対する最も確実な対策は、結局『諦めずに絶えず周囲の人に伝える』ことだと考えています。 韓国の既得権も日本の既得権も、抵抗する声が自然に消えていくことを最も望んでいます。 現在、日本の主流メディアはこれを裏付けるために無関心という形で対応していると思います。

日本の主流メディアは、まだメディアとして日本の市民に事実と正論を伝えるべき責任を負うよりも、現在の内閣の神経を無駄に刺激したくないという情けない考えが強いのかもしれません。」

カッコいい。ちなみに、このような抑圧に対して韓国の市民はとにかくデモに参加人数を増やして対抗してきたとのこと。つよい。

以前「始めはデモを無視していた韓国メディアも、規模が大きくなるにつれて報道を始めた」という話を聞いたが、どうも市民の熱意がメディアの心を動かした、のではなく「数が多すぎて報道しないわけにいかない」という力業のニュアンスだったらしい。すごい。

デモ情報の拡散も、今の日本と同じくSNSやYouTubeが主流だったそうだ。主流メディアが政権寄りなのは韓国も同じらしい。

そして、韓国市民にとってデモが馴染み深いのは、日本による植民地支配や軍事独裁政権による抑圧、それに対抗して民主化を求めた市民運動の歴史があるからだ。わたしたちが一朝一夕に真似するのは無理で、成功の側面だけ見ている部分もある。

迷って立ち止まるより、路上に出て声を上げながら日本向けのアップデートを模索するのが良さそうだ。

2.デモの最善策を探して。

しかし、そうは言っても……何か、効果的な方法は……ありませんか……?

日本のデモのメイン会場・国会前は人通りがほぼ無い。「政府への抗議」という明確なメッセージ性を発揮する反面、メディアが沈黙を続けるなら人に伝わらないのでは、と危惧する声は何度か耳にした。

(※7/10、さらに7/19、国会前デモのテレビ放送があった! 書き切るのが遅く、一部齟齬が生じたままで失礼いたします。無論「国会前は無駄」という主張ではありません。)

逆に言えば友人の言う通り、全国各地でこれだけのデモが起きているのに報道が鈍重なのは、政府にとってデモが重大な脅威となっている証拠だ。

わたしたちの声はもちろん届いている。聞こえている。だから政府は怖がって必死に聞こえないフリをしている。権力は、自分たちが監視されること、市民が団結することを何より恐れるからだ。

さて、韓国では2024年冬の尹錫悦政権の親衛クーデター未遂以降「平日は夕方の退勤時間帯以降に、週末は昼から始める」かたちで数か月間、ほぼ毎日デモが開催されていたそうだ。

非常に重大な案件だった当時は毎日、退勤後すぐデモへ向かう市民も多くいたとのこと。このとき、人口の流動が最も集中する朝7~9時、夜18時~20時、いわゆるラッシュアワーが重要な時間帯とされた。友人曰く、

「デモは人が最初から多く集まる時間帯や場所で行われるほど、効果が高まります。
その理由の一つは結局、人が集まることで生じる避けられない多少の不便だと考えられます。
この不便が公権力による弾圧の口実になったり、逆に一部の人々が反感を持つ理由にしようとする一方で、人々に議題への関心を促す以上、多少の摩擦が生じるのはある意味必然です。(中略)

原点に戻り、デモがなぜ人々に力を与え、公権力がそれを抑圧しようとするのかを簡単に考えてみましょう。

結局、デモが持つ力は、人数から生まれる力を単に集めるだけでなく、行進などの方法で行使し、表現することで現れるのです。
この過程で、まだデモに参加していない市民に多少の被害を与えることは避けられないと考えられます。 ある意味では、そのような『多少の被害』こそが人々の関心を引く重要な鍵だと言えるでしょう。」

これは分かる気がする。
翻訳の都合上「不便・被害」と書くと迷惑行為のようだか、社会運動とは凪いだ社会にあえて波風を立てることだ。

ゆえに周囲との「摩擦」を生む必要があるのだろう。多少の違和感、とにかく心理的な引っ掛かりがないと無関心のままでスルスルと通り過ぎてしまう。

友人は『SADD(韓国障害者差別撤廃連帯)』、韓国の車椅子ユーザーたちが「自由に移動する権利」を求めて活動している話をしてくれた。
韓国首都圏の地下鉄はエレベーターが無いか、少なかったり導線が複雑だったり、車椅子・ベビーカー・大きな荷物を持った人が移動に苦労する。彼らは利便性の向上を求め、あえて混み合う朝の通勤通学の時間帯に電車に乗るデモを行っている。

ところが、他の乗客から「邪魔になる」と非難されたり、罵声を浴びせられたりすることもある。公権力、交通局の職員、メディアも非難する市民の側に立ってこれを抑圧しているらしい。(日本語版の記事を見ても「迷惑活動家」のような書かれ方で驚いた。)

しかし、SADDは「むしろ誰も関心を示さなかった時より、今の方が良い」と闘い続けているそうだ。

この「邪魔になる」という言葉だが、裏を返せば物理的な障壁となるヒューマンチェーン(人間の鎖)や座り込みが、非暴力で行われる最大限の抵抗であることにも頷ける。

読みながら感じたが#渋谷スクランブルデモってめちゃくちゃ良いのでは!?

これは一度の青信号で1000人以上が横断し、世界で最も人通りの多い横断歩道と言われる渋谷のスクランブル交差点をプラカや旗を掲げて渡るデモだ。
元々、街宣車や爆音での妨害に対抗して発案されたそうだが、横断歩道を渡るだけなので排除や妨害をされにくい上、見た目もカッコよくて観光客の多い渋谷では海外への発信も期待できる。
すでに通行量の多い各地の横断歩道へ広がっている。

ついでにデモの様子をNHKスクープボックスをはじめ、報道機関にしれっと投稿するのもありだと思う。街中であればそういうことも起こるだろう。

NHKの場合、募集内容は『災害・事故や、自然現象など』とあるが全国でひと月に600件を超えるデモが起こるのはもう政権運営上の『事故』でしょ……。

もちろん個人が特定できないくらい遠目から撮るなど、プライバシーへの配慮は必要だがNHKに『視聴者投稿のデモ映像』を流す気概はないと思う。 

しかし「デモしてたけど、減税ってやらないんですか?」や「プラカードで見ましたが、個人情報保護法改悪なんて報道しましたか?」や「参加者から聞きましたが、愛子様は天皇になれないんですか?」といった声がどんどん寄せられるとメディア内部には作用するはずだ。

低関心層が声を上げ始めると、メディアは報道を始めざるを得ない。実際、ジャーナリズムが機能不全を起こし、知る権利が守られない際の対処法は『ボイコット』『意見を送る』だ。

でも「そんな交通量の多い横断歩道は無いよ~!」という方も多いと思う。わたしの身近にもあまりない……。

基本的なことになるが、どうすれば少しでも気を引けるか?を意識するしかないと思う。

例えば、駅前でスタンディングする際には「いつもよりもう一歩、人通りに近付いてみる」や「人の動線に沿って立つ(駅からバス停へ)」などだろうか。
通行を妨害してはいけないが、せっかく立つのなら素通りされるより「え、何?」と心理的な摩擦が生じる距離感のほうがずっといい。

あとは、地方ではペンライト=デモのイメージが浸透していないことがある。英語イラストが主となるプラカはお洒落だが分かりにくいこともある。「ファシスト・レイシスト」といった単語も知らない人が多い。
予備知識なしで初めて見た人に知らせるメッセージ選びは大切だ。

わたしは地元(規模小さめ)のスタンディングに参加するときはストレートに『高市政権に抗議しています』のような状況説明プラカを持って一番端に立つ。効果は不明だが、デモの報道が始まれば(あ~、あの時の)と見ていた人の記憶と結びつくかもしれない。

そしてけっこう大事なのが、どんなデモでも楽しそうなほうがいい。身も蓋もないが、人間は負けそうな方よりも『勝ちそうな方』に集まってくるらしい。でしょうね!

そのため、楽しそうで活気のあるデモには自然と人が集まってくる。そういった意味でもペンライトデモや旗デモは素晴らしいと思う。非暴力。可愛くてポップ。従来の社会運動にありがちな「参加しづらさ」がない。映像でも映えるし、どんどん続けよう。

3.デモの理想像に寄せて。

「そうは言っても、韓国みたいに上手くいくかな」と不安な方もいるだろう。
恥ずかしながら、わたしも教えてもらって初めて知ったが韓国のデモ規制は日本よりはるかに厳しい。

まず、大韓民国憲法では集会・結社の自由が保障されているにもかかわらず「集会およびデモに関する法律」による規制がある。集会が暴動となって社会の安寧秩序を脅かさないよう、といった名目だ。

こういった法律がある時点で、韓国社会におけるデモの影響力が窺える。

友人が例示してくれたエピソードをひとつ。
この法律で、デモという行為は『複数の人が共同の目的を持って道路、広場、公園など一般人が自由に通行できる場所を行進したり、威力または気勢を示して(以下略)』と定義されている。市民は「綿密な準備」や「デモ参加者数を増やす」、「法律の抜け穴を狙う」などで対抗してきたそうだ。

法律の抜け穴……!?
例えば、ある活動家はこの「複数の人」という文言に着目し「一人デモ」を考案した。これは、多くの活動家や市民が、プラカをリレーのバトンのように渡しながら一人で話さずに立つデモだ。

友人は最初、日本のデモ規制を心配してこの「一人デモ」を教えてくれた。
日本ではむしろ「一人スタンディングのつもりが誰かが駆けつけてくれた!」と喜ばしい話を耳にするくらいだ。場所や状況にもよるのだろうが、韓国の規制はかなり厳しいと感じた。

そして友人曰く、この法律で「介入されるのは主に政権批判デモの他、SADDのような障礙者・性的少数者・女性など権利を訴える進歩的なデモ」らしく、保守・極右的なデモは政権批判であっても保障される傾向にあるらしい。
なんで???

これは取り締まる警察側に、保守・極右的なメッセージに共感する人が多いからだとか……。

例えば6月3日、韓国統一地方選後「投票用紙の不足」を理由に選挙無効デモが起こり、ソウル・オリンピック公園の無断占拠が続いている。
一部暴徒化したデモ隊は『国民の力』(非常戒厳を宣言した尹前大統領所属の右派政党)議員からの支援を受け、警察による強制排除の可能性は低くなったと報じられた
最終的に、彼らは『共に民主党』(左派政党)李在明現大統領が当選した大統領選挙無効の主張を目指しているらしい。
流石に無理がない……?

もちろん、投票用紙不足が悪いのだが(たくさん余ると、それはそれで不正選挙の疑いを掛けられる由)、警察のデモ隊への消極的な対応に「公権力の上層部は、左派政権への批判や極右デモに同調しているのでは?」と市民の疑念を生む状況となり、批判が相次いでいるそうだ。

日本の国会前も、警察が市民ではなく妨害者を守る現状ではあるが、どこも大変だ。
あまり隣の芝を青がらずにいこう。

4.デモの実践編を踏まえて。

先日から少しずつデモの報道が始まった。
最初からやれ。

たとえ手遅れになったメディアのアリバイ作りだとしても関係ない。デモを知った上で無関心な人はともかく、圧倒的多数であろうデモがあること自体を知らなかった人に届いて今後の参加者増に期待が持てる。

どう考えたって、デモ参加者はこれからもっともっと増える。もっと。

公約も憲法も国益も国民も企業も生活も文化も表現も平和も自由も皇室も守らないめちゃくちゃな暴政が続いているからだ。むしろ良くなる要素が無い。守られているのは日章旗くらいだろう。

そして今、声を上げてくれている人たちは、自分にとって大切な何かを踏みつけられているのではないだろうか。日章旗以外で。

わたしは主に、仕事と生活と文化と表現と立憲主義と民主主義からその薄汚い足をどけろ、と思っている。

現政権が、経済政策も石油危機も外交もほったらかしにして好き勝手を続ける限り、市民の生活には皺寄せがくる。TLで楽しい話ばかりしている人たちにだって、無関心層にだって、マスコミや警察にだって、現政権の支持者にだって。

物価が倍になったら、自分や家族の会社が倒産したら、お金を出しても買えない物が増えたら、インフラや公共交通機関が破綻したら、そもそも円が紙切れになったら。
それでも黙っていられるだろうか?

いや、社会に崩壊してほしくないからデモに行くのだが、やはり自分自身に痛みを伴わなければ動き出さない人のほうが圧倒的に多い。わたしもだよ。

顔を背けても視界をちらつく。目を瞑っても崩れる音がする。耳を塞いでも足元がぐらつく。今の日本はそんな感じだ。

それでも口をつぐんでいる人は?
最後まで声を上げないから放っておこう!

みんな大好きエリカ・チェノウェス著『市民的抵抗』によれば「人口の3.5%が非暴力で立ち上がれば社会が大きく変わる」と提唱されている一方で、「最大で5%以上の動員は期待できない」とも示されている。圧倒的にタダ乗りを選ぶ人が多いからだ。

95%がフリーライド、ほぼ全員じゃん。何もしない人のことは何も気にしなくていい。

(7/22 追記。『95%がフリーライド』について、様々な事情でデモに直接参加できない方や「デモに行く人を支える人」がいるため、正確な表現でないことをお詫びいたします。
しかしながら、懸命に声を上げるあなたを、行動も起こさず馬鹿にしたり故意に無視したりする人たちを気にし過ぎないでください。)

それよりも躊躇っている人たちに、一緒に声を上げてほしいとお願いしてみよう。そのほうがずっと建設的だ。

わたしもダメ元で日本の友達にお願いしてみたところ「行ってみたいけど一人で行くの怖いな〜って」とビックリするほど快くデモに来てくれた。本当にありがたい。

最後に、デモに関するやりとりの始め、わたしは友人に「日本では不特定多数の人がいる場所、あるいは趣味のアカウントでこういった話をすると『政治の話をするな』とタブーのように批判されてしまいます。」と愚痴を聞いてもらった。

その返信が最高にカッコよく、きっと元気が出ると思うのでぜひ読んでいってください。

「まず、アカウントを政治的な意思表示に活用しようと決意された勇気を、改めて応援したいと思います。 
『不特定多数がいる場で政治の話はしない』という日本のタブーがあるとおっしゃっていましたが、正直に言うと、韓国でもある程度の違いはあるものの、そう考える人は結構多いと感じます。
正確には『私は左翼でも右翼でもない』と言って知らんぷりをしながら右翼的価値を説くように『政治的な話をするな』と攻撃することが多いと感じます。
つまり、誰も話そうとしないというよりは、誰かが話そうとすると口を塞ごうとする傾向がかなり強いと言えるでしょう。

日本でも残念ながらそのような『行動派』が多いのか、そのような非難(重大な問題であるため、口を塞ごうとする卑劣な試みを『批判』と呼ぶのは私の気に入らないです。)を受けたという点が心が痛みます。

それでも、あなたは最初に下した決断を曲げませんでした。 他の人にはなかなか見つけにくい、実は私にもあまりないと思う勇気があると確信しており、本当に素晴らしく正しい決断を下されたと、個人的にでも応援の言葉を続けたいと思います。

世の中は、正確には既得権層は言うことを聞こうとせず、耳を塞いで無視しようとするため、耳を塞いでも音が聞こえるようにするには結局、話す人が増えなければならないと感じます。
その点で、あなたの決断は結局、デモに参加しようとする人を少なくとも一人増やし、デモの内容に関心を持とうとする人を十人増やし、さらには何かが起こっているという認識を百人には増やしたでしょう

返信を頂いて、泣くほど嬉しかったのでしばらく本当に泣いていた。
ちなみに、この続きは「推しがめちゃくちゃ可愛い」という内容に変わるため割愛させていただく。オタク仲間なので……。

教えてもらってまだ書き切れなかったこともたくさんあるので、別の記事にまとめようと思います。友人の話のほか、書籍で読んだ内容はまた本の紹介もさせてください。長くなりましたが、読んでくださって本当にありがとうございました。

一緒に頑張りましょうね。