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過去の自分は、ビジネスでは救えない──価値創出と「自分を癒すこと」は別の営みなのかもしれない

はじめに──「同じ思いはさせたくない」という願い

「自分と同じ思いをする人を減らしたい。」
そんな願いから始まるビジネスや社会活動は少なくありません。

いじめを経験した人が教育に携わる。
ヤングケアラーだった人が支援活動を始める。
病気や障害を経験した人が新しいサービスをつくる。
ハラスメントを経験した人が、誰もが安心して働ける組織づくりに取り組む。

私自身もまた、自分の経験が現在の活動の原点になっています。
だから私は、決してこのような動機を否定したいわけではありません。

むしろ、人の痛みを知っているからこそ生まれる価値は、本当に大きいと思っています。

けれど最近、一つの違和感に気づきました。

それは、価値をつくることと、過去の自分を救おうとすることを、
いつの間にか同じ営みにしてしまっていないだろうか、
ということなのです。



■活動が順調なのに、どこか苦しい

社会活動やビジネスに取り組んでいる人の中には、
不思議な苦しさを抱え続けている人がいます。

・誰かに感謝される。
・社会に価値を届けられている。
・仲間にも恵まれている。

それでも、どこか心が満たされない。

活動に向き合えば向き合うほど、自分の過去とも向き合うことになる。

そして、ふと気づいてしまうのです。
「どれだけ人を救っても、あの日の自分だけは救えない。」

この感覚は、とても切実です。

でも、それは活動が間違っているからではありません。

実は、役割が混ざってしまっているからなのかもしれないと思ったのです。


■ビジネスは、世界に価値をつくる営み

ビジネスや社会活動は、本来とても外向きの営みです。

・誰かの困りごとを減らす。
・新しい価値を生み出す。
・未来の可能性を広げる。

評価されるのは、「世界に何が生まれたか」です。

一方で、自分を癒す営みは違います。
こちらは、自分との関係を回復することです。

・あれは本当に辛かった。
・あの時の私は、傷ついて当然だった。
・私は私を責めなくてもよかった。

評価されるのは、「私は私をどう見られるようになったか」です。

どちらも大切です。

けれど、目的が違うのです。


■二つを混ぜると、活動そのものが苦しくなる

もし社会活動が、
「これが成功したら、ようやく過去の自分も救われる。」

という条件になってしまうと、活動は少しずつ重たくなります。

どれだけ人を救っても、「あの日の自分は救われなかった」という感覚だけが残り続けてしまう。

逆に、心が苦しい日は、「活動にも意味がない」と思えてしまう。

外側の成果で内側を評価し、内側の状態で外側の成果を評価する。

この二つが混ざると、人は知らず知らずのうちに疲弊してしまいます。


■過去を救えるのは、自分自身だけなのかもしれない

私自身、最近になってようやく、その混ざり合いに気づく出来事がありました。

私は、自分自身の経験について、「あれはハラスメントだった」と、ようやく明確に認められるようになりました。

これまで長い間、ずっと否定し続けていました。

「大したことではない」
「自分が弱かっただけだ」
「そうさせてしまったのは自分の責任だ」

そう思い続けていたのです。

でも、認めることは、相手を責めることとは違いました。

「私は傷ついていた」

まずはその事実を、自分自身が受け入れることでした。

そして、この先には怒りがついてくるのでしょう。

「あれは理不尽だった」
「本来、あんな扱いを受けるべきではなかった」

この怒りは、誰かを攻撃するためではありません。

自分の尊厳を取り戻すために必要な感情なのだと思います。

こうした営みは、残念ながらビジネスでは代替できません。
また、そうしようとすると苦しいことを実感しています。

過去の意味を更新できるのは、やはり自分自身との対話だからです。


■「かわいそうな主人公」から「逞しい主人公」へ

例えば、ヤングケアラーだった人がいるとします。

最初は、

「私は救われるべき存在だった。」

と思えることが、とても大切です。
傷を傷として認めるためです。

でも、その場所に住み続ける必要はありません。

やがて支援活動を続ける中で、

「すべてのヤングケアラーが不幸だったわけではない。」
「苦しさの中にも、人それぞれの人生があった。」

ということにも気づいていく。

そして、ある日、自分自身に対してもこう思えるようになるかもしれません。

「あの頃は確かに大変だった。」
「でも私は、ちゃんと生き抜いてきた。」
「だから今、この活動に向き合えている。」

その時、過去の自分は、

「救われるのを待つ悲劇の主人公」

ではなく、

「愛すべき逞しい主人公」

へと姿を変えます。

出来事は変わりません。

でも、物語は変わるのです。


■呪いを解くということ

私は最近、「癒し」を、「呪いを解くこと」と考えるようになりました。

呪いとは、

「全員を救えなければ意味がない。」
「この経験を社会貢献に変えなければ無駄になる。」
「活動が成功しなければ、自分も救われない。」

そんな、自分自身との無意識の契約です。

呪いが解けるとは、

「やってもいい。」
「やらなくても、自分の価値は変わらない。」

という自由を取り戻すことです。

そして、その上でなお、「でも、やりたい。」と思える。

そこにある活動は、義務ではありません。

創造になります。


おわりにーー希望とは、未来へ向かう自由を取り戻すこと

私は「希望リテラシー」──つまり、どんな状況からでも希望を紡ぎ出す力というテーマについて考え続けています。

以前は、希望とは「出口があると信じられること」だと思っていました。

今はもう一つ、大切なことが見えてきました。

希望とは、呪いが解けた先で、それでも未来を創りたいと思えることなのではないでしょうか。

価値をつくることと、自分を癒すこと。

この二つは対立しません。
同時に歩むこともできます。

ただし、一つの活動に、二つの役割を背負わせなくてもいい。

ビジネスや社会活動は、未来に価値をつくる営み。
癒しは、自分との関係を回復する営み。
別々の川のように流れながら、やがて同じ海へと注いでいく。

そんな関係なのだと思います。

もし今、あなたが誰かのために懸命に活動していて、それでも時々理由のわからない苦しさを感じることがあるなら。

それは、あなたの活動が間違っているからではありません。

もしかすると、ずっと一人で背負ってきた「過去の自分まで救わなければならない」という役割が、少し重すぎただけなのかもしれません。

過去の自分を癒すことと、未来の誰かに価値を届けること。

その二つを、優しく分けて考えられた時。

私たちはようやく、「救わなければ」ではなく、「創りたいから創る」という自由を取り戻せるのではないか。

私は、そんな希望を信じています。


最後までお読み頂きありがとうございました☆

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