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実父の事。その②施設偏

自宅で見守り介護を一年半ほどしていましたが、
その間に、夜倒れて救急車に運ばれる事が2回ありました。
原因は、誤嚥性肺炎と数年前に患った脳出血。
2回とも、長男三男が自宅に居た時に倒れているので、
私は修羅場に立ち会う事なくすんだのがせめてもの救いでした。
そんな状況見ていたら、私は耐えられなかったと思います。

入院するたび、認知症状もゆるやかに悪化していくのが分かりました。
2度目の入院の時から、日記を書かなくなったのです。
父は、若い頃からずっと、続けて日記を書くのが習慣でした。
晩年はよく3年日記をつけていました。

半世紀近く書き続けてきた日記を
「もういらない」と言い出した時、
自宅に連れ戻すのは難しいと判断しました。
退院と共に、介護施設への入所を決めました。

自宅が何より大好きな父は、外食にいくのも好きじゃないくらい、
とにかく自宅に執着していました。
代々伝わる古い旧家で、父は7代目。
家や土地を守る事をかたくなに背負っていた人です。
同然だと思った。

あまり詳しく状況を話さないまま施設に連れていったので、
物凄く怒っていました。
週末、私が子どもを連れて会いにいきましたが、
初めのうちは、迎えにきてくれたんだと喜んで、
荷造りをはじめたり、施設の職員さんにお礼を言ってまわったりしたのです。その様子をみているの、本当に辛かった、、、
一緒に帰るつもりでいたから、いたたまれなくなってしまい、
施設の方にお願いして、こっそり逃げる様に帰ったんです。
そしたら、一緒に居た子ども達が車の中で泣き出してしまった。
息子は「おじいちゃんが可哀そう、また一緒に住みたい」って。
娘は「いづれお母さんもあんな風になっちゃうの?」と絶望した様に
泣きました。
一緒に辛い思いをさせてごめん、って思いました。
だけど、私は一人ではどうしても父に会いに行く事が難しかった。
子ども達が居てくれた事が本当に本当に感謝だし、有難かったし、
心強かったんです。
それに、子ども達にも学びになると心から思いました。
私の母親は、祖父の介護の大変さを、
私に一切見せないようにしていたから。

何度か、施設から電話がかかってきました。
施設の方から、父がどうしても私と話したいとの事だった。
「迎えにきてくれないか?」と言われる事がほぼだったけど、
一度だけ、
「お前は俺を置いていったな」と怒られた。
普段怒られる事がほとんどなかったので、本当に悲しかったです。
しばらくすると受け入れて、自分の状況を理解してくれました。
施設の方は「理解されるの早いほうですよ」と褒めてくださいました。

週に一回、施設に会いに行って、お昼ご飯を一緒に食べたのですが、
だんだん食が細くなって、食べるのにすごく時間がかかるように
なっていきました。
そして、食後は、自室に戻り横になりたい、と言うようになった。
部屋まで送っていって、布団をかけてあげると、
「また来てくれよ、、、」と、
ベットの中で小さく丸くなって泣いていました。

威厳があって、頭がよくて、ただただ尊敬していた大きな存在だった父の、そんな姿を見るのが、
毎回辛くて堪らなかったです。

長くなったので次で最後にします。

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