母との関係の再構築のために、今思うこと💗
私は義父母、実父を亡くしてから、退職をして、母と過ごす時間が多くなりました。
苦手に感じていた母のそれまでは見えなかった老いていく姿を感じて、母を大切にしなければ、と感じる日々も過ごしてました。
大人になった私は、全てを受け入れようとしていましたし、母を大事にしたいという気持ちも感じていました。
ところが、2年前に叔母との関係であまりに辛い出来事があり、前を向いたり諦めたりしながら、それを胸に抱えつつ、喜びや感謝を感じながら生きようとしてきたけれども、時々その痛みが再燃するような出来事がありました。
そんなまだまだ乗り越えられないことを☟の有料記事で書かせていただきました。
今回のこの記事も有料記事にさせていただこうと思います。
この記事は、以前届けられていた虹色通りの有料記事「私の「強みの資質と盲点」と「自己基盤」を紐解く」でも書きたいと思っていて、なかなか整理されず書けずにいたことをやっと今たどり着いた、本当に個人的な思いのアウトプットだからです。
ご理解くださいませ。

人生で最高に落ち込んだ叔母の私への全否定を体験し、母や親戚には「病気だから仕方がない」と言われながらも、私なりに一生懸命叔母のためと思ってやってきたことを誤解され、ひどい仕打ちをうけたことで、その切なさや辛さは深く胸に突き刺さり、痛みのように感じるほどでした。
それは、叔母に否定されたこと以上に、私の辛さを母や親戚の誰にも真正面からわかってもらえない切なさでした。
私にとっては、彼らの私への否定に感じました。
彼らは、どうにもならないことに悩み苦しんでいる私をなだめようとしていたのかもしれませんが、辛すぎた体験と私の心の狭さからか受け止められない私がいました。励ましも返って辛い時もあると知りました。
(ちなみに夫や子どもたちには、あえてこの辛さは言っていませんでした。母や親戚への思いを伝えることに躊躇したからです。それが余計私を孤独にしていたのかもしれないと今は思います)
そして、この事に関連しなくても、日常的にも否定されること、受け入れられないことに今まで以上に敏感になり、今までの人生で何度も何度も繰り返し私に送られているメッセージを受け止め切れませんでした。
自分なりに「否定しないルール」などの本を読み、自分こそが否定していたのかもしれないと気づかされたり、自分を自分で非難したり、自己肯定感が下がったり、逆に前向きになろうと思ってきたけれど、それでも、繰り返しのメッセージはなんで起こるのか?私の強みの資質がうまく使えないないからなのか?シチュエーションは違っても繰り返し同じような痛みを感じるのは私がダメなのか?、私の弱さなのか?と思い、コーチングを受けたのです。
その時には母との関係を私自身はあまり意識していなかったのですが、コーチが私の話を聞いた後、私の資質についてではなく、
「お母さんに思いを伝えてみて!」と言ったのです。それが「自己基盤」を紐解く鍵になると…。
でもアドバイスを受けたその時点ではその言葉の意味を深く理解できず、結局何を伝えれば良いのかもわからず、そのままにしてしまいました。
その後、叔母との関係で母が私の気持ちを全くわからずに言った言葉に、初めて怒りのような気持ちが溢れて母に思いをぶつけたのでした。
悲しみは怒りになるのですね。
私が母に泣きながらぶつけた言葉は・・・
「私を見て」「私の気持ちをわかって」「私の辛さなんてお母さんは全然わからないんだよ」「お母さんのために叔母ちゃんのサポートをしてきたんだよ」「私の小さい頃のことなんか、何も覚えていないのでしょう?」「お母さんは私より叔母ちゃんが大切なの?」「叔母ちゃんに会いに行かないで」というまるで子どものような叫びでした。
今まで言えなかった溜まっていたものを全て吐き出すかのような・・。
☝の有料記事でも書きましたが、4歳離れた弟が内反足という障害をもって生まれたので、母は弟が生まれると弟にかかり切りになり(今では内反足の治療は進んでいますがそのころは理解が少なかったようです)、さらに弟が生まれたことで「障害児教育」に心と時間を注ぐようになりました。
その中で、私は良き子ども、良き姉で居続けました。弟が生まれてから、何とも言えない寂しさは感じてきましたし、それでも母を困らせないことが私の役目だと思っていました。
だから、運動会に来てくれなくても、卒業式に来てくれなくても、さらには弟の授業参観には出ても私の授業参観には出てもらえなくても、文句を言ったことも無かったのです。
そのころの思いは過去記事に書いていますので、ここでは省略します。
それが、叔母の入院、施設への入居、等のサポートをすることで叔母にも母にも認めてもらっていることが私の心地よさだったのかなと今は思います。
母にも叔母にも頼られている喜び、信頼されている喜び、承認される喜びだったのだと今は振り返って思います。
たぶん、私の心の中で、母に「恵子が大切と言われたい」という気持ちはずっとあって、でもそんなことはないことも感じているから怖くて何も言えなくて、結局、初めて冷静ではない状態で大泣きをしながら伝えてしまったのだと思います。
それでもその時でさえも、母は私の気持ちを理解してくれなかった。
なぜ恵子が「妹に会いに行くな」と言うのか、理解できなかったのだと思います。
なので、そのあと私自身が少し冷静になってから、私の気持ちを手紙にして渡しました。手紙には、
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