見出し画像

子どものころ、「かぎっ子」だった!

 私の両親は二人とも教員共働きで、私はずっと「かぎっ子」だった。
「かぎっ子」という言葉を知っている人も今は少ないかもしれない。
昭和30年代後半からの高度経済成長時代、共働きの両親が増え、「かぎっ子」と言われる子ども達は多数いたのだ。
「かぎっ子」とは、小学生くらいの子どもが家に帰るときに自分で家を開けること。わが家は弟もいたので鍵は「牛乳瓶の箱の中」と決められていた。(昔は、毎日牛乳が配達されていた。)
今では、「学童保育」があり、「かぎっ子」の子どもは少ないかもしれない。

 私は小学校3年生のころには、両親が出勤してから、自分で家の鍵を閉めて登校していたし、学校から帰ってきたときも自分で鍵を開けて、時にはご飯を炊いたりもしていた。今思えば怖いことだけど、ガスの炊飯器にマッチで火をつけていた。

 私の家は学校のすぐそばだったので、友達が学校帰りに寄っていくことがあった。
 ある夏の日、友達二人が私の家に寄ることになり、私ものどが渇いていたので、カルピスを入れて出した。でも氷を入れずに水で割ったカルピス。自分一人で飲むときはそうしていた。
すると友達に「Kちゃんの家のカルピスはあったかいね」と言われた。
私なりに精一杯おもてなしをしたのに・・。その言葉は今でも決して忘れることができない。

 そんなある日、友達の「誕生会」に招待され、学校が終わった後みんなで友達の家に行った。専業主婦だったお母さんが、手作りのケーキやら、冷たい飲み物(もちろん氷いり)やらを出してくれて、みんなで写真も撮って、本当に「羨ましいな」と思った。

 そして、私も自分の誕生会を開きたいと思ったのだ。
もちろん、父や母には一言も言わず、自分で勝手に友達に招待状を出した。その日が近づくのに、招待状を出したことを父や母に言うことができず、ドキドキしながら、当日の朝やっと「実はね・・・」と伝えた。
でも友達を招待した時間なんて教員である父や母が帰って来られるわけがない。なので、自分で家にあるお菓子を出して、またまた精一杯のおもてなしをしていたら、いつもよりずっと早く母が帰ってきてくれた。そのうち父もケーキを買って帰ってきてくれて、友達とみんなで写真を撮った。その時の写真の私はとてもうれしそうに映っている。

そんな私だったが、「かぎっ子」であることや、お家にいつもお母さんがいる友達が羨ましくても、文句も不平も言わずに両親の共働きを支えるために「良い子」だった。
でもだんだん両親の代わりに食事の準備をしたり、弟の面倒をみたりすることが切なくなっていたのかもしれない。

 私は両親が出勤してから学校に行っていたので「ばれない」と思い、突然学校に行くのをさぼりだした。つまり登校拒否。学校で嫌なことがあったのでも、家で何かしたかったのでもない。ただの反抗心だった。反抗というより、何かを誰かに伝えたかったのかもしれない。

 二日目に、学校の先生から母に連絡があったようだ。当たり前のように家にいた私にびっくりした母は「どうして学校に行かないの?」と訳を聞いてきた。
私は「おなかが痛かったんだ」と言い続けていた。でもそんな理由が通るわけがない。
そしてとうとう「お母さん、お仕事を辞めて!ずっと家にいて」と泣きながら訴えていた。私の本音はそれだったんだとその時自分でも気が付いた。
母はとても困った顔をしていた。母は教師という仕事に誇りを持っていた。知っていたからこそ私はため込むまで言えなかったんだ。

 次の日、本当におなかが痛くなった。でももう休めなかったから学校に行った。学校に行ってもおなかが痛くて、熱も出てきた。
担任の先生が母に電話をして迎えにきてもらい、そのまま病院へ・・。
検査をしたら炎症反応もあり、すぐ入院、「盲腸」が腫れていて手術が即必要ということになったのだ。子ども心に嘘をついて「バチが当たったんだ」と思った。
ベッドで寝ながら手術室に運ばれていく時、ふとそばにいる母の顔を見たら母の目に涙が溢れていた。私はその涙を見たときに「私のために泣いてくれている。もういいや、母に仕事辞めてって言うことはやめよう」と思った。手術が終わってからそれを母にも伝えた。私の言葉を聞いてまた泣いていた母だった。

 教員だった両親は、同じころに行われる私の行事(授業参観、運動会など)は欠席が当たり前。(弟の授業参観には出ていた。弟の体と心のことは心配だったから。たぶんそれが精いっぱいの休み方だったんだと思う)
 ある年の運動会の日、父は私と同じ日だったのに、昼休みに一瞬抜け出して見に来てくれて友達と一緒の写真を数枚撮ってくれた。
 また小学校の卒業式の日に式の時間には来られなかったが、式が終わった後、庭でみんなが写真を撮っている時に、父が駆けつけてくれた。
卒業式には全く泣かなかった私だったけど、庭で父を見たときに号泣してしまった。桜の下で号泣した私の写真が残っている。父は私達家族の写真をいつも嬉しそうに撮っていた。

 そんな両親に育てられた私は、ずっと専業主婦が夢だったが、結局共働きの道を歩んでいた。
時代も変わり父や母の時よりも休みがとりやすくなり、子どもの行事にはほとんど参加できるようになった。
私が子どもだった頃に感じた思いはさせないようにしようと私も家族優先で努力してきた。とはいえ、保育園、学童保育という生活では寂しい思いもさせていたかもしれない。

 それでも一度私が「ママが仕事辞めたほうがいい?」と子ども達に聞いた時に、「大丈夫だよ、ママは職場で必要とされているんでしょ。やめる必要ないよ」と言ってくれた。その言葉を聞いて仕事も家庭も頑張っている私の姿を分かってくれているのだとやはり号泣した私だった。

 結局、両親と同じ共働きの道を歩んだ私。今になって両親がどれだけ悩みながら、仕事を続け私を育ててきたのかがわかるような気がする。子どもの学校での様子を見ることができないことがどれだけ切なかったか身に染みてわかる。
優しかった父も3年前に天国へと旅立った。そして母も87歳。今、母と過ごす平和な毎日を幸せに思っている。

#かぎっこ
#共働き
#子ども

いいなと思ったら応援しよう!

恵子@mix8853 サポートありがとうございます!感謝感激です💛