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私の歩みは、全て私が引き受けるべくして与えられた恵みだった☆

今日は退職する2年前、実父を看取って、次の年、義父母を続けて看取った経験、
そして退職してから、今サポートしている4人について、を書いてみたいと思います。

今までそれぞれとの関係はいくつかのnoteで書いてきました。
この記事を読み終わった後でも、一人一人との関係の詳細を知りたいと思ったら、以下のマガジンを読んでいただけたら幸せです☆彡

色々な私の家族との物語が網羅されています。
もちろん無料です(笑)


今日は
「私の歩みは、全て私が引き受けるべくして与えられた恵みだった」
をテーマに振り返ってみようと思います。

実父の最後

父は教師でしたが、退職後は、母と一緒に「障がい者の作業所」を設立、運営していました。
かたわら、花を愛で、農作業を楽しみ、人を愛し、人に愛される人で、私は父の笑顔しか思い出せません。

そんな父でしたが、晩年は病との闘いの日々でもありました。
がん、心筋梗塞、重症筋無力症、腎臓病、そして最後は透析の日々。

何度も甦った父でしたが、最後は
「肺血症」となり、倒れて二日後に亡くなりました。

私は仕事をしていましたが、父が救急車で運ばれた連絡が入り、すぐに駆けつけ、次の日も休みをもらってずっと父のそばで過ごしました。
そして、母が少し休んでくると家に帰り、私一人で父のそばにいるときに父を見送ることになったのです。

最後まで意識のあった辛そうな父に、私は
「眠れるといいね。寝ていいんだよ」と体を擦りながら声をかけると父はしっかり頷き、それからすぐに息を引き取りました。

父は「延命処置はしたくない」と言っていたにも関わらず透析を薦め、最後も辛い透析中でした。
看護師や主治医に、私から「透析は止めてください」と頼みましたが、「今は止められない」と言われ、繋がれたままの死であったことが、時を経ても悔やまれます。

でも、亡くなってからの父の満足した幸せそうな笑顔を見たときに赦されていると思えました。
今でも、時には蝶になって、青空から私を見守ってくれていると信じています。

義父の死

実父が亡くなり、半年ほどして、義父から夫に電話がありました。

「大腸がんになってしまった。今度通院の時に一緒に主治医の話を聞いてほしい」と…

夫と私で義父の主治医の話を聞くと、「ステージ4の大腸がん」であること、「手術をするかしないか」の相談をされました。

義父は、はっきりと「手術をする」と…

その頃、義母は介護が必要な状態だったので、義母をおいて死ねないと思ったのでしょう。

手術は成功。
退院してからの義父は義母のために介護の相談をしたり、手すりをつけたり、精力的に動いていましたが、半年後再発。

再入院してから、1ヶ月も経たないうちに亡くなりました。

義父の亡くなる前日、いつもは遅番の日には病院に行かなかったのですが、その日職場に携帯を忘れたので嫌な予感がして珍しく遅い時間に顔を出しました。

一言二言、会話をしたあと、
「では帰りますね」と言うと、
帰り際に
「いつもありがとな」と笑顔で見送ってくれました。

その次の日の朝、誰に看取られることなく、義父は病院で亡くなりました。

私が義父と最後に会話を交わした家族でした。

義母の死

義父を亡くした義母は、すっかり気力も体力も失われてしまいました。
ほぼ引きこもりになり、フレイルの状態。
出てくる言葉は
「死にたい、死にたいのに死ねない」と、泣くのでした。

少しでも義母に前向きに生きてほしかったので、デイサービスを利用できるよう介護認定を受け、介護2と診断されました。

それでも母は義父を追うように、義父の四十九日の納骨を予定していた、まさに、その日に亡くなったのです。
義父の四十九日のお清めを予約していた会場が、母の葬儀のお清めになりました。

亡くなる二日前、義母の体調が悪くなり意識状態も悪いと義兄から夫に電話が…

すぐに夫と二人で夫に実家に行き、救急車を呼び入院。
発熱もしていて、重度の肺炎でした。

亡くなるまでの2日間、酸素を体に送られて義母はとても元気になりました。
私は入院してから、仕事帰りに必ず顔をだしました。
今まで話すのも億劫がっていた母が、私がお見舞いに行くと看護師に怒られるくらいおしゃべりになりました。

子ども達(夫は男ばかりの三兄弟でした)への思いや私に頼みたいこと、遺言のように話してくれたのです。

酸素が入らなくなるので、話すことを止められた私は、スケッチブックを持っていって文字での会話をしました。

亡くなる前の日、やはり義母と最後に会話したのは私でした。
最後の笑顔を見たのも私でした。

思い起こせば、母方の祖母が亡くなるときも私が一人看護をしていたときでした。

私は私の身内の最後を見送る「おくりびと」なのかもしれないと今は思っています。

義父母を見送る

義父の葬儀には義母は出られませんでしたので、義父母とも私が親族の女性側の筆頭になりました。

義父母の子ども達である夫の兄は喪主、そして夫と弟も義父が地域で活躍(区長、民生委員、歩こう会やラジオ体操の役員等)をしていたこともあり沢山の参列者への対応もあったので、事務的なことは全て私が取り仕切りました。

義父は会社を運営し、工場も持っていたので、相続・動産・不動産の処理も大変でしたが、私は仕事をしながら、行政書士の友達に相談しつつ取り組みました。

でもさすがに相続や工場の解体、不動産売買などを仕事をしながらやりきるのが大変であり、また、それをやりきるには家族問題も課題であることを知り、「終活」の学びを始めて、退職を決意したのでした。

退職したのは、2人を見送った半年後でした。

死のサポートから生きるサポートへ

私は上記でまとめたように、家族の人生の最期の時を共に過ごし「おくりびと」をしてきましたが、今は、身近な4人の生きるサポートをしています。

◎義兄の病気

義兄についてはnoteでも書いたことがなかったかもしれません。

義父母と同居をしていた義兄は結婚をしていなかったので、一気に義父母を失い、多分ストレスも大きく、無表情になり、手の震えや歩き方もぎこちなく、体調が悪そうでした。

その症状から、脳神経の病気かもしれないと思った私は、退職してから義兄を説得して脳神経外科に連れていきました。

色々検査をした結果、
「パーキンソン病」であることがわかりました。

今はお薬で調整をしながら、症状は安定していますが、手足が動きづらいため、梯子から落ちて骨折をしてしまい、入院、手術もしたので、その通院や介助も私がしました。

義兄は夫の実家で一人暮らしをしています。
大きな家や庭の管理がなかなか出来ないため、手伝おうとするのですが、「自分でやる」と言い、なかなかサポートができません。

でも私には心を開いてくれているので、一ヶ月に一回は訪問をして、一ヶ月に一回はラインをして義兄の様子を見守っています。

そして、「自分でやりたい」との気持ちがある限り、見守りながら応援したいと思います。

これから一人暮らしが出来なくなるときも来るかもしれません。
その際も心を込めてサポートしようと思っています。

◎叔母の件

2022年になってから、
1月13日に叔母が「小脳出血」で倒れて入院、退院、有料老人ホームへの入居や、マンションの片付け、契約していたものの解約や公正証書作りをサポートしてきました。

今は「任意後見人」になるに当たっての手続きを進めています。
また、今は東京の老人ホームにいますが、将来は群馬の老人ホームに転居することも含めて検討中です。

叔母の件は、マガジンに詳しく書き綴っています。

◎弟の件

弟は4月28日に「くも膜下出血」で倒れて生死をさ迷い、生命力によって命が繋がれ、一ヶ月経った今は転院して、リハビリに励んでいます。

弟が退院して、わが家に帰ってくることを母と一緒に焦らず待ち望もうと思っています。

弟の件も、最近noteに投稿していますし、マガジンにも納めています。

◎母の件

母は元々リューマチを持ち、早期退職をしていました。
さらに車の運転は出来ないため、買い物、通院、等はサポートが必要です。

弟がいるときは弟がそのサポートを手伝ってくれていたのですが、今は全てそれを私がしている状態です。
母の通院は、整形外科、眼科、内科と3つあります。

叔母の件、弟の件で、ますます母と話すことも多くなりました。
母との葛藤もありましたが、今はそれも乗り越え、母を明るく支えることも私の役目です。


「私の歩みは、全て私が引き受けるべくして与えられた恵みだった」



私は実父の死、義父母の死を見送り、
今は、義兄、叔母、弟、母の生きるためのサポートをしています。

人から見たら、良くやっていると言われるし、そうに思われるかもしれません。

でも私は、その歩みが全て
「私が引き受けるべくして与えられた恵みだった」
と思っています。

他の誰にも出来ない、今は退職したからこそ出来る私の使命!!
そして、それは私への「恵み」だと・・。

不思議なことに、必ずひとつの大きな山が終わり、次が始まるのです。
見えない力に守られていると思っています。

もちろん4人とも終わりはなく、継続してサポートは必要ですが、そのサポートが嫌だと思ったことはほとんどありません。

まさに、私に与えられた使命、そして恵みだと受け止めているのです。

夫と共に

そして、
4人のサポートをしながらも、夫が私を支えてくれています。

義父母を見送り、義兄のサポートをしている私にいつも感謝をしてくれますし、私が無理をしないよう、義兄はもちろん、叔母や弟のサポートを車の運転などで一緒にしてくれますし、時には旅に連れ出し、一緒に畑仕事をしてくれ、私の母を自分の本当の母のように関わってくれています。

夫がいなければ、私は私の使命を全うすることは不可能です。

夫には心から感謝しています💛💛

そんな夫と私には夢があります。

☆彡母と叔母を連れて、二人の父(私の祖父)が、生まれた「三浦半島」に連れていくこと

☆彡弟が退院したら、母と弟を連れて、温泉旅行に行くこと

☆彡できたらその旅には、私達の子ども達も参加すること

そして、様々が落ち着いたら、

☆彡夫婦でまだ行っていない場所を旅すること

そんな夢を持ちながら、日々旅のYouTubeを見ながら、バリアフリーの宿を探しています。

私がnoteに体験したことを書く理由

私の体験は、多かれ少なかれ色々な形で、きっと誰もが経験することだと思います。

私が体験を語ることで、誰かの何かの役に立てばこんな嬉しいことはありません。

だから、私はnoteで、経験を綴っています。

さらに私は、人生の最期や介護の話だけでなく、

だからこそ、
そう、だからこそ、
大切なひとりひとりの人生を

「喜んで(感謝して)豊かに生きる素敵な人生」を送ってほしいと思うし、私も送りたいと思っているのです。

人と交わり、家族と交わり、
自分の居場所を作り、
思いを語る場所があること

noteを通して語りあい繋がり合う場、
オンラインで語りあい繋がり合う場、
リアルで語りあい繋がり合う場、

が誰にでもあると良いなと思っているのです。

だから、私は仲間と共に「夢☆相談室」をやっているのです。


私達は決して一人では生きていけない。
支え、支えられ、生きています。

そして、きっと誰にでも、それぞれの使命があると思います。

使命を、全うするためには、心も身体も出来るだけ健康で、自分自身が自分らしく幸せであることが大切ではないでしょうか。

私はサポートできる愛する存在がいることが幸せです。

共にサポートに取り組んでくれて私を支えてくれる夫や家族、応援してくれる仲間がいることが幸せです。

これからも私は自分が幸せで、私の身近な人も幸せになれるよう愛を込めて共に生きていきたいと思います。

今日も長い長い私の話に
お付き合いいただき
ありがとうございました
m(__)m


今日の「ヘッダー画像」は、くーや。ちゃんの画像をお借りしました。
くーや。ちゃん、素敵な画像をありがとうございました💛

 

「夢☆相談室」の6月のワークショップへの参加は、以下の記事からお申し込みください。

残席1名となっています。


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