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「手を抜く」と「リラックスする」の違いをnoteで考えた

仕事において、サボるのはご法度です。

周囲の人へ迷惑をかけるし、
業務効率は悪くなるし
なにより自分への評価も下がる。

サボる。

いわゆる「手を抜く」行為は、
勧善懲悪かんぜんちょうあく側”にあたる状態でしょう。


反対に、
「リラックスする」は
素晴らしい結果を生むためにも必要な状態。

重度に緊張していては、
できるものもできないし
本来のパフォーマンスを発揮できない。

ほどよく心に余裕を持っているほうが
結果として仕事は捗るし、
最高の評価を得られるチャンスに恵まれます。


手を抜く=結果につながらない。自分本位
リラックスする=結果につながる。他者貢献


さて、こうした考えは
仕事にたいして言えること。

この場では、
わたしたちはnoterです。

創作する人間です。

読む人を楽しませる。
見る人を喜ばせる。

作って届けて、それで良し。


つまりは、作品を作るうえで
手を抜いていいしリラックスもしていい。


だって、サボって手を抜いても
画面の向こう側の読者からすれば
「あっ…、そうですか」で終わり。

リラックスして作品を作っても
「楽しそうで良かったですね」で終わり。

作者の状況や状態には興味なく、
大切なのは渡される作品だから。

もちろん、作品をとおして
つながりを持てた人の場合は、
そのかぎりではありません。

ここでは、
創作するうえでの入り口の話しです。



タイトルにある
「手を抜く」と「リラックスする」の違いを
noteにおいて考えてみると…

ズバリ!!


どちらでもいい。


(元も子もない😓)




「では、なぜ
 今回の記事を書いたんですか!」


という問いにたいして
第三の答えがあったりします。


それは、
完成品を届けるにかぎる!という別の答え。


けっきょくは、noterとは、
読者の手元へ作品を届けられないなら
なにも価値は生まれないのです。
(悲しい生き物ですね…)




✔投稿してこそ
 価値がある

手を抜こうが、リラックスしてようが
記事を書きあげて投稿しないことには
意味はありません。

それは作者側の言い訳。

読者にとっては、提供される記事を読んで
「これはいい」「こっちは悪い」と
判断基準するだけの話し。

とーーーー…っても、シビアな話ですよね。


どれだけ優秀な頭を持っていても、
知識が豊富で多彩な能力を持っていようとも
noteの場合、創作物を投稿しないならば
価値基準はゼロ

そもそも、世に無いのだから
判断しようがありませんよね。

noteにかぎらず、
世の中の創作物と呼べるものは
例外なく該当することでしょう。

出さないなら無いのと同じ。


あの「ゲルニカ」や「アヴィニョンの娘たち」、
「泣く女」でおなじみのパブロ・ピカソ

そのピカソの
世に送り出した出展数をご存知でしょうか。


油絵と素描:およそ1万3,500点
版画:10万点
挿絵:3万4,000点
彫刻と陶器:300点

ウィキペディアから引用

なんと!!


総勢、15万点ほどの作品を作り出して
出展しています。

とうぜん、公表した作品以外にも
出ていない未完成の作品も含めれば、
それこそ100万は超えるのではと考えます。


知る人ぞ知る超有名なピカソですら、
ここまでの作品を出展し続ける意味。

やっぱり、世に送り出して
周囲に評価されてこそ
作品へ価値が生まれる証拠ともいえます。









手を抜いていいんですよ。
サボっていいんですよ。

リラックスしていいんですよ。
気持ち良くなっていいんですよ。

でもね。


「作品を作りあげる」という点では、
そこまで重要視されません。

あくまで、上記の状態は
「過程」の話しであって。

大事なのは、
作品を作り上げて投稿すること。


文章であれば書きあげること。
絵を描くのであれば描きあげること。
動画であれば、映して編集し終えること。


そこの考えは
外さないように気をつけないと、
自分側の主張ばかりを強調しすぎてると
沼にハマります。


何のために作品を作っているんだろう…

てね。



作品を待っている人ありきなんですよ。

だから、
「また、作ろう!」という気持ちにもなれるんです。



う~ん…

あらためてnoteという街は、
いろいろな気づきを提供してくれるな。

キーボードを打つ手は、
かじかむけど。


では、また。
失礼します。



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