「俳優になる」夢をあきらめ落ちこぼれていた僕が、家庭を持ち人生の再スタートを切るまで。
初めまして。いつもnoteを読んでくださる方は、こんにちは!
三浦まさひろです。
Webライターになってから知り合った方が増えてきたので、改めて自己紹介記事を書こうと思います。
僕は岡山の小さな村で生まれ、18歳で上京して俳優を目指し「映画に出演したい」という夢を叶えましたが、俳優を続けることを辞めました。
その後、会社で働くようになりましたが、どの会社でも長続きせず「僕は社会不適合者なのか」と悩んだ日々を経て、気づけばフリーランスのPMO兼Webライターになっていました。
今では人生のパートナーと出会い、ステップファミリーという形の家族を持ち、パートナーと息子と暮らしています。パートナーは犬と猫も飼っていたので、3人と2匹の家族です。
順風満帆とは程遠い道だったけど、どの経験も今につながる、必要な経験だったと思えます。
「波乱万丈」という言葉がぴったりの、僕のこれまでの人生を、少し長めに綴ってみました。
岡山の村で生まれ育った僕
僕は岡山の自然あふれる村で生まれ、山に囲まれた倉敷という町で育ちました。家族は両親、祖父母、姉、妹、犬一匹。7人+1匹のにぎやかで温かい家庭でした。
小学校3年生までは明るく元気な子だったけど、クラス替えで仲の良い友達と離れてから、人見知りになりました。教室の隅でいつも一人ぼっち。水泳を辞めて太りだし、視力が落ちてメガネになり「ちびデブ眼鏡」になった小学校高学年時代。いじめにも遭いました。
学校が終わったらまっすぐ家に帰って、大好きな映画に夢中になる毎日。家族といる時間や、映画を観ている時間は楽しいけど、小学校での生活は苦痛でした。
劣等感だらけの僕が、変わり始めた中学時代
「スラムダンク」の影響で中学ではバスケ部に入り、1年生のときにスタメンに選ばれたものの、最初に試合で活躍できずレギュラーから外されました。丸顔だったことから「たこ焼き」なんてあだ名をつけられてました。中学校に入ってもいじめられる日々で、人生に嫌気がさしていました。
そんな中で、初めて映画館に行ったときに観た映画『スパイダーマン』が僕の人生を変え始めました。不器用で冴えない青年が当時の自分とリンクし、そんな青年がヒーローになる物語に、自分を重ね「僕にも何か可能性があるかもしれない」と思いました。
中学校3年生のとき、美術の先生に「三浦くんは美術に関してこの学年でトップ3に入る実力がある」と才能を認めてもらったことが印象的でした。初めて人に評価された出来事でした。
今は同級生にバカにされてばっかりだけど、大人になったらこの中学校で一番といえる人になろうと思い、将来のことを考え始めました。大好きな映画と、得意な美術を掛け合わせて、将来はCG(コンピュータグラフィック)の仕事をしようと思いました。
高校は、CGが学べることと、中学時代の"いじられキャラ"を払拭できるよう、あえて誰も知り合いのいない学校を選びました。
高校デビュー、そして運命の出会い
高校では、思いきって“高校デビュー”しました。髪型を変えて、眉毛も整えて、雰囲気もガラッと変えた。
中学時代にはなかった人間関係が築けて、人生初の彼女までできて。「人はここまで変われるんだ」って実感しました。
でも、CGが学べると思って入ったクラスでは、デザインの基礎がメインで、CGの勉強ができないことが気になっていて。高校一年生の夏休みに、親にお願いをして、東京で開かれていた専門学校のオープンキャンパスに一人で行ってみたんです。
そのオープンキャンパスではCG体験コースと俳優コースがあって、俳優コースの先生から言われた一言が、僕の人生を変えました。
「君、俳優を目指してみたら?」
まさか自分が、と心躍りながらも「自分にはできない」と諦めてしまっていることにも、違和感を覚えました。まだ15歳なのに、これから何十年も人生は続くのに、やってみなきゃわからない。
その瞬間「俳優を目指そう」って決めたんです。
俳優としての挑戦と葛藤
18歳で上京して、日本映画学校に進学。右も左も分からない状態からのスタートだったけど、毎日が新鮮で、刺激的で、夢中で過ごしていました。
20歳のとき、エキストラで出演した映画が、全国上映されました。映画館で、画面いっぱいに映った自分の姿を見て、夢が叶った瞬間でした。その直後にあった成人式では、同級生からたくさん声をかけてもらい、一時有名人のようになりました。
でも、不思議と「虚しさ」もありました。「映画に出たけど、これから何を目指せばいいのか」って。東京まで来て夢を叶えたのに、この先の人生計画が何もない。夢だけを見て生きていたところから、現実に引き戻されたような感覚がありました。
その後、劇団に所属して舞台にも立ったけど、金銭面が厳しくて半年で退団。小さな劇場で汗を流しながら、舞台に立っても一銭ももらえない状況が続き「このままじゃ生活が成り立たない」と、アルバイトを掛け持ちする生活をしていました。
東日本大震災を通じて、俳優を辞めることを決意
劇団を辞めたあとも、僕は俳優活動を続けていました。でも、東日本大震災が起きたとき、考えが変わりました。
僕と同じく東京に住んでいた姉と姉の夫に「東京にいるのは危険だから、今すぐ岡山に帰ろう。お前はどうする?」と急に選択を迫られました。俳優になると啖呵を切って東京に出てきたのに、まだ何も成し遂げていない。今、岡山に戻って何をするのか。
東京に残るとして、何のために残るのか。そもそも、なんで俳優を目指しているのか。被災した人たちのために何かがしたい。当時5,000円しか持っていなかった全財産を募金して「これからは誰かのために生きたい」と思ったんです。
最後の望みで受けた芸能事務所のオーディションには受かったけど、状況は変わらず。24歳のとき、僕は静かに俳優の夢から身を引きました。
社会不適合者かもしれない、と思った日々
俳優を辞めた僕には、会社で働くために必要なスキルも資格もありませんでした。派遣社員として会社員生活を始めたけど、転職を繰り返す日々。
気づけば、19回も仕事を変えていました。「もしかして、僕って社会不適合者なのかもしれない」そう思ってた時期もあります。
中でもつらかったのは、派遣切り。いつも通り仕事を終えて帰宅したら、突然「明日から来なくていい」と電話がきました。
駅のベンチで、ひとりで泣きました。悔しくて、情けなくて。
それでも、僕は歩みを止めなかった
派遣社員で長続きもせず、収入も20万前後という低収入のまま30代に突入し、何かを変えなければと思っていたところで転機がありました。
フリーランス支援をしている友達の彼女さんと知り合い、アドバイスを受けフリーランスになり、需要が高いIT業界に足を踏み入れました。
未経験でRPAエンジニアという職種になったけど、スキル不足でいつクビになってもおかしくない状況の中、毎日死に物狂いでしがみつきました。辛かったけど、前職より2倍近い収入をもらえるようになったので、頑張りました。
エンジニアとして3年間経験を積み、PMOになりました。エンジニアは正直向いていなかったと思いますが、PMOは割と自分に合っていると感じています。
気づけば、フリーランスになり7年が経過し、尊敬する父の年収900万円まで到達することができました。
「書くこと」でまた人生がつながっていく
俳優を辞めた後から所属していたコミュニティで「noteを書こう」という試みがスタートしたので、僕もnoteを書きはじめました。書いてみると面白く、気づけばコミュニティの中で僕が最も多く記事を書いていました。
noteセミナーの講師に抜擢され、noteの書き方を教えるようになりました。いずれは「文章を書くことを仕事にしたい」と思うようになり、Webライターの仕事を始めました。
Webライターになってからnoteは月1投稿をする程度でしたが、最近また戻ってきました。noteの世界を通じて知り合い、現実でも会える「note仲間」ができたので、またnoteの世界の住人として日々楽しく過ごしています。
また、人生のパートナーもでき、婚約しました。パートナーにはすでに子どもがいたので、僕はステップファミリーとして、いきなり10歳の男の子の親になりました。想像もしなかった人生のはじまりです。
昔から映画が好きなので、人生も一本の映画のように考えるクセがあります。僕の人生も、いくつかの“章”を重ねてきました。
俳優時代が第一章。俳優を辞めて会社員として生きたのが第二章。そして今、家族を持ち、文章で生きていく第三章の人生がスタートしました。
どんなに遠回りしても、自分らしく生きる道はきっと見つかる。そう信じて、これからも僕は、文章を書き続けます。
これからどんな物語が続いていくのか、楽しみです。
「波乱万丈」の人生だからこそ、伝えられることがある
子どものときに「波乱万丈」というテレビ番組があって、山あり谷ありの人生を送っている人は魅力的だと感じながら見ていました。今振り返ると、僕の人生はまさに「波乱万丈」でした。
でも、失敗して、悩んで、遠回りしてきたからこそ、今こうして文章にして残せることがあります。
これからも、僕は文章を書きながら、また一歩ずつ進んでいきます。僕の人生という物語が、あなたの人生という物語のヒントになることを願っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事を書いた人
三浦まさひろ。
職業は、Webライター。
1987年生まれ、岡山県出身、東京在住。
20代は俳優として舞台を中心に6年間活動後、挫折。転職を繰り返し、フリーランスへ転身。
現在はステップファミリーという形で、パートナーと息子と犬と猫と暮らす。
2021年から書き始めたnoteは1万フォロワー、累計ビュー数は30万を超える。
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