妄想シティ 第19話
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この妄想シティに、僕が考えていたような悪は存在していなかった。
僕はもう帰るべきなのかもしれない。
だけど、どこに帰るのだ?
僕はここに来て、いったいどのくらいになるのだろう?
時間の概念もすっかりなくなってしまった。
ともかくここを出て、東京に帰ろう。
その前に、杉原なおこに会っておこう、と僕は思った。
しかしそれが間違いだった。
僕は毎日働いてポイントを貯めた。
妄想ルームに行くポイントが貯まったら杉原なおこに会いに行き、さよならを言ってここを出ようと思っていた。
街で偶然岸田に会った。
岸田は地道に働いてポイントを貯め、レベル2での就職が決まったそうだ。
順風満風。実に喜ばしいことだ。
これで僕の戦いも終わりだ。
東京に帰り、普通に暮らそう。
だけど世の中はそんなに甘くは無かった。
僕は妄想ルームに行き、杉原なおこに会った。
以前に僕はなおこに乱暴をしたので後ろめたい気持ちがあったが、なおこは気にしていない様子だった。
「そんなことはよくあることなのよ」となおこは言った。
「よくあることなのか?」と僕は思う。
ここではそれがよくあることなのかと思うと、何だか怖かった。
だけどもそれは、僕に対する慰めだったのかもしれない、と僕は思った。
僕はなおこに岩下久美に会ったことを話した。
それを聞いたなおこは随分と動揺していた。
事故以来、他のメンバーには会っていないのだそうだ。
お互いに変わり果てた姿を見られたくなかったのだろう。
久美はもう一人のメンバーである友子が死んだと言っていたが、なおこは生きているのだと言う。
ただし、死んでいるのも同じだと。
僕にはその意味がわからなかったが、なおこはそれ以上を話そうとはしなかった。
僕らは砂浜に腰掛けて、ずっと話をしていた。
なおこの長い髪が風にたなびき、美しいなおこの横顔は輝いて見えた。
帰り際、なおこは現実の自分で僕と会いたいと言った。
僕は軽い気持ちでOKをした。
だけど、僕は会ってはいけなかったのだ。
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アパートの部屋でこの街を出る身支度をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
なおこだ。
僕は玄関のドアを開ける。
なおこは帽子を目深にかぶり、サングラスとマスクをしていた。
まるでお忍びの芸能人だ。なおこは人目をはばかるように、するっと僕の部屋の中に入ってきた。
なおこは「驚かないでね」と言って帽子とサングラスとマスクを取った。
そこにはなおこの焼け爛れた顔があった。
「もっとひどいかと思っていた」と僕は言った。
「整形技術が進歩しているから、ある程度は顔らしくなってはいると思うけど、美しくはないわ」
「気にすること無いよ。君は君だし、君の心の美しさは誰にも負けない」
「歯が浮くわよ」
「ははは」
「こんな私でも、明彦は愛してくれたの」
「そうか。レベル4で須田に会ったよ」
「彼、どうしてた?」
「あいつは変わらないよ。能天気だ」
「ふふふ」
しばらく話をしていると、なおこが頃合をみはからったかのように「実はお願いがあるの」と切り出した。
「レベル2にいる私の赤ちゃんに会いたいの」
「赤ちゃんって?」
「明彦との間にできた子なの」
僕は驚いた。
「須田はそのことを知っているのか?」との僕の問いになおこは首を横に振った。
「あの事件の後に妊娠していることがわかって、私は赤ちゃんを産んだの。だけどペナルティとして私はレベル3からは出らなくなり、なおかつ一生妄想ルームで働くことを命じられたの。仕事の邪魔になる赤ちゃんはレベル2にある託児所で育てられていて、会うことはできない」
「なんてこった」
「私、どうしても私の赤ちゃんに会いたい」と言ってなおこは泣き出した。
「で、でもどうすれば?」
「私をレベル3から連れ出して欲しいの」
「連れ出すって言ったって」
「ごめんなさい、無理なお願いだってわかっているの」
なおこはなおも泣き続けた。
僕はいったいどうしたらいいんだ。
僕はなおこの肩を抱き、なおこは僕の胸の中で泣いた。
現実の女を何年も抱いてない僕は、興奮した。
なおこが顔を上げる。なおこの妄想力で、なおこの顔は美しい以前の輝きを放っていた。
僕はなおこにキスをした。
柔らかいなおこの唇。
そのまま僕はなおこの洋服を脱がせ、裸にした。
僕はなおこを抱いた。
なおこの肌はごつごつしていたが、見た目は美しく滑らかだった。
現実のなおこの肌は焼けどのためにただれているはずだが、僕の目には何も見えない。
僕はまるで天国にいるような気分だった。
嘘と現実がまじりあった世界で、僕はもう死んでもいいと思った。
僕は妄想シティから出ることを一旦あきらめ、なおこをレベル3から脱出させて赤ちゃんを取り戻す作戦を考えた。
しかし僕には何も思い浮かばなかった。
脱出するだなんて、今まで考えてもみなかったからだ。
レベル2とレベル3を隔てる壁は高く頑丈で、とても壊すことも乗り越えることもできないだろう。
だとすると出入り口のゲートを突破するしかない。
だけどいったいどうやって?
僕は岸田に相談することにしたが、岸田はあからさまに嫌な顔をした。
当たり前だ。岸田にとっては明るい未来がやっと開けたところなのだ。
わざわざそんな面倒なことになんてかかわりたくないに決まってる。
「拳銃が手に入るルートは無いか?」と僕は岸田に訊ねた。
「あるにはあるが、お前、一人でやるつもりか?」
「うん」と僕はうなづいた。
「強行突破をしても、すぐに追っ手が来るだろう。捕まるのは時間の問題だ」
「だけど僕はやらなければならないんだ」
「もっと頭を使うんだよ。IDカードのデータを書き換えよう。金属探知機にひっかかるから、拳銃の携帯はできない。それから杉原なおこの顔は面が割れているから変えた方が良い。特殊メイクのプロを紹介するからメイクで顔を変えるんだ」
「ありがとう。でも顔なんて妄想力で誤魔化せないのか?」
「お前知らないのか? レベル3では妄想力は使えない」
「妄想力が使えない?」
「そうだ。レベル3では妄想喫茶や妄想ルーム内の空気不純物を浄化して、大量に大気に放出している。それら施設内の脳波の伝達効率を上げるために、施設外では逆に脳波が伝わりにくくなっているんだ。だから他人の妄想は一切伝達されない」
「それは変な話だな。僕のアパートで、僕はなおこの妄想を見た」
「脳波は空気中を伝わらないが、体が触れていれば、そこから伝達される」
「なるほど。じゃあ、自分の妄想はどうなる?」
「自分の妄想ね。これがやっかいなものでね。空気中の不純物のせいで、放出された脳波は自分自身に戻ってくる。脳波が強ければ強いほど、自分自身の妄想がより大きく増幅されて、悩まされることになる。極端にポジティブな思考や極端にネガティブな思考が続くと、自分自身の妄想に負けて気が狂ってしまう者もいるんだよ」
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作戦決行当日、杉原なおこはまったくの別人になっていた。
僕らは気を落ち着かせて出所ゲートへと出かけた。
落ち着いて行動すること。
不振な動きをすれば疑われる。
あくまで平常心を持って行動するのだ。
思ったよりもあっさりとゲートを抜けることができた。
僕らはほっと一息をつく。
次の難関はなおこの赤ん坊を連れ出すことだ。
僕らは赤ん坊が預けられている託児所へと向かった。
そこで僕らは妄想力を使うことにした。
レベル2では妄想力を使うことができる。
僕らは託児所の職員を妄想力を使って一時的に眠らせ、その隙に赤ん坊を奪取した。
これも成功だった。
僕らはついている、そう思った。
だけども世の中はそんなに甘くは無かった。
問題はレベル1への出所ゲートだった。
託児所を出てから出所ゲートまでの移動に時間がかかりすぎてしまったのだ。
ゲートでは既に検問が始まっており、僕らはそこで捕まった。
ゲートには難波が待っていた。
僕は難波のマンションへと連れて行かれた。
なおこはレベル3へと送還され、赤ん坊は元居た託児所へと返された。
難波のマンションで、僕は驚くべき光景を眼にした。
そこには全裸の小出友子がいたのだ。
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「君はリアルエンジェルスに随分と興味があるようだね」と難波は言った。
「岩下久美にも会ったそうじゃないか」
「それがどうした」
「だからこうやって小出友子にも会わせてやってるんじゃないか」
僕は全裸の小出友子を見る。
なぜ友子は全裸なのか?
それに彼女は何も喋らない。
「友子はなおこや久美と違って、あのバス転落事故で肉体的な障害を受けることが無かった。だけどそのかわりに頭を強く打ってね、自分自身の思考で考えることができなくなってしまったんだ。今の友子にあるのは動物的本能だけ。つまり食欲と性欲だけだ。だからこうやって、ペットとして飼っている」
何だって!?
「さて、君の対応だが。困ったものだよねえ、早坂くん。どうして君は面倒なことばかりを起こしてくれるんだい? 君はかつて僕らを悪と呼び、倒そうとしてきた。だけど君の言う悪はこの妄想シティで見つかったかい? 君こそ社会の秩序を乱す悪なんじゃないのかい? みんなまじめに働いて幸せに生きているんだ。僕は君がレベル4で改心して、まじめに働く気になったのかとばかり思っていたよ。残念だなあ。君は人間のクズだね」
僕は難波の言葉に腹が立ったが、何も言い返すことができなかった。
「君のような人間のクズは社会に必要とされていない。だけどね、僕らはそんな人間のクズにも社会の役にたって欲しいと願っている。そしてそういうシステムを僕らは作りあげた。それがこの妄想シティの良い所なんだよ」
「何を言っているのかわからない」
「そうだろうねぇ。君の頭じゃあ到底想像もできないだろう。でも君は僕らが追及しているものが何かを知っているんじゃないのか?」
彼らが求めていること?
僕は考える。
橘博士は悪の組織が追求するものは「搾取と洗脳」だと言っていた。
僕はこの妄想シティでの生活で、搾取は十分に見てきた。だけど洗脳はどうだろうか?
僕は僕自身の思考を何者かに強要された覚えは無い。
小出友子が突然に歩き出し、僕の座っているソファの横に腰掛け、耳元で囁いた。
「早坂くん、あなたに会えてうれしいわ」
僕は驚いた。友子は自分の思考で考えることができないはず。
本能のみでしか生きていないはず。
それなのになぜ?
「洗脳?」と僕は呟いた。
「ははは。そうだよ。脳波で人を動かすことができるんだ。五体満足な体があれば、頭の中なんて空っぽでも、利用価値があるんだよ。そのことをこの子は僕に教えてくれたんだ。だからね、頭の中が汚れちまった人は、僕らが洗ってあげることにしたんだ。この子みたいに綺麗になってもらえば良いんだ」
「僕を洗脳するつもりか?」
「君の脳味噌は汚れきっている。もうどうしようもない。僕らは君に何度もチャンスをあげたはずだ。それなのに君は僕らの期待を裏切ったんだよ」
「じゃあね、早坂くん。君はもう終わりだ」
第20話につづく。
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