本能寺の変1582 テーマ別 光秀の年齢 第75話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
テーマ別 光秀の年齢 第75話
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テーマ別 光秀の年齢
テーマ別 光秀の年齢 第75話
光秀は、己の老いを自覚した。
甲斐遠征において。
光秀は、改めて、実感させられた。
肉体の衰え。
「老い」
気がつけば、その様な年齢になっていた。
信長は、歩みを止めず。
次に、中国大遠征。
その次、九州平定戦。
その後のこともある。
丹波では、戦後の復興に三年を要した。
そして、「さらなる夢」へ。
信長は、歩みを止めず。
光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。
武田を攻め滅ぼした後。
一益は、伊勢に帰陣せず。
関東八州の御警固を申しつけ、
そのまま、上野に入った。
老後の覚えに上野に在国仕り、
(『信長公記』)
一益は、信長の命に従った。
そうする他、術(すべ)がなかった。
光秀は、すぐ近くでこれを見ていた。
正に、問答無用。
上意下達。
「明日は我が身」、である。
忘れられぬ、光景だった。
斯くして、一益の老後は、定まった。
北伊勢から、東国へ。
上野一国・信濃の内二郡を拝領。
「国持大名」
大出世である。
否、追いやられた、・・・・・。
すなわち、左遷。
その様な見方をする研究者もいる。
光秀にも、国替えの可能性があった。
一益の一件を見れば、そのことがよく分かる。
東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
(『信長公記』)
近江志賀一郡・丹波一国を返上。
そして、西国の内、何処かの国へ。
タイミングとしては、毛利氏を滅亡させた後の論功行賞によって、
ということになるのだろう。
その先に、信長の「さらなる夢」があった。
その後のことである。
すなわち、天下統一後も、戦いは、つづく。
つまり、いつまで経っても、戦は、終わらない、のである。
光秀の、心境や、如何に、・・・・・。
そして、光秀は、信長より、先に、死ぬ。
その時まで、己は、生きているのだろうか、・・・・・。
否、もう、この世に、おらぬやもしれぬ・・・・・。
光秀は、信長より、年長。
したがって、早く、老い。
信長より、先に、死ぬ。
ならば、光慶は、如何に・・・・・。
明智は、如何に・・・・・。
光秀にとって、このことが、最大の悩み。
大きな不安の根源だった。
信長は、不意を衝く。
それは、ある日、突然、やって来る。
佐久間信盛の一件。
光秀は、信長の性格をよく知っていた。
この様な例は、多々あった。
役に立たねば、粛清される。
その時、己は、この世にいない。
これでは、死んでも死に切れぬ。
ならば、・・・・・。
光秀には、先が見えた。
以下は、その、大筋である。
中国攻め → 国替え → 「さらなる夢」
これすなわち、明智の危機。
光秀は、中国攻めで、大手柄を上げる。
褒美として、西国に、新たな領国を賜り、国替えとなる。
国替えは、信長の「さらなる夢」への第一歩。
そして、その実行は、光秀の死後。
光慶の代となる。
これすなわち、明智の危機。
これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。
光秀は、おそらく、このような結論に辿り着いた。
それ故の、「本能寺」。
「六月二日、未明」、だったのだろう。
⇒ 次へつづく
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