【読書感想文】「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた。【書評】
こんばんは、こんにちは。この記事の文章からある仮説でまとめてみようと思います。療養中イラストレーターのミトシです。
今回はこちらの本を読んでの感想を、3つのポイントにまとめて書きます。
(でもひとつめのポイントを3つに分けてるので、5つかもしれません。)
(その辺は勘弁してやってください。)

著/文道 藤吉豊 小川真理子
私が読んで感じた3つの大きなポイントがこちら。
文章は視覚的音読であり、シンプルかつリズムを意識する。
無意味な「、」「。」は避ける。
なにを書けばいいか悩んだら、とりあえず名文のコピーでもいいから文章を書き始める。
ひとつずつ分解したりして、今後の記事にどう活かすかを考えてみたいと思います。
①文章は視覚的音読であり、シンプルかつリズムを意識する。
まず、視覚的音読とは。
この本でも触れられていますが、人間は文章を視覚的に捉え、あるいは言語的に脳内に落とし込むとき、文章を脳内で音読しています。
この記事を読んでいるあなたも、文章を捉えてから黙読して、脳内再生で理解している場合がほとんどでしょう。私は速読ができないので、速読においてそれが省かれるなら、速読は除外します。
ゆっくり読んで理解するとき、脳内で言葉をひとつずつ浮かべてイメージを捉えているのは、どうやら人間の共通のプロセスのようです。
視覚的音読とは、この場合「脳内再生の内声での反復」を指します。
(一般的な内声であり、障害などで実際に声に出して読むかたも、視覚的情報である文章を肉声に変えているので範囲内です。)
この音読を、さらに分解することができると思います。
言語としてのデザイン
シンプルイズベスト
音読時のリズム
1.言語としてのデザイン
言語としてのデザインとして捉えると、視覚的情報には形があることから、可視性(可読性)があります。
可視性、もしくは音に置き換える可読性には、視て認識する「視認性」と言えるデザインが隠れています。
この記事は段落ごとに文章を改行して、デザイン的視認性が上がるかを試しました。この感想文をアップして、反応が良ければ今後もこの方式を利用したいと思います。
ちなみにnoteの記事は、スマホとPCで1行の文字数が変わります。スマホで読むときは1行は27、8文字程度で、PCあるいはタブレットで読む際は36、7文字程度になるのが平均のようです。
視覚的音読をする際の「視認性」が上がると、文章は読みやすくなります。
文章のデザインをすることで、文章の質をあげることができるのです。
2.シンプルイズベスト
文章の重複があったり、過剰な装飾がされていると、人間は視覚的音読をするときに不自然さを感じます。文章の上では、「シンプルイズベスト」が求められるのです。
言いたいことは言う、削っても意味が通じるなら徹底的に削る。
そうすると、文章のシンプルさがより引き立ち、伝わりやすくなります。
こうやってこまごま書かなくても、一言「シンプルイズベスト」と伝えても、だいたいの意味は通るのです。無駄の排除は、次のリズム感につながります。
3.音読時のリズム
リズム感がいい文章は、ひとに快感を与えて良い文章だと思わせます。
詩歌などで「この文章の語感が好き」というと、この音読時のリズム感をおおむね指します。
おおむねなのは、日本語で表した時に、仮名遣いや漢字での表現による「字面」の好みが生じるからです。
ここはひらがなで書くか、漢字で書くか。その表現を好むひと、嫌うひと、両方いますが、今回は字面の好みはちょっとよけます。
語感がいいと本当に音読したときも、コロコロといい音がしませんか?
私の感覚では良い文章はコロコロと鳴ります。順調に転がって、胸に落ちていくのです。
この感覚だけは、ひとの好みもあるのですが、本当に良い文章は数字にして7~8割のひとが好む、名文になると言えます。
私は名文がコロコロ鳴くのを、胸のうちで聞いて、本が好きになりました。
②無意味な「、」「。」は避ける。
この部分は①で語った部分に、世代的なものを感じます。もちろん独断と偏見も混じっています。
(なので、ちょっと厳しく感じるかたもいると思います。)
(それをどうか見過ごしてやってはくれませんか。)
ですが、世代によって大きく、電子的な文字と現実的な文字への触れ具合は、どうしても変わります。
どうやっても60年以上前の時代に、スマホを実現することはできません。過去には可及できないのですから。
現実的な文字でのやり取りは、いまでは手紙を書くか本を書くかくらいでしか、感じられないと思っています。
それは、ひとつの文化として残った「手紙」と「本」の強さを物語る証拠ではあります。
しかし、電子的な文章は飛躍的に独自に進化してしまいました。
無駄に「、」「。」を打つと、年寄りっぽさをかもし出してしまうようになっているのです。
(ここが最たる偏見の部分です。)
50代くらいの、電子化とアナログの狭間にいたひとに多くみられるように、偏見で体感ですが見かけます。
ちょうどポケベルと触れ合ったくらいのひとたちは、短文でのやり取りを得意としていたのではないでしょうか。
(悪しからず仮定です。)
ときにそれは若者たちにやり玉に挙げられます。
デジタルネイティブにとって、無用な「、」「。」は過去の表現に感じると言って、過言ではありません。
詩歌の表現が波に呑まれそうに感じる昨今、「、」と「。」は行き場を失い、句読点恐怖症まで生んでいます。
「、」「。」の表現を殺すことは、文章術の法則上はできませんが、若者に読まれなければ文章は死に絶えます。
高齢者の占有物になるとは考えにくいですが、若者にもキャッチーでいるためには、句読点を減らすことも考える必要はあります。
③なにを書けばいいか悩んだら、とりあえず名文のコピーでもいいから文章を書き始める。
あとは、文章を書く上で避けられない、「なにを書けばいいかわからない」問題です。
かく言う私も、小学生のころは感想文が苦手であらすじを書きなぐり、最後の一文だけ「ここは受け付けられなかった」と書いたことがあります。
それはそれは酷評をされました。先生に「ミトシさんは作文が苦手ですね」と結論づけられました。
しかし、物語を考えるのは大好きで、自分としては「よく要約した」と思っています。
先生たち大人との視点の違いでした。
作文において、一文字目を書くことはハードルです。
ハードル走はひとつの障害を飛び越え始めると、一気に加速してあとは進んで跳んでを繰り返すだけです。
いちいち1個ずつのハードルで意識せずに、ストライドや歩数でしか感じません。そういうふうに構成されています。
まず一文書くのに抵抗を覚えたとき、すべきは一文字書くことです。
これは断言できます。書き始めたら楽なんです。
それを最初から自分オリジナルだけで考えるから、障害が高くなります。
初心者は引用で始めて責められることはないのです。
名文には前述の通り、良いリズムが組み込まれています。そのリズム感に感じることから書けばいいのです。
書くのに悩んだら、原点の「好き」に立ち戻っていいのです。
文章で書きたいから文章は消えない。
文章術を学んでいたのに、私はいつの間にか文章の変遷に触れていました。
古くは漢詩よりも先に戻るのでしょう。でもどれも言語は、残したいから作られています。
話し言葉だけで終わらなかったのは、のちの誰かに伝えたいことがあったはず。
絵画で終わらなかったのも、変わらないものをみんなで共有したかったからです。
「文章で書きたいから文章は消えない。」
それはイラストをなりわいとしている私が、何より感じます。
文章も絵図も消えません。
ひとがふたり以上いれば、伝えたいことが発生して自然だからです。
話し言葉は記憶だけでも、文章にして書き起こせば、誰もが両親のプロポーズの言葉を知れることに、少し感動するのはわかるはずだと思っています。
以上で感想文を終わります。
なんだこれは。
小っ恥ずかしいぞ。
でも書いちゃったから公開しますね。
どうでしたでしょうか。文章術の習得はともかく、段落ごとで改行して視認性が上がれば、この本に書かれた「文章を魅せる」ということが実施できていると思うのです。
読みにくいなら辞めますが、ある程度読めれば続けようと思います。
今日もご精読ありがとうございましたm(_ _)m
またお会いしましょうね。
イラストレーターのミトシでした(*^^*)

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