みかんの缶詰
私が最初に住んでいた家は一階に大家さんが
住んでいて二階が借家部分。
右端にある階段を上がると門があって物干し
スペースがあり奥に玄関があった。
部屋は二部屋と小さな台所。
汲み取り式トイレでお風呂なし。
洗い場のような洗濯スペースがあり屋根は
トタンで出来ていた。
そこを開けると二階の前にある小道に出れる
構造でワープしたみたいで好きだった。
次に小学二年生まで住んでいた家は初代の
家の近くでたまたまだったのか、これまた
一階に大家さんが住んでいて二階が借家部分。
裏側に玄関があり、お風呂があった。
最初の家より祖父母の家が近くなった。
その頃、祖父母は近くの平屋の借家に住んで
いて五右衛門風呂があったので家族でお風呂
に入りに行って一緒に晩御飯を食べて夜道を
歩いて家まで帰っていた。
五右衛門風呂で何度か溺れて怖かったけど
おばあちゃんの作る料理が豪快でどれも美味
しくて楽しみだった。
特におばあちゃんが作るすき焼きが大好きだ
った。好きだったおはぎはこねこちゃん位の
大きさで一つでお腹いっぱいになった。
ちらし寿司は食べても食べても寿司桶から無限
に湧き出て来るようだった。
親戚の集まりにはおばあちゃんの料理が盛大に
振舞われ従兄弟に会えるのも楽しみだった。
日常は台所でおばあちゃんが晩御飯を作って
くれている間、おじいちゃんと水戸黄門や相撲
を見て過ごした。
弟が生まれて母は育児に追われていたのかも
しれない。
祖父母の家で過ごした時間を思い出す。
見るからに悪そうな悪代官や豪快に力士の手
から撒かれる塩が土俵に馴染んで消えるさま。
相撲の勝敗が決まって、おじいちゃんが一喜
一憂する姿を膝の上から眺めていた。
おじいちゃんは晩御飯の時に文福茶釜の狸の
急須で温めたお酒を美味しそうに晩酌してい
て父はビールだったと思う。
急須の姿や顔や表情、全てが愛しくて。
のちのち探したけど今に至るまで再会は果た
せていない。残念だ。
似ている子を探すけど、あの子じゃない。
おそらく引っ越しで行方不明になってしまっ
たのだと思う。
子供だった私には大人に果てしない案件を頼む
ような無邪気さも勇気もなかった。
今思えば、そんな時代だったのかもしれない。
弟が生まれて脅威を内心感じながら過ごす私に
おばあちゃんは変わらず優しかった。
おばあちゃんが作ってくれていたミックスジュ
ースはみかんの缶詰とももの缶詰、バナナ、牛乳
と氷が絶妙で飲んだ後に目がキラキラするくらい
美味しかった。
ミックスジュースのスターティングメンバーで
あるみかんの缶詰、デザインもかわいくて好き
だった。ももの缶詰もしかり。
他にもミルクセーキやもなかアイスも作って
くれた。アイスも手作りでさっぱりしていた。
一斗缶にもなかの皮が沢山入っていた。
どうやって手に入れたのだろう。
もう聞くことはできない。ネットのない時代。
祖父母の家から歩いて数分の距離内に借家一号
借家二号はあった。
スープの冷めない距離。
当時の私には近所だった。
借家一号に住んでいた頃、裏に山があって友達と
自然を楽しみながら過ごしていた。
借家一号には先住者がいて私たち家族は後から
入って来た存在にも関わらず、ろくに挨拶もしな
かったのがよくなかったのかもしれない。
おそらく何事も最初が肝心なのだろう。
かぼちゃの煮付けのようなボディーに足が沢山
生えていて顔には牙がある先住者たち。
ビックリすると防御反応で相手を挟んでしまう。
私が先住者だったらの感想です。
すぐに毒を絞り出さないと患部が腫れたり熱が
出たり苦しむことになる。
様々な昆虫や生物が共生していたけど毒があっ
て噛むのはムカデだけ。
私は子供の頃から虫や生物に対して抵抗がなく
むしろフレンドリーに過ごしてきていて。
ムカデも見かけることはあってもあちらも素通り
したりで攻撃されることはなかった。
母以外は噛まれたことはなかった。
時は流れ、大人になった私は自分も噛まれて
ハンターになってしまうとは思ってもみなか
った。そのことはまたの機会に。
当時、私にとっては友好的だったムカデとの
関係も母にとっては家族を脅かす敵として
日々格闘を繰り返していた。
その結果、母はハンターとして認識されたのか
仲間の仇を打つように母だけ噛まれ続けた。
ある時、虫バサミを持ってくる間も惜しかった
のか母は果敢にも素手でムカデに挑んだ。
本人曰く、頭と尻尾を間違えて掴んでしまった
とがっつり噛まれて悔しそうだった。
ムカデハンター母が死闘の後にする儀式があり
それは必ず洗濯機のある水場で行われていた。
儀式の相棒はおばあちゃんの家では大人気、
大活躍、美味しくてかわいいデザインでお馴染みのみかんの缶詰(中身は美味しくいただきました)と油、マッチ。
母に捕まったムカデはみかんの缶詰の缶に入れ
られて油を注がれてマッチで火を点けて火葬に
されていた。
私は少し離れたところからほんのりと照らされている母の後ろ姿と火葬されているムカデの匂いを
感じていた。
独特の匂いがした。
母は家族を守りたい一心、ムカデもしかり。
第二借家へ引っ越しするまで戦いは続いた。
みかんの缶詰の儀式で火葬されたムカデが映画の
エンドロールに流れるとすれば、それはそれは
長いエンドロールで本編を超えるかもしれない。
私はあることに途中で気付くことになる。
母は家族を守るムカデハンターとして死闘を
繰り返していたし、きっと間違いないと思う。
しかし、同時に何の危害も加えるはずのない
生物も反射的に手で握り潰してしまう。
この場合は必ず手で。
まるでふいにボールを投げられて反射的に受け止めるように。
余談だけど、母は運動神経がない方で三輪自転車
でも転けてしまい兄弟から匙を投げられたらしく
本人にも自覚がある。
母の近くをひらひらと飛んでいたら、あっという
間に暗闇に支配されて命を終えてしまうとは。
母に握り潰されていたのは何の落ち度もない、
牙も毒もない蛾や羽虫、蚊、蝿など。
羽や大きさが基準ではないらしい。
その証拠に蝶々やトンボ、カマキリなどは殺められなかった。
母にもし前世があったとしたら、目の前で動いた
ものに対して反射的に攻撃してしまう生物だった
のだろうか。
私は目の前で蛾を握り潰して手のひらで包んでい
る母になぜ?と尋ねたことがある。
母は自分でも分からないけど近くを飛んでいるのを見かけると捕まえてしまうんよと答えた。
私は母が今まで殺めてしまったことも含めて
無駄な殺生はしないように生きてきた。
もう生き返らないし、私も善人ではない。
しかし、命の大切さは分かるから。
今思うと母の目は時々、ビー玉みたいだった。
私の知らない母の一面かもっと違う面があった
のかもしれない。
母は幼い頃に父が病死して苦労して育った。
高校は母や兄妹の元を離れて働きながら夜間学校
へ通い、寮生活を送っていた。
我慢が日常でわがままは言ったことがないような
人生を送って来た人。
母はおっとりしていて優しくて料理や裁縫などが
苦手で亭主関白の父に反論もせず、わがままも言わずずっと従い続けていた。
余談だけど、その頃の父はふんどしを愛用していて物干し竿にふんどしがひらひらとたなびいるのを部屋から眺めていた光景が記憶の中にある。
母が望んでいた理想と現実が違い過ぎていたのか
もしれない。
苦労して我慢して生きてきた不器用な母は気持ちを押し殺して生きていたのかもしれない。
私が幼い頃、父がいない時に母方のおばあちゃんがよく訪ねてきてくれた記憶がある。
離れていた時間を取り戻していたのかもしれない
と今になって思う。
私はおばあちゃんが訪ねてきてくれることが
うれしかった。
その後、私が小学二年生の春に父は念願だった
家を建て住み慣れた地から離れた。
同時に祖父母と同居することになる。
父と祖父母は同居によりギクシャクしていく。
子供ながらに私も弟もそれを感じていた。
専業主婦で家にいた母は嫁姑関係も悪化して
しまい間に挟まれた母は病んでしまった。
そんな母を父は何度か母の実家である兄の家に
返そうとしたことがある。
もちろん、断られる。当たり前だ。
どうかしている。
今は徐々に記憶が消えていって、母は歯向かえなかった父に悪態をつくこともある。
冗談まじりに嘆く父の話を聞きながら、散々言われ続けてたのだから母は言い足りていないのでは
ないかと思う。
嫌な記憶を母が忘れて、父にわがまま言っても
決して罰は当たらないだろう。
母は親元を離れて働きながら寮生活、夜間学校へ
通い戻って来た。
兄が車屋さんをしていて母は妹である私の叔母とお店を手伝っていた時に常連のお客さんだった
父に見初められた。
母は自分ではなく妹だと思ったらしい。
運命とは数奇なもので漢字は違うものの姉妹揃って同じ名前の男性に嫁ぐことになる。
叔母さんは温厚な男性と結婚した。
父と母が結婚して私と弟が生まれた。
大人になって久しぶりに父と母の結婚式の写真
を見た時、写真に写る母の顔が沈んで見えた。
とても嬉しそうな表情には見えなかった。
強引に押し切られたんじゃない?
本当は断りたかったんじゃない?
母にそう何度か尋ねたことがある。
その度に母はビー玉のような目で「緊張しとっ
たんよ」と同じ答えが返ってきた。
今はもう、そのやりとりも難しくなっている。
しかし、母から頼まれたと父が電話を掛けてきて
「お姉ちゃん、大丈夫?」と心配の電話。
猛暑の中、自転車通勤してへとへとの私が心配
らしい。
心身ともにぼろぼろだけど大丈夫と答える。
母の記憶から最期まで消えたくないと思うのは
わがままなのだろうか。
人懐こくて、優しくて、不器用で花が好きで
音楽が好きで食べることが大好きだった母。
ビー玉のような目の母の横顔を父の運転する
車に揺られ眺めながら思う。
母の分まで悔いのないように生きていきたい。
難しいことも沢山あるけど、自分らしく。
