【巡礼の年 第3年】フランツ・リストのピアノ曲紹介
この記事では巡礼の年 第3年を紹介します。
巡礼の年 第3年 S.163
通好みの傑作集。第1年、第2年と違い、第3年は晩年の1877年の作品。
第1曲 アンジェルス! - 守護天使への祈り S.163/1
巡礼の年第3年は静寂とともに幕をあける。
演奏はゾルターン・コチシュ。
第2曲 エステ荘の糸杉に - 哀歌 I S.163/2
嘆きを表現した傑作エレジー。調性は希薄。
演奏はスヴャトスラフ・リヒテル。
第3曲 エステ荘の糸杉に - 哀歌 II S.163/3
リストが「ミケランジェロがサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会に最初の糸杉を植えた」という思い違いで書いた作品。リストはその思い違いに後で気付きタイトルを修正した。
演奏はスティーヴン・ハフ。
第4曲 エステ荘の噴水 S.163/4
描写音楽であるとともに宗教音楽。「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命へと湧き上がる水となる」というヨハネ福音書からの引用が掲げられている。ドビュッシー、ラヴェルへ与えた影響は大きく、リストはこの曲により「印象主義音楽の父」となった。ブゾーニが伝え聞くところによると、ドビュッシーはリスト本人によるこの作品の演奏を聴き仰天したとのこと。ちなみに原題は「Les jeux d'eaux à la Villa d'Este」だが、ラヴェルの「水の戯れ」の原題は「Jeux d'eau」。
演奏はクラウディオ・アラウ。
第5曲 ものみな涙あり - ハンガリー旋法で S.163/5
当初のタイトルは「ハンガリー哀歌」。タイトルはウェルギリウスの叙事詩「アエネーイス」より。
演奏はアルフレート・ブレンデル。
第6曲 葬送行進曲 - マキシミリアンI世の思い出に (メキシコ皇帝, 1867年6月19日死去) S.163/6
自らの後釜となる人物に銃殺刑で処されたマキシミリアンI世を悼んで。プロペルティウスのエレジーが楽譜冒頭に掲げられている。曲種もエレジー。
演奏はラザール・ベルマン。
第7曲 スルスム・コルダ - 心を高めよ S.163/7
スルスム・コルダというのは聖餐式における「心を高めよ」という激励。嘆きや静寂で満たされた巡礼の年第3年はこの曲により晴れやかに終わる。
演奏はアルフレート・ブレンデル。
【関連作品】
守護天使へ (アンジェルス) 〔第1稿草案〕 S.162a/i
下記の「第1草稿 S.162a/1」を解析したところ、さらに前のバージョンが解読された。近年ブダペストにて出版された。1877年作。
守護天使へ "アンジェルス!" 〔第1草稿〕 S.162a/1
「巡礼の年 第3年 S.163」の第1曲「守護天使への祈り」の草稿。その草稿には「27 September 77 Villa d'Este (SS Cosmae et Damiani) FLiszt」(1877年9月27日エステ荘(サンティ・コスマ・エ・ダミアーノ)F.リスト」と書かれている。上記タイトルもその草稿に書かれているもの。
守護天使へ 〔第1草稿修正版〕 S.162a/1bis
「巡礼の年 第3年 S.163」の第1曲「アンジェルス!」の第1草稿の修正版。孫娘ダニエラ・フォン・ビューローへの献呈も記載されている。1877年作。
アンジェルス! 〔第2草稿〕 S.162a/2
「15 ottobre 77 Villa d'Este FLiszt」(1877年10月15日エステ荘、F.リスト)と書かれている。ハルモニウムで演奏してもよいと表記されている。タイトルは「アンジェルス!」のみだが、続けて「in Festa SS Angelorum Custodi」(守護天使の祝祭に)と書かれている。
アンジェルス! 守護天使への祈り 〔第3草稿〕 S.162a/3
「守護天使への祈り」の草稿のひとつ。その草稿には「Siena, Torre fiorentina, 21-22 Settembre, '80 - F.Liszt (シエーナ、トルレ・フィオレンティーナ1880年9月21、22日 - F.リスト)」と書かれている。
アンジェルス! 守護天使への祈り 〔第4草稿〕 S.162a/4
「守護天使への祈り」の草稿のひとつ。この草稿はリストの弟子リヒャルト・ブルマイスターの写譜にリスト自身が訂正を書き加えた形で残されている。日付は「in Tivoli - Rom, 1882, Februar(ローマ、ティヴォリにて、1882年2月)」。
エステ荘の糸杉に (I) 〔第1稿〕 S.162b/1
「エステ荘の糸杉に - 哀歌 I S.163/2」の初稿。最終稿より抑制されている。1877年作。
エステ荘の糸杉に - 哀歌 〔S.163/3の第1稿〕 S.162b
「エステ荘の糸杉に - 哀歌Ⅱ」の初稿だが、いつ作られたものかわからない。
ものみな涙あり 〔第1稿〕 S.162c/1
「ものみな涙あり」の初稿。この初稿の自筆譜にタイトルは書かれていない。1872年作。
ものみな涙あり - ハンガリー旋法で 〔中間稿〕 S.162c/ii
「ものみな涙あり」の初稿にいくつかの改訂を加えたもの。1877年作。
マクシミリアンⅠ世を悼んで - 葬送行進曲 〔第1稿〕 S.162d
「葬送行進曲」の初稿。この初稿も最終稿も「1867年6月19日」と書かれているので、リストの作品カタログでは作曲された年を1967年としがちだが、この日付はメキシコ皇帝マクシミリアンⅠ世が処刑された日付であり、作曲年がこの年とは限らない。
後奏曲 - スルスム・コルダ! 〔第1稿〕 S.162e
「スルスム・コルダ」の初稿。1877年作。
バルトークのスルスム・コルダ
ベーラ・バルトークは作曲家として有名だが、卓越したピアニストでもあった。1936年の歴史的録音。
● 楽譜紹介
新リスト全集の楽譜では今回ご紹介した楽曲は以下のものに収録されています
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それではみなさま良い一日を
