バーチャルという枷をつけてダンスを。
バーチャルYouTuberは、
自由だと誤解されることがあります。
あるYouTuberさんがコメントで「なんか食って動画撮るだけでお金を稼げていいな」と言われているのを見ました。……かわいそうです。
リアルでは何をやるにもお金がかかるんですから。
その点では、確かにバーチャルでできることは多いといえます。個人でも大がかりなものを簡単に作れるし、エフェクトも盛れる。VRChatとかならアバターを変えるだけで別の存在にもなれますしね。バーチャルではなんでもできると言われることさえあります。
でも、実際にその「なんでも」をバーチャルYouTuberがやるか?といわれると基本はやりません。できるからといって派手にすれば面白くなるわけでもない。
そう、面白くないんです。
YouTuberさんだって、LEDをビカビカ光らせて撮影しないし、テロップも無駄に派手にしません。できるけど、やらない。なぜなら、やっても別に面白くないからです。
YouTubeって、日常なんですよね。ライブとかならハレだから派手でいい。でも、日常の無駄な派手さは胸焼けする。だから結局、「なんか食べる」に落ち着くものです。
さて、そうなってくると。
VTuberって、この部分では、すっごく不自由じゃないですか?
雑談やゲーム配信はおいといて。
わざわざ、バーチャルYouTuberとして成立させるために、技術を挟み、制約に縛られ、回り道をして、いろんな努力をしたうえで、やっとできることが「バーチャルYouTuberとしてなんか食べる」だったりするわけです。
いや、なんか食べるだけで褒められるのなんて小学生までですよ。これが自由なんでしょうか?
そう、日常に対して、バーチャルYouTuberって基本的に枷なんです。
……と、ここまで本人が「不自由だ」「枷だ」と言ってしまうと、
「じゃあなんでVTuberをやってるんだ」と言われてしまうかもしれません。
ただでさえ、現実顕現系の動画を出すと「VTuberでやる意味ある?」とか言われることもありますから。
その問いに対して、僕なりの答えを一つ示すなら、僕は積極的にその不自由さを求めてVTuberをやってるところもあるということです。
もちろん、バーチャルYouTuberへの愛は前提です。もちろんですけどね。
むしろ逆に問いたいのですが
自由なのは、本当にいいことなんでしょうか?
縛りがない、なんでもできる。それって手放しにいいことだと言えるでしょうか?
僕はジャグリングをやってるんですが、ジャグリングって無意味にすごいんですよね。そして僕は、この「無意味にすごい」ことそのものがかなり好きです。ジャグリングができることでジャグリング以外で役に立つわけでもない。そこも含めて好きなんです。
道具を持つことで動きが不自由になる。そこから練習して、だんだん自由に動けるようになっていく。不自由というマイナスを勝手につけて、ゼロに戻していく。
ゼロに近づいてきたら、また道具の数を増やすなり、制約をつけるなりして枷を増やしたっていい。
例えば、ただ踊るだけなら、僕より上手い人は死ぬほどいるし、影響力で言っても容姿端麗TikTokerとかには勝てないでしょう。
でも、ジャグリングという枷をつけて踊るなら、「枷をつけてこんなに踊れるなんてすごい」にはなれる。うまくなってくれば、枷を使った特別な表現も見せられる。
YouTubeも似た部分が少しあって、
普通ならできないことを実際にやるからMr.Beastの企画は面白いわけです。少し油断すれば、くどさを感じるド派手さかもしれませんが、あのスケールでやることで「普通ならできないこと」にできる。それを実際にやること自体に意味があるわけですね(出来るけどやらないことではなく、誰もできないことなことをやってることに意味があると思います)
「なんでもできる」「誰でもできる」をやって興味を持ってもらえるのは、結局“魅力的な人間”だけです。そもそも、その魅力的な人間でさえ埋もれる国民総発信者時代です。
そんななか、リアルならなんか食べて褒めてもらえるのは小学生まで。
でも、バーチャルの枷はその「なんか食べる」だけの面白さをすごさという別の角度から底上げしてくれる。褒めてもらえるかもしれません。
そして何より、枷をつけるのってすごく努力の量の調整がしやすいんです。できることが増えたら、枷を増やしたっていい。うまくなるにつれ、バーチャルを使った特有の表現も、できることが増えると見えてくるものあるでしょう。
バーチャルは言われてるほど自由ではありません。
時に枷になることさえもあります。
それもまたいいじゃないですか?
あえて、
バーチャルという枷をつけてダンスを。
そういえば、三珠さくまるでした。
