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住宅と都市を巡るパラダイムの転換に関する一考察_(2)統合の哲学へのヒント


4 住宅の三側面

前号までの議論を踏まえると、今、日本社会の都市デザインの世界で必要なのは、全体最適の視点で、様々な専門分野の知識、技術を統合的に運用する考え方、換言すれば「統合の哲学(アーキテクト)」だ。いかんせん、近代科学は課題を細分化、個別最適の解決方法を重視してきたため、専門家ごとに蛸壺化する傾向にある。故に、物事の考え方を根本にまで遡って物事をみる、考えないと新しい視座が見えてこない。そのような、根本的な考え方をするとはどういうことか。建築(アーキテクト)分野での物の見方、考え方がヒントになると思ったので、それを以下に述べていきたい。
例えば、「住宅」という存在について考えてみる(自分が大学で建築を教えてもらったことを再現する)。
「住宅」を表す英語には三つある。Home、dwelling、house、だ。
Homeは「アットホーム」といった言葉があるように、家が持つ社会的な役割、人間の関係、心理的な側面を表している。
Dwellingは、直訳すると「居住」であり、住宅が持つ機能的な側面(寝る場所、食べる場所、団欒する場所などがある)を表している。
Houseもまた住宅を表しているが「ハウスメーカー」という言葉があるように、建物・物理的な物としての住宅を表している。
このように「住宅」を巡り、社会的心理的な側面、機能的な側面、物理的な側面がある。つまり、都市の中に住宅をつくる行為は、そこに社会的心理的な価値、機能的な価値、物理的な価値をもつ存在をつくり出す行為だと言える。ところが、20世紀後半の「社会資本整備」の時代には、これらのうち、機能的な側面と物理的な側面がクローズアップされ、社会的心理的な側面が軽視または無視されてきた。

5 都市の社会的心理的側面

ちなみに、このような概念的な倒錯への問題提起は、(近代都市計画が始まった100年ほど前の)古くから繰り返し指摘されてきた。
社会学におけるシカゴ学派の基礎を築いた主要人物の一人、ロバートパーク(米国、都市社会学者)によれば「都市とは、たんなる個々人の集まりでもなければ、社会的施設ー街路、建物、電灯ーの集まりでもなく、なにかそれ以上のものである。(中略)むしろ都市は、一種の心の状態、すなわち慣習や伝統の集合体であり、(中略)組織された態度や感情の集合体である」(註2-1)。
日本の近代都市計画を代表する都市計画家の一人、石川栄耀氏も類似の指摘をしている。「市民よ。都市とは家屋の集合ではない。道路ではない。都市とは市民の化合体である。市民の心の化合体である。『相むつみ合う心』なき市民によってなんで都市が成立しよう。」
このように、住宅が機能的、物理的側面にとどまらず、社会的心理的側面を持つように、都市もまた社会的心理的な側面があり、むしろ都市の真の価値とは、社会的心理的側面にこそある。もちろん、2000年代に入り、日本においても「シビックプライド(市民が自らの居住する都市や地域に誇りをもち、さらにその魅力創出や課題解決に関心を持つ心)」の重要性が指摘されるようになってきた。しかし、これらの考え方もシティプロモーションなどの都市政策を巡り、一種のブームとして処理されてしまった、筆者は感じている(2010年前後において、都市間競争を背景とした、行政による市民の引き留めツール、売り文句ではなかったか/2020年代の行政においては、人口の奪い合いの次元を超えて、縮小する都市をどうするかという内向きの問題関心に移ってきたように思う)。つづく。

※冒頭の写真は、UnsplashでFabio Brachtが撮影したもの。

【参考文献】
註2-1)松本康編:都市社会学セレクション第1巻 近代アーバニズム,日本評論社,2011年p.42

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