ミシュナ『Me'ilah』研究 第1回:トーラにおけるme'ilahの規定と神殿奉仕(avodah)における聖性・不可逆性の法理
*本稿は口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim(コダシーム)』に属する『Me'ilah』の第1回目の解説である。
レビ記5章15~16節のトーラ規定における「神殿のシェケル」「5分の1の割増分」の数学的・律法学的定義から、神殿奉仕(avodah)の枢要な4段階(shechitah, kabbalah, holachah, zerikah)の構造、聖性(kodshei kodashim / kodashim kalim)の分類、意図の不適格(piggul / pasul)がもたらす無効要件を検証。
『Me'ilah』1章1節が提示するラビ・ヨシュアの一般原則「祭司へ許容される時間」に基づく、me'ilahの適用範囲と不可逆性の法理を厳密に詳解する。
トーラにおけるme'ilahの原典規定と賠償(asham)の定義
今回からme’ilah(メイラー)について扱う。まずは旧約聖書の最高権威であるトーラから引用する。
15主にささげるべき奉納物のどれかを過ってささげず、主を欺いて罪を犯した場合、その償いとして、聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊を群れから取って、主にささげ、賠償の献げ物とする。 16彼はささげるのを怠った奉納物に五分の一の割り増し分を加えて祭司に渡す。祭司がその賠償の献げ物の雄羊をもって彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。
トーラ本文を噛み砕きながら順番に解説する。
まず「主にささげるべき奉納物のどれかを過ってささげず、主を欺いて罪を犯した場合」という箇所は、聖別したものを不注意で私的に用いてしまった場合である。
この場合の償いとして「聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊を群れから取って、主にささげ、賠償の献げ物とする」と書かれている。
「聖所で定められた支払額」は原文では「神殿におけるシェケル(複数形)」である。トーラにおいて複数形で、かつ具体的な数値が書かれていない場合、それは「2」を表すと解釈される。
そこで、ここでは「神殿における2シェケルの無傷の雄羊」という意味になる。この雄羊は賠償の献げ物(asham:アシャム)である。
「5分の1の割増分」の厳密な算定
次に「彼はささげるのを怠った奉納物に五分の一の割り増し分を加えて祭司に渡す」の箇所であるが、誤って私的に費消してしまった価額に5分の1の割増分を加え、祭司に渡す。
以前の記事の中でも解説したが、「5分の1の割増分を加える」ことを正確に理解しなくてはならない。
100の価値のものを不注意で私的に費消した場合、25を割増分として加える。つまり元本の4分の1を加えて賠償する。
この4分の1は、賠償額全体(125)の内の5分の1に相当する。「5分の1の割増分を加える」という表現の正確な意味は、以上の通りである。
以上をまとめると、聖別されたものを私的に流用した場合、次の2つの償いが求められる。
①元本に5分の1の割増分を加えた賠償額を支払う。
②asham(賠償の献げ物)を献げる。
ミシュナ解釈の前提となる神殿奉仕(avodah)の基礎知識
次に献げ物に関する基本的な知識を復習する。なぜならme'ilahを理解する前提に、献げ物に関する基本的な知識が前提になるからである。
神殿における動物のいけにえの奉仕として、次の4つがavodah(アヴォダー)と呼ばれる枢要な奉仕となっている。
①shechitah
屠ること。
②kabbalah(カバラー)
屠られたいけにえの血を祭器具kli shareit(クリ・シャーレット)で受けること。
③holachah(ホラハー)
血を祭壇に運ぶこと。
④zerikah(ゼリカー)
血を振りかけること。
この内、shechitahは祭司でなくても行うことが出来る一方、後の3つは祭司が行わなくてはならない。
献げ物の聖性による分類(kodshei kodashim / kodashim kalim)と屠殺場所の規程
次に献げ物の聖性について復習する。献げ物の種類によって聖性が異なり、下の2つに大別される。
kodshei kodashim(コドゥシェイ・コダシーム)
文字通りには「聖なるものの中でも聖なるもの」。次のkodashim kalimよりも聖性が高い。kodashim kalim(コダシーム・カリーム)
文字通りには「軽い聖なるもの」。
kodshei kodashimに分類されるのは、例えば焼き尽くす献げ物である。焼き尽くす献げ物は祭壇の北側で屠らなくてはならず、そこから祭壇に運ばなくてはならない。
他のkodshei kodashimに分類されるものも同じで、他のkodshei kodashimのいけにえも祭壇の北側で屠らなくてはならず、そこから祭壇に運ばなくてはならない。つまりkodshei kodashimのshechitahとkabbalahは祭壇の北側で行わなくてはならない。
kodashim kalimの場合、神殿の敷地内でも祭壇の北側でなくてもよい。イスラエルの庭を含む、西の神殿の敷地内であるなら、どこで屠ってもよい。口伝律法ミシュナ「Zevachim」5章7節には次のように書かれている。
和解の献げ物はkodashim kalimである。―敷地内のどこで屠ってもよい。
この節の「敷地内」とはイスラエルの庭から西側を指している。
時間と場所の不適切な意図に基づく無効要件(piggul / pasul)と罰則
さて、4つの枢要な奉仕avodahはいずれも日中に行わなくてはならない。もしも夜間に行ったら、献げ物の奉仕全体は無効になる。
avodahは適切な意図をもって行わなくてはならない。この点に関しては2つのことが特に問題になる。
①献げ物の肉は、その献げ物の種類に従って、食べてよい時間制限が決まっている。その時間を越えて食べる意図が示されたなら、そのいけにえはpiggul(ピッグール)として無効になる。
piggulを意図的に食べたなら、karetになる。
kodshei kodashimに分類される贖罪の献げ物(chatat)、賠償の献げ物(asham)は、トーラの規定では屠った日の日中とその夜の間に食べなくてはならない。
kodashim kalimに分類される和解の献げ物(shelamim)は、トーラの規定では屠った日の日中とその夜、更にその翌日の日中までの間に食べなくてはならない(ただしshelamimの一種であるtodahは除く)。
②献げ物の肉は、その献げ物の種類に従って、食べてよい場所が決まっている。その場所以外の場所で食べる意図が示されたなら、そのいけにえはpasul(パスール)として無効になる。
kodshei kodashimに分類される贖罪の献げ物(chatat)、賠償の献げ物(asham)は神殿の敷地内で食べなくてはならない。
kodashim kalimに分類される和解の献げ物(shelamim)はエルサレムの城壁内で食べなくてはならない。
従って、例えばshelamimをエルサレムの外で食べる意図を示していけにえを屠るなら、いけにえはpasulとして無効になる。
もしもpasulを意図的に食べたなら、鞭打ち刑になる。
ミシュナ「Me'ilah」1章1節の法解釈とラビ・ヨシュアの一般原則
以上の基本的な知識を前提に、ミシュナ「Me'ilah(メイラー)」の解説を始める。まずは1章1節から引用する。
kodshei kodashimで、敷地の南側で屠られたものは、me'ilahの掟に従う。
不適格な奉仕(場所・時間の違背)における聖性の維持とme'ilahの適用
上で解説したように、祭壇の南側で屠殺されたkodshei kodashimは不適格になり、無効になる。この不適切な屠殺(shechitah)は、「聖別されたものを不注意で費消する」という趣旨であるme'ilahの対象から外れると考えるかもしれない。
しかし、ミシュナは「南側で屠ったkodshei kodashimもme'ilahの対象になる」と教えている。
確かに祭壇の南側はkodshei kodashimのshechitahには適していないが、kodashim kalimのshechitahとしては有効な場所である。従って南側におけるkodshei kodashimの屠殺は、いけにえをme’ilahの対象から外す程の要件とは見なされない。
ただし、ここでもう1つ学んでおくべき事がある。me'ilahについて有責であるには、聖別されたものから1ペルーター以上の利益を得なくてはならないという事である。
1ペルーターは最小の硬貨単位である。1ペルーターに満たない利益を得ても、賠償義務も献げ物の義務も生じない。
続きには次のように書かれている。
もし誰かが南で屠り、北側で血を受けるなら、または北側で屠り、南側で受けるなら、または日中に屠り、夜に血を振りかけるなら、または夜に屠り、日中に血を振りかけるなら、または時間や場所を越えて食べる意図で屠るなら、me’ilahの掟に従う。
順番に解説する。
まず「kodshei kodashimのいけにえを南で屠り、北側で血を受けた場合」についてである。このケースではavodahの内、shechitahは適法に行われなかったが、kabbalahは適法に行われている。
この場合、shechitahが不適法であるので、いけにえとして無効になる。ただし、me'ilahの対象から外されない。
次に「kodshei kodashimのいけにえを北側で屠り、南側で血を受けた場合」について、avodahの内、shechitahは適法に行われたが、kabbalahは適法に行われていない。
avodahの内、kabbalah、holachah、zerikahは祭司が行わなくてはならない奉仕であり、shechitahより重要である。その意味で、ここまで検討したケースよりも重い違反に相当するが、me'ilahの対象から外れない。
このような違反が行われても、いけにえは「主のもの」であり続け、それから1ペルーター以上の利益を得るなら、me'ilahになる。
次である。
「日中に屠り、夜に血を振りかける場合、または夜に屠り、日中に血を振りかける場合」についてである。
夜間に献げ物の奉仕を行うことは、中庭の南側でkodshei kodashimを屠殺したり血を受けたりすることよりも重い違反になる。
なぜなら、夜間はいかなる献げ物の奉仕においても無効になるが、南側における奉仕は少なくともkodashim kalimの奉仕においては有効な条件だからである。
従って、ミシュナはここで重要なことを教えている。つまり、avodahが夜間に行われた場合であっても、無効となった献げ物は「神のもの」としての地位を保持し、me'ilahの対象であり続けるという事である。
次に「時間を越えて食べる意図を示し(piggul)、または食べてよい場所以外で食べる意図を示して屠った場合」である。この場合も、いけにえは「神のもの」としての地位を失わず、me'ilahの対象になる。
続きには次のように書かれている。
ラビ・ヨシュアの一般原則:「祭司への許容」と所有権の移転契機であるzerikah
ラビ・ヨシュアは一般的なルールについて述べた。「如何なる肉であれ、祭司に許容される時を持つなら、me'ilahに従わない。祭司に許容される時を持たないなら、me'ilahに従う。」
この箇所は重要である。ラビ・ヨシュアはme'ilahに関する基本的な原則を示している。一度「kodshei kodashim」の献げ物の肉が、祭司の食べることを許可されたなら、それは二度とme'ilahの対象にはならない、というものである。
この原則は次のように説明される。
ある人が家畜をkodshei kodashimとして聖別したとき、その人はその家畜に対するいかなる権利(分け前)も保持しない。聖別した時点でその家畜は排他的に神のものになっており、me'ilahの対象となっている。
ここでポイントになるのは、kodshei kodashimの肉は、最終的に祭司が食べるという事である。
聖別した時点ではkodshei kodashimは排他的に神の所有になっている。しかしそのいけにえの血が祭壇に振りかけられた時(zerikah)、いけにえの肉は祭司が食べてよいものになる。
言い換えると、この時点でいけにえの肉は神のものではなく、祭司のものである。従って、zerikah以降の肉はme'ilahの対象にはならない。
zerikah後の不適格事項の発生と聖性除外の不可逆性
以上のような論理を聞くと、「zerikahの後、肉が不適格になり、祭司が食べてはならないものになったら、どうなるのだろうか?例えばzerikahの奉仕の後に、いけにえの肉を調理していた祭司が突然死に、その遺体が肉に触れ、肉が汚れた場合はどうするのだろうか?」という疑問が生じる。
ラビ・ヨシュアはこの種の疑問に対して、「祭司に許容される時を持つなら、me'ilahに従わない」と述べている。
一端祭司が食べてよい時間があるのなら、その後祭司が食べてはならない状況に至ったとしても、その肉はme'ilahの対象に戻らないという事である。
簡単に言うと、一端me'ilahの対象から外れたら、再びme'ilahの対象に戻らないという事である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Me'ilah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8ab1e0588261
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
