ミシュナ『Bava Kamma』による損害賠償の法理体系 第2回:bor(穴)の法理的定義と『四つの主要な損害』(avot nezikin:アヴォット・ネジキン)における責任帰属の体系
*本稿では、ミシュナ『Bava Kamma』における損害賠償の法理体系を、聖書学および伝統的なハラハーの解釈に基づき詳述する。前半では「bor(穴)」の致死性(10手幅の規定)と責任主体(共有者間の転移)の厳格な線引きを論じ、後半では『Bava Kamma』1章1節が規定する「四つの主要な損害(牛、穴、maveh、火)」の比較分類、および損害査定における金銭補償の原則を定義する。
日本語圏に蔓延する通俗的な解説を排し、2,000年前の「律法の現場」における法的真実を、一次史料に基づき再構築する。
前回の復習:tamとmuadの法的地位、keren・shen・regelの三類型及び人間および野生動物におけるmuadの例外適用
前回はtamとmuadについて扱った。今回の内容に進む前に、以下5つの項目に分けて復習する。
【1】損害の基本区分:tam と muad
①tam(タム/予見不可能な損害)
動物が通常行わないような「予見できない」行動による損害を指す(例:牛が人を突く、蹴るなど)。
②muad(ムアド/常態化した・見込まれる損害)
習性として通常起こりうる損害、あるいは過去の経験から発生が予見できる損害を指す(例:牛が他人の草を食べる、歩いて物を壊すなど)。
【2】損害の三類型
損害の態様として、以下の3つの用語が定められている。
①keren(ケレン/角)
突く、蹴るなど、本来はtamとされる攻撃的な行動による損害。
②shen(シェン/歯)
餌に適したものを食べるという動物の習性による損害(muad)。
③regel(レゲル/足)
歩行中に物を踏み壊すという習性による損害(muad)。
【3】法的地位の転換(tam から muad へ)
本来 tam(予見不可能)とされる行動であっても、繰り返し行われることで muad(予見可能)へと法的地位が転換する。
①ラビ・ユダの見解(ハラハーとして採用)
3日間連続で同種の損害を与え、その都度所有者が警告を受けた場合、その動物は muad と見なされる。
逆に、muad とされた動物が、3日間同じ被害を発生させなかった場合、再び tam に戻る。
【4】賠償範囲の算定原理
損害が tam か muad かによって、所有者が支払うべき賠償額が異なる。
①tam による損害
所有者にとっても不測の事態であるため「痛み分け」とし、被害者と損害額の半分ずつを分担する。
②muad による損害
所有者は事前に予見出来た筈であり、高い注意義務が課せられているにも関わらず発生したので、全額賠償の責任を負う。
【5】特殊な規定
①人間
人は常に muad(予見可能な存在)と見なされ、どのような状況でも全額賠償の責任を負う。
②野生動物
狼、ライオン、蛇などの危険な動物は、事前の警告なしに最初から muad と見なされる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Bava Kamma』による損害賠償の法理体系 第1回: tam(タム)・muad(ムアド)の法的定義とkeren(角)・shen(歯)・regel(足)の三類型
https://note.com/mishnah/n/n478c02d86323
「bor(穴)」の法理:致死性の定義と形状・場所による有責性の判断
今回は別の損害について扱う。まずはトーラから引用する。
33人が水溜めをあけたままにしておくか、水溜めを掘って、それに蓋をしないでおいたため、そこに牛あるいはろばが落ちた場合、 34その水溜めの所有者はそれを償い、牛あるいはろばの所有者に銀を支払う。ただし、死んだ家畜は彼のものとなる。
この論点については、口伝律法ミシュナ「Bava Kamma」5章で扱っている。順に解説する。
もし誰かが私的な場所に穴を掘って、公的な場所にまで広げるなら、または公的な場所に掘って、私的な場所にまで広げるなら、または私的な場所に掘って、他の私的な場所にまで広げるなら、彼は有責である。
これはどこの場所においても、被害者が入って来ることの出来る場所に危険を作ってしまったなら、掘った人に責任が生じることを言っている。
続きである。
彼の掘った穴が長く狭いものであっても、洞窟、四角形、底が狭く上が広い形状であっても、彼は有責である。
ここでは穴の形状に関わらず、同じ責任を負うことを言っている。
続きである。
そうであるなら、なぜ「穴」と言われているのだろうか?ちょうど穴が死を引き起こすに十分な深さがあるように、―10手幅である、そのように、10手幅あることによって、あらゆるものにも死の危険がある。もしそれに満たない深さであり、牛やろばがそこに落ちて死んだなら、彼は免責される。もし傷を負ったなら、彼は有責である。
如何なる形状であれ有責であるなら、なぜトーラは「穴(bor:ボル)」と表現しているのだろうか?
それは、トーラでは10手幅以上の深さがあるものを指しているからである。
1手幅は約8~10センチであるので、10手幅は80~100センチになる。
従って、もしもこれに満たない深さの形状を掘ったなら、その者はそこに入った動物が死ぬことを想定しなくてよいことになる。
次節に進む。
責任の所在と転移:共有地における蓋の管理責任
もし穴が2人の共有者に属していて、最初の人がそこを通り過ぎたが蓋をかぶせず、2番目の者も通り過ぎたが蓋をかぶせなかったなら、2番目の者が有責である。
これは最初の人が2番目の人に蓋を渡した場合にのみ適用される。それで最初の人の責任は十分に全うされている。
この場合は2番目の者だけが責任を負う。
もしも字義通り、最初の人はその場を去っただけであるのなら、彼も2番目の者と共同で、その後発生した損害について責任を負う。
続きである。
もし最初の人がかぶせ、2番目の人は蓋が外れているのを見たがかぶせなかったなら、2番目の者が有責である。
これは上のケースと事実上同じであり、簡単である。
次も容易であろう。
もし彼が適切に蓋をかぶせ、牛やろばがそこに落ちて死んだなら、彼は免責される。もし彼が適切に蓋をかぶせず、牛やろばがそこに落ちて死んだなら、彼は有責である。
彼は適切に蓋をしたのだから、そこで事故が起きても責任は無い。
次である。
損害対象による免責規定:家畜、道具、および人間に対する法的解釈
もし軛を負った牛が落ちたなら、それでそれらが壊れたなら、またはろばが運んでいるものと共に落ちて、それらが壊れたなら、彼は動物に関しては有責であるが、道具に関しては免責される。
これはトーラの本文で「牛やろば」と家畜しか問題にしていないので、その他の損害については有責ではないというものである。
もし耳が不自由な、愚かな、または若い牛がそこに落ちたなら 、彼は有責である。男の子、女の子、奴隷、女奴隷の場合、彼は免責される。
家畜を賠償することに関して、その動物の器官が不自由であった場合も同様であるという内容である。
しかし人間の場合は、穴の所有者は責任を負わない。
それはトーラの本文に人が含まれていないという点と、人には注意能力があるという2つの点があるからと思われる。
以上で簡単にだが、borについての解説を終えた。
損害賠償総論:ミシュナ1章1節における「四つの主要な損害」(avot nezikinアヴォット・ネジキン)の動態的分類
前回と今回の内容で、損害と賠償に関して若干のイメージが出来たとも思うので、ここで損害賠償についての総論を紹介する。
tam、muad、bor(穴)等はその中の各論という位置付けである。
「Bava Kamma」1章1節を引用する。
4つの主要な損害は、牛 、穴 、maveh 、火 である 。
牛はmavehのようではなく、mavehは牛のようではない。これらの2つは生きているものであり、生きていない火のようではない。火は行って損害を及ぼすものである。穴のようでもない。穴は行かないで損害を及ぼすものであるから。それらのものに共通していることは、それらは損害を与えるものであり、監視していなくてはならないという事である。もしも損害を与えたら、所有者は土地の最上のもので補償しなくてはならない。
「Bava Kamma」は損害の主要な原因を4つ挙げている。
①牛(動物)
前回扱った内容である。
②穴(bor)
今回扱った内容である。
③maveh(マヴェ)
これは前回「shen」と呼んだもので、他人所有の作物や草を食べることを言う。
④火
燃え広がって損害を与えることを言う。
次に「牛はmavehのようではなく、mavehは牛のようではない」とあるが、どちらも家畜の損害であることに変わりはない。
図式化すると「牛 > maveh」であるので、2つ分けている理由が無いとも思われる。
これは次のように考える。突くことや踏んで壊すことに比べて、他人のものを食べる(maveh)の方は見過ごされやすい。
これもしっかりと賠償するという意図で、両者を分けているのである。
「これらの2つは生きているものであり、生きていない火のようではない。火は行って損害を及ぼすものである。穴のようでもない。穴は行かないで損害を及ぼすものであるから」については、問題無いだろう。
家畜とmavehをするものは、当然生きているものである。
火は生きていない。
穴は生きていない点で火と同様だが、動かないで損害を発生させる。その点で火とは異なる。
これだけのことを言っている。この4つの主要な原因はavot nezikin(アヴォット・ネジキン)と呼ばれる。
最後の「もしも損害を与えたら、所有者は土地の最上のもので補償しなくてはならない」について、これは損害を不動産で補償しようとする場合、最も良い畑やぶどう畑でするべきという事である。
次である。
補償の原則と法廷審理:金銭査定、証人資格、および死体帰属の法理
損害の査定は金銭で計られる。支払いは金銭の価値のあるものでされる。法廷の面前で、自由人であり、ユダヤ人の証言によって。女性は損害の掟に含まれる。被害者も加害者も支払いに含まれる。
これも補償の原則について言っている。一部分かりづらいが、次のようにまとめられる。
①損害の程度は金銭で計る。
②補償は必ずしも金銭でする必要はない。
ただしその物の金銭的な価値に従って補償しなくてはならない。
③査定も支払いも、法廷において行う。
法廷での審理において、出廷する証人は奴隷であってはならず、独立したユダヤ人男性でなくてはならない。
④女性も損害の補償を受け、また責任を負う。
女性も損害を発生させた場合は責任を負い、被害を受けた場合は補償される。
⑤「被害者も加害者も支払いに含まれる」
これは分かりにくいが、前回の記事で考えると分かりやすい。
例えばmuadの牛が他人の牛を殺した場合、被害者がその死体を受け取り、加害者は実損たる差額のみ支払うことを言っている。
それが「被害者も加害者も支払いに含まれる」の意味である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
