maaser beheimah(マアセル・ベヘマー)の律法:家畜の十分の一を聖別する手順とミシュナ規定の詳説
*本稿では祭司への奉納物の5番目、家畜の十分の一(maaser beheimah)について、旧約聖書のトーラおよび口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Bechorot』9章に基づき、その法的定義と実務的プロセスを詳述する。
農作物のmaaserとの適用範囲の違い、16ミルという空間的制限、エルールの1日の時間的境界、そして「赤い染料」を用いた選別儀礼と不測の事態(混入)へのhalachah(ハラーハー)的対処まで、日本語圏では稀少な一次史料に基づく専門的知見を提示し、聖書学における「律法の現場」の真実を明らかにする。
序:祭司への奉納物の体系的再整理
これまで、祭司に与えられるものとして、以下の項目を扱ってきた。簡単に要約する。
【1】bikkurim(ビックリーム):土地の初物
聖地の豊かさを象徴する「7つの産物」(小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブ、ナツメヤシ)の、その年最初の最上の実りを神殿へ奉納する義務である。
土地を正当に所有する者のみに義務があり、エルサレムへ集団で参詣し、祭壇の前で先祖の歴史に関する「告白」を唱える特別な儀礼を伴う。奉納後は祭司の完全な私有財産となる。
【2】terumah(テルーマー):農作物の奉納物
穀物、ぶどう酒、油などの収穫物から祭司のために取り分けるものである。
聖書に具体的な割合はないが、ラビの規定により40分の1(気前の良い者)から60分の1(最低限)が目安とされている。
聖なるものとされ、祭儀的に清い状態の祭司とその家族、所有する奴隷のみが食べることが出来る。必要なものを取り分けた後の通常の作物(chullin:フーリン)と混ざった場合、101対1以上の割合でchullinが多くなければ、全体が食用不可(祭司専用)となる。
【3】challah(ハッラー):パン生地の聖別
5種類の穀物(小麦、大麦、スペルト、オート、ライ)でパンを作る際、焼く前の「捏ねた生地」の一部を取り分ける日常的な義務である。
一定以上の分量(約1.2〜1.6kg以上)を扱う場合に義務が生じ、家庭用では24分の1、商売用では48分の1を取り分ける。
日常の調理の中に「聖別」を取り入れ、経済活動が神の秩序内にあることを自覚させる役割があります。
【4】bechorot(ベホロット):初子の聖別
人や家畜の「最初に胎を開いた雄(初子)」を神のものとして聖別する掟である。これはエジプト脱出の際、イスラエルの初子が救われた記憶に基づく。
生後30日生存した男子が対象で、父親が祭司に銀5シェケルを支払うことで「贖い(買い戻し)」を行う。
牛、羊、山羊などの清い動物は祭司に渡され、祭壇で献げられた後に祭司の食用となる。kosherでないろばの場合は、代わりに小羊を祭司に渡して贖うか、断首しなければならない。
以上の内容に不安を感じる方は、末尾に付けたシリーズ目次のリンクから確認して欲しい。
maaser beheimah(マアセル・ベヘマー)の聖書的根拠と無作為性の原則
今回は家畜の初子(maaser beheimah:マアセル・ベヘマー)について扱う。このmaaser beheimahも祭司に与えられるもので、5番目になる。
まずは旧約聖書の最高権威であるトーラ(モーセ五書)から引用する。
32牛や羊の群れの十分の一については、牧者の杖の下をくぐる十頭目のものはすべて、聖なるもので主に属する。 33この十分の一の家畜を見て、その良し悪しを判断したり、それを他のものと取り替えたりしてはならない。もし、他のものと取り替えるならば、それも取り替えたものも聖なるものとなり、買い戻すことはできない。
牛、羊、山羊の群れから10番目のものが、maaser beheimahとして聖別される。ここでは「良いか悪いか(傷の有無)を調べてはならない」という無作為性が強調されている。
10番目の家畜を自分の判断で取り替えようとするなら、10番目のものも、取り替えようとしたものも聖別される。
一連のプロセスは口伝律法ミシュナ「Bechorot」9章に詳述されている。
適用の時間と場所:聖地外・神殿不在時における有効性
maaserの家畜は聖地の中でも外でも、神殿のある時も無い時も適用される。それは通常の家畜から取られ、聖別されたものからは取らない。それは牛にもseh(セー;羊・山羊)にも適用されるが、一方を他方の為に取ることは出来ない。羊と山羊について、互いの為に分けてよい。新しいものと古いものについて、一方を他方の為に取ることは出来ない。
まず「maaserの家畜は聖地の中でも外でも、神殿のある時も無い時も適用される」とある。
農産物の10分の1(maaser・rishon:マアセル・リション等)が基本的にイスラエルの土地に結びついた義務であるのに対し、家畜の10分の1は所有者に関わるものである。
文字通り「聖地の中でも外でも、神殿のある時も無い時も適用される」。
「それは通常の家畜から取られ、聖別されたものからは取らない」とは、例えば焼き尽くす献げ物として聖別したものから、あるいは初子(bechor)から取らないという事である。
対象家畜の定義:seh(羊・山羊)の合算と「新年(エルール1日)」の境界
「それは牛にもseh(セー:羊・山羊)にも適用されるが、一方を他方の為に取ることは出来ない。羊と山羊について、互いの為に分けてよい」とは、具体的に見ると分かりやすい。次のことを言っている。
①牛10頭、羊10匹がいれば、それぞれ1頭、1匹を取る。
②牛5頭と羊5頭を合わせて10頭とし、それから1つ取ることは出来ない。
③羊と山羊は混ぜてよい。羊5匹と山羊5匹を合わせて10匹とし、そこから1匹取ることは出来る。
律法上、羊と山羊は「seh(セー)」と呼ばれ、これらは「1つの群れ」として扱われるため、合算して10分の1を取ることが許される。
「新しいものと古いものについて、一方を他方の為に取ることは出来ない」は彼らの暦に関係している。
私たちの暦も正月という年の変わり目があり、4月という年度の変わり目もある。外国では9月から学期が始まる。
律法上、これと同様な事情があり、1年の始まりは第1の月(ティシュレ)の1日であるが、家畜を取り分ける区切りとなる日は別になる。
家畜を取り分ける区切りとなる日は、第6の月(エルール)の1日である。それ以前に生まれた家畜は「古い」ものであり、それ以降のものは「新しい」。
その意味で、「新しいものと古いものについて、一方を他方の為に取ることは出来ない」。新しいものの為に古いものから、あるいはその逆から取ることは出来ない。
また、両者を一緒にして取ってもならない。
ただし、エルールの1日ではなくティシュレの1日が区切りとなるという見解も有力であり、どちらが正しいか判断出来ないことを前提に、微妙な仕方で選別をしていた記録もある。
この暦の区切りに関する論争は詳細過ぎる内容になるので、ここでこれ以上は立ち入らない。
次は空間的な制限について述べる。
空間的制限と結合の条件:16ミル・32ミルの境界線
家畜のmaaserは食んでいる家畜が活動している領域内から取られる。どのくらいの距離で活動するのだろうか?16ミルである 。それらの間に32ミルあるなら、結合しない。もしそれらの間に家畜がいるなら、それらは一緒にされ、真ん中でmaaserを分ける。
1ミル = 2,000キュピッド = 約1キロである。
従って16ミルとは16キロ程度になる。これは平面の地形において、牧者が管理出来る上限になるらしい。素人目には広すぎるように思える。
「それらの間に32ミルあるなら、結合しない」とは、もし1箇所に9匹おり、32キロ程度離れたところで5匹いたとしても、それらからmaaser beheimahを取り分ける必要がないことを言っている。
次に4節に進む。次のように書かれている。
選別の除外規定:完全性と自然な誕生の要求
全ての家畜は囲いの中に入り、maaserされなくてはならない。雑種、tereifah、帝王切開で生まれたもの、生まれて間もないもの、孤児は除く。
全ての家畜は囲いの中に入れられ、この後述べる方法でmaaser beheimahを無作為に選別する。
ただしここに列挙されているものは、対象に含まれない。その内、tereifah(テレイファー)とは致命傷を負っているものであり、帝王切開で生まれたものとは、自然に生まれたものではないものを指す。
前回触れなかったが、初子(bechor)の場合も帝王切開であってはならない。
「生まれて間もないもの、孤児は除く」とは、トーラの次の箇所に拠っている。
27牛、羊、山羊が生まれたときは、七日の間その母親のもとに置きなさい。八日目以後は主に燃やしてささげる献げ物として受け入れられる。
生まれたばかりの家畜は、しばらく母の元に置くように命じられている。
次に実際の取り分ける場について解説する。次のように書かれている。
選別プロセスの実務:杖による計数と赤い染料の刻印
どのようにmaaserを分けるのだろうか?囲いの中に集め、小さな出口を設ける。2匹が一度に出ることが出来ない程度の広さである。それから彼は、鞭で数える。「1、2、3、4、5、6、7、8、9」、―10番目に出る家畜に対して、彼は赤い染料でしるしを付ける。そして宣言する、「これがmaaserである」。もし赤い染料でしるしを付けなかったり、または鞭で数えなかったり、またはそれらがうずくまっている時や立っている時に数えても、maaserの為に数えている。
「2匹が一度に出られない狭い出口」を作ることは、計算の正確性を期す為である。そこから順番に出てくる家畜を数え、10番目に杖で赤い染料を付ける。
この時、「これがmaaserである」と宣言する。
「もし赤い染料でしるしを付けなかったり・・・maaserの為に数えている」とは、前述した計数の作法を守れない事情があったとしても、有効にmaaserを分けていることを言っている。
次である。
もし彼が100匹所有していて10取ったり、10で1取ったりしても、それはmaaserではない。
これは無作為ではなく、作為でmaaserを取ろうとした場合である。これは有効ではない。
イレギュラーへの法的対処:個体の逆流と免責・制限の法理
もし既に数えたものが飛び上がって囲いの中に戻るなら、それらは免責される。
これは既にmaaserを取り分けたグループの中の1匹が、まだ数えていない囲いの中に戻った場合である。どれが数えた個体であるのか分からない。
そこで、囲いの中に残ったものについては、それ以上maaserを取り分けることは要求されない。免責される。
次はこの逆のケースである。
もしmaaserになったものが囲いの中に飛び上がって戻るなら 、傷を負うまでそれらは草を食むことになる。傷を負った状態で、それらは所有者が食べる。
今度はmaaser beheimahとして取り分けたものが、まだ数えていない囲いの中に戻り、分からなくなったケースである。この場合、全ての個体をmaaserとして祭壇に献げることは出来ないし、通常の個体として屠り、食べることも許されない。
唯一有効活用するには、傷を負い、祭壇で献げるには不適格になった場合だけである。この場合は屠り、食べることが出来る。
以上で家畜の10分の1、maaser beheimahについての解説を終える。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉聖別と奉納の法理:ミシュナが解き明かす「祭司の取り分(matanot kehunah:マタノット・ケフナ)」と聖なる生活秩序の全貌
https://note.com/mishnah/n/nb10ab99a02a4
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
