ミシュナ『Niddah』の法理研究 第2回:ShammaiとHillel、ハハミーム(chachamim:ラビたち)の遡及的不浄(tamei)論争
*本稿は、古代ユダヤ教における口伝律法『Niddah』、およびハラーハー(ユダヤ法)の不浄論に関する歴史的・法理学的分析を目的とした純学術的な論考である。記述される身体現象、儀礼、および性的禁忌に関する言及は、すべて宗教法学的文献の正確な読解に基づくものであり、性的な関心を喚起する目的、あるいは公序良俗に反する意図は一切含まれていない。
本稿は口伝律法ミシュナ第6部『Tohorot(トホロット)』に属する『Niddah(ニッダー)』の第2回目の解説である。
今回は『Niddah』1章1節の前半部を精読し、月経の出血に伴う祭儀的不浄(tamei)の「開始時点」を巡る法理学的論争を解明する。
レビ記15章19節の記述「彼女の肉の内に」に対する解釈が、Shammai、Hillel、そしてchachamim(ハハミーム)の裁定にどのように反映されたのか。法的推定(chazakah)の適用と、聖別された食べ物(terumah/kodashim)の防護策としてのラビ律法の構造を学術的に分析する。
前回の振り返り:不浄論の基礎規定、月経・異常出血の定義と血痕判定基準
前回は『Niddah』における不浄論の基礎規定と、月経および異常出血に関する法理的定義を解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】niddah(月経状態)の定義と法的効果
女性は月経周期の開始時に経験する最初の子宮出血によりniddahとなり、出血の回数や量にかかわらず、7日間tamei(タメイ:汚れた状態)となる。
この状態の女性は「av hatumah(アヴ・ハトゥマー)」として、接触だけでなく、運ばれること(masa)や体重をかけること(midras)を通じても汚れを伝播させる。
7日目の終りに出血が止まっていれば、mikvehに浸かることでtahor(タホル:清い状態)に戻る。
【2】夫婦行為の禁止と罰則
niddah期における夫婦行為は厳格に禁止されており、意図的な違反はkaret(カレート:民の中から断たれる)、不注意による場合はchatat(贖罪の献げ物)の対象となる。また、niddahの女性と性行為をした夫も7日間tameiとなる。
【3】zavah(異常出血状態)と11日間のサイクル
7日間のniddah期間が終了した後の11日間に出血した場合、それはzavah(ザヴァー)と呼ばれ、niddahとは異なる規定が適用される。
①zavah ketanah(小ザヴァー)
11日間のうち1日または2日連続で出血した場合。1日間の「clean day(出血のない日)」を置き、mikvehで身を清める必要がある。
②zavah gedolah(大ザヴァー)
3日連続で出血した場合。7日間の連続したclean dayを数え、⑦日目のmikvehに加え、8日目に2羽の山鳩か家鳩の献げ物を献じなければなりません。
【4】タルムード期における規定の変遷
出血がniddah期間(7日間)のものか、その後のzavah期間(11日間)のものかを正確に追跡することは困難である。そのため、タルムードの時代には、出血の時期や期間にかかわらず、すべての女性がzavah gedolahとしての厳格な規定(7日間のclean dayを数える)を一律に適用する習慣が定着している。
【5】血痕判定基準と「gris(グリス)」の法理
トーラ(モーセ五書)の解釈では、子宮からの血液排出に伴う内部的な感覚(hargashah)がない限り祭儀的な汚れにはならないとされますが、ラビたちは感覚がなくても出血があればniddahになると定めた。
他方で、由来不明の血痕については寛容な基準が設けられている。血痕が「gris(グリス:引き割り豆のサイズ)」以下であれば、それは子宮からの血ではなく、当時一般的だった「潰されたシラミの血」であると見なすことができ、女性はtahorのままでいられるという規定である。この基準はシラミが少なくなった現代でも適用されている。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Niddah』の法理研究 第1回:niddahとzavahの定義、月経サイクル、gris
https://note.com/mishnah/n/nc22d24020e96
ミシュナ『Niddah』1章1節:Shammai(シャンマイ)とHillel(ヒレル)の対立
今回は口伝律法ミシュナ「Niddah」の本文に入る。
Shammaiは言う、「全ての女性に関して、出血の確認した時で十分である」。Hillelは言う、「最後に内診した時から、彼女たちは汚れていたと見なす。たとえそれが何日前のことであっても。」
レビ記15章19節の釈義:「彼女の肉の内に」が持つ法理的意味
本節の前提になっているのは、前回も見たレビ記15章19節の表現である。次のように書かれている。
女性の生理が始まったならば、七日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。
「女性の生理が始まったならば」の箇所の原文は「彼女の肉の内に(in her flesh)」という一語が入っている。汚れの開始するのは「体の外に出血したら」という言い方をしておらず、「彼女の肉の内に」と言っているのである。
そこで、トーラの次元ではたとえ血液がまだ腟管を通り抜けて体外に出ていなくても、血液が子宮を離れた瞬間から女性をtameiにすると解釈される。
これは同時に、女性が血の出たことを発見したとき、既にしばらくの間tameiであった可能性があるという事になる。もし実際にそうであれば、彼女が血を発見する前に接触した人々や物品はtameiになる。
この点、ミシュナ本文でShammai(シャンマイ)は「全ての女性に関して、出血の確認した時で十分である」と述べている。
女性が子宮からの出血を発見した場合、その発見した時点からtameiであると判定すれば十分であり、それ以前に排出が始まって付着していたとは見なさない、ということである。
ここでShammaiが「発見した時からtameiになる」と言うのではなく、「発見した時で十分である」という言い回しをしている点が注目される。
すぐ後で見るように、Hillelやその他のラビたちは発見した時から遡って汚れた時を規定しようとしている。Shammaiはこれに反対し、実際に出血を発見した時点からtameiとして扱えば十分であり、厳格にそれ以前の時点からtameiと規定する必要はないと論じている。
Shammaiの裁定とchazakah(ハザカー)の原則
Shammaiの裁定は、chazakah(ハザカー)として知られる法的原則にも基づいている。chazakahとは、ある状態から別の状態へ変化したという決定的な証拠がない限り、人や物の「既定の状態」が継続していると推定する。
子宮からの出血の場合、女性は以前においてtahor(清い状態)であり、いつ出血が起こったのか正確な時点が確定出来ないので、出血を確認した時まで、最後に知られていた状態(tahor)が継続していたと見なす。
Hillelの遡及的裁定と内診の定義
これに対してHillelは「最後に内診した時から、彼女たちは汚れていたと見なす。たとえそれが何日前のことであっても」と述べている。
まず「内診」とは、膣内を調べて子宮からの出血があるかどうかを確認する検査のことである。具体的には、女性が指に布を巻き、それを膣内に挿入して、壁面を注意深く拭い取ります。その後、布を取り出して血痕がないかを確認する。
Hillelによれば、内診によって出血を発見した場合、その女性は「最後に行った内診の時点」まで遡ってtameiであったと見なされる。
例えば週の初めに検査をしてtahorであった女性が、週末の検査で「血痕」を見つけた場合、その間の1週間ずっとtameiであった可能性がある。これは、最初の内診の直後に子宮から出た血が、発見されるまで膣壁に付着していた可能性があるからである。
Hillelの「遡ってtameiと見なす」という裁定は、トーラの律法よりも厳しい規定である。
Hillel自身、聖書の次元ではchazakahによって、出血を確認するまではtameiと見なされないという点には同意している。その上、彼が「遡ってtameiと見なす」という裁定は、terumahやkodashimといった聖別された食べ物に対する関係においてのみである。
聖別された食べ物はもし汚れてしまったら、食べてはならず焼かなくてはならない。
ラビたちは時に聖別されたものに関する掟を守る為に、トーラで命じられているより厳しい規定を設ける。そこで出血の有無に関しても原則であるchazakahに従うのではなく、確実にtahorであった時を基準にして判断する。
すなわち最後にtahorであったことが確実な時から、出血を確認した時の間に触れた聖なるものは、tameiになったと見なす。他方でchullinである食べ物(通常の食べ物)に関しては、tahorであると見なす。
これは食べ物だけでなく、その他の物に関しても同様に扱う。夫婦行為に関しても、夫は汚れたものとは見なされない。遡及的な汚れは、あくまで「可能性がある」という疑いに基づくラビたちの規定であり、確定的な不浄ではないからである。
chachamim(ハハミーム:賢者たち)による止揚:24時間規定の導入
続きには次のように書かれている。
しかしラビたちは言う、「掟はこちらの言葉にも、あちらの言葉にも一致しない。むしろ、24時間が内診から内診までの時間を減少させるし、内診から内診が24時間を減少させる。」
ラビたち(chachamim:ハハミーム)は、Shammaiの見解ともHillelの見解とも異なる見解を示しており、次の①と②の内、いずれか短い方の期間において遡及的にtameiとなると裁定する。
①出血を発見する直前の24時間
②最後にtahorを確認した内診以降の時間
すなわち最大24時間まで遡及してtameiになるという事である。
例えば3日前に内診しており、今出血を確認した場合、24時間前に遡ってtameiとなる。
また例えば半日前に内診してtahorであり、今出血を確認した場合、半日前に遡ってtameiとなる。
ラビたち(chachamim)は、膣壁が血を長時間保持し続ける可能性は低いと考え、遡及期間を限定したものである。
「Niddah」1章1節の後半は次回扱う。今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Niddah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/nb46479539fed
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
