聖書時代の墓の構造と口伝律法:ミシュナ『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』から読み解く「空の墓」の真実
*福音書には幾つかの墓の描写が出てきます。当時の墓は、現代とは趣がやや異なり、家族が代々受け継ぐための精巧な「建築」でした。
本記事では、ユダヤ教の口伝律法『ミシュナ』に記された厳格な墓の設計図を紐解き、アリマタヤのヨセフが用意した墓の構造を徹底検証します。
なぜ墓の入り口に「庭」があるのか。女性たちが心配した「入口の石」はどれほど重かったのか。そして、弟子たちが墓の中に入ったことが持つ、律法上の意味とは何なのか。
4,600文字の徹底解説で、聖書の世界が圧倒的なリアリティを持って動き出します。
福音書に記された「墓」の描写
共観福音書においても、ヨハネによる福音書においても、幾つかの箇所で「墓」について触れられている。ここではまず、2つ引用する。
夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
ここではアリマタヤのヨセフが購入した新しい墓にイエスを葬り、石を転がして立ち去ったことが書かれている。そのすぐ後には次のように書かれている。
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
ここでは翌日マグダラのマリアともう1人のマリアが墓に行ったところ、天使が現れ、石が動いてその上に座ったことが書かれている。
私たちは日本人であるので、「洞窟の中の墓」と言われても、何となく「1人用の墓」を考えている。しかし実際はそうではない。
今回は口伝律法ミシュナを紐解きながら、当時の墓について検証したいと思う。まず「Bava Batra」6章から引用する。
ミシュナ『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』が規定する墓の設計図
もし誰かがカタコンベを作る場所を売るなら、同様に誰かがカタコンベを掘る為の契約を結ぶなら、彼は4キュビット×6キュビットの内部を掘り、8つの部屋を開く。左右に3つずつ、正面に2つである。部屋は奥行き4キュビット、高さ7手幅、6手幅の幅である。ラビ・シモンは言う、「彼は6キュビット×8キュビットの内部を掘り、13つの部屋を開く。左右に4つずつ、正面に3つ、1つを正面右、1つを正面左」。彼は墓の入口に6キュビット×6キュビットの庭を作り、それは棺の為に、埋葬する者たちの為に十分なスペースになる。彼は2つの納骨堂を作る。それぞれの側に1つずつ。ラビ・シモンは言う、「4つであり、4つの角に1つずつである」。ラッバン・シモン・ベン・ガマリエルは言う、「全ては岩の形状に従う」。
まず最初の文章「もし誰かがカタコンベを作る場所を売るなら、同様に誰かがカタコンベを掘る為の契約を結ぶなら、彼は4キュビット×6キュビットの内部を掘り、8つの部屋を開く。左右に3つずつ、正面に2つである」について解説する。
これは図を見て欲しい。

1キュビットは約50センチという前提で話をする。洞窟の入口から入ると、そこに4キュビット×6キュビット(2メートル×3メートル)の空間を作る。図の赤線で囲まれた空間である。
その正面には2つの横穴が掘られており、両脇にはそれぞれ3つずつ横穴が掘られているのが分かるだろう。そこに遺体を安置する場所である。
赤線で囲まれた空間は、遺体を担いで入り、横穴の中に奥まで滑り込ませる為の旋回スペースになる。
また家族が中に入り、香油を塗ったり、後に骨を収集したりするための「動線」が考慮されている。というのも、当時の埋葬方法は2段階から成っており、死去した後はこの横穴に入れ、1年後に骨だけになった段階で、今度は別の場所に安置するからである。それについては、また後で述べる。
次に遺体を入れる横穴であるが、これは「部屋は奥行き4キュビット、高さ7手幅、6手幅の幅である」(ibid.)と書かれている。
1手幅を8センチとすると、現代の単位に換算するなら、奥行き2メートル、高さが約56cm、幅が約48cmになる。成人男性が無理なく入るスペースと思われる。
ここまでの内容をまとめると、次のようになる。
洞窟の中の広場
4キュビット×6キュビット(2メートル×3メートル)遺体を入れる横穴
奥行き:4キュビット(2メートル)
高さ:7手幅(約56cm)
幅:6手幅(48cm)
これに対して、上記「Bava Batra」にはラビ・シモンの異説が書かれている。
ラビ・シモンは言う、「彼は6キュビット×8キュビットの内部を掘り、13つの部屋を開く。左右に4つずつ、正面に3つ、1つを正面右、1つを正面左」。
これについても、写真を見て欲しい。

今度は入口から入っての広場が6×8キュビットであり、横穴の数が多い。正面に3つ、左右に4つずつ、斜め正面に2つであり、合計13である。
2段階埋葬:なぜ墓には複数の横穴があるのか
このように1つの墓地で複数の横穴が作られているのは、当時の墓は家族で準備するものであったからである。これだけの規模と横穴の数になると、大家族やより裕福な層向けのモデルケースを示していると考えられる。
アリマタヤのヨセフは自らの家族の為に新しい墓を購入したが、まだ誰も入っていない墓の中にイエスの遺体を入れたことになる。
次の箇所を見てみよう。
「庭」と「ガイドレール」:石を転がすための物理的構造
彼は墓の入口に6キュビット×6キュビットの庭を作り、それは棺の為に、埋葬する者たちの為に十分なスペースになる。彼は2つの納骨堂を作る。それぞれの側に1つずつ。
まず「彼は墓の入口に6キュビット×6キュビットの庭を作り、それは棺の為に、埋葬する者たちの為に十分なスペースになる」とあるのは、文字通りに読んでよい。
これは洞窟内部ではなく、外の空間の話であり、棺を置いたり、埋葬に携わる人々が作業したりするためのスペースである。
「入り口を塞ぐ石を転がす」作業が行われたのも、ここに立ってしたことになる。
「彼は2つの納骨堂を作る。それぞれの側に1つずつ」とあるのは、墓の入口の両側に納骨堂を作るという事である。先程述べたように、彼らはまず遺体を内部の横穴の中に収め、骨だけになったら納骨堂に移した。骨箱を収める場所を言っていることになる。
そこで横穴がいっぱいになっても、古い遺体を骨箱に移してこのスペースに置けば、空いたスペースを使える。
福音書の記述では、イエスは「まだ誰も葬られたことのない新しい墓」に置かれた為、この段階には至っていない。
この点でもラビ・シモンは異説を唱え、「(納骨堂は)4つであり、4つの角に1つずつである」と言っているが、これは下のような状況を想定している。
地上から階段を下りて、墓の入口前の広場に出る。その周りも岩になっていて、その四隅の壁に納骨堂を作るというものである。
最後にラッバン・シモン・ベン・ガマリエルが上記の基本的な墓の計画も、「岩の形状に従う」と言っている。これは事前の設計図通りにいかないことが多かったことを示している。
以上を前提に、福音書の箇所を具体的に検証してみよう。
冒頭の引用箇所では「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(再掲マタ27:60~61)と書いてある。
これについては、墓の入り口のすぐ前に、岩を削って作った「細い溝(ガイドレール)」があり、その溝に沿って重い円盤状の石を転がし、入り口を塞いだらしい。
この溝(ガイドレール)は入り口に向かって少し下りで傾斜していることが多く、閉めるのは簡単だが、開ける(坂を押し上げる)には数人の力が必要であった。
この辺りの事情については、福音書に次のように書かれている。
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
女性たちは、自分たちでは開けられないことを心配している様子が窺える。同様の場面はヨハネによる福音書11章にも書かれている。
イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。・・・(中略)・・・「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
墓の入口の石が、腐敗臭を防ぐ役割も果たしていたことが分かる。
墓に入ることのリスク:民数記が定める「死の汚れ」
最後に、女性たちやペトロたちが墓に入ったことの意味について述べよう。旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)から。
人が天幕の中で死んだときの教えは次のとおりである。そのとき天幕に入った者、あるいはその中にいた者はすべて、七日の間汚れる。・・・(中略)・・・それらの汚れたもののためには、罪の清めのために焼いた雌牛の灰の一部を取って容器に入れ、それに新鮮な水を加える。 ・・・(中略)・・・ 三日目と七日目に、身の清い人が汚れた者に振りかける。汚れた者は、七日目に身を清め、衣服を洗い、体に水を浴びると、夕方には清くなる。
汚れについては度々述べた通り祭儀的な汚れであり、聖なるものに触れてはならない状態になることを言っている。これは汚れの源が人の死体である場合、最も重いものであり、汚れるまでの過程でも、清めるまでの手続きでも、特別な規定が存在する。それが上記の引用箇所である。
簡単にまとめると以下の通りである。
遺体がある場所と同じ天幕の中にいる者、そこに入る者は7日間汚れる。
遺体によって汚れた人は、3日目と7日目に清めの水を振りかけられなくてはならない。
清めの水を振りかけられた後、本人はmikveh(ミクヴェ)で身を清め、日没と共に清くなる。
これが民数記19章で述べている内容である。「遺体がある場所と同じ天幕の中にいる者、そこに入る者」は死者による汚れを受ける。死体に触れなくても、同じ天幕にいれば汚れるのである。
しかもこれは天幕に限らず、遺体があるのと同じ屋根の下にいる人にも敷衍して解釈されており、墓も例外ではない。これがまず1つである。
次に、彼に3日目と7日目に振りかける「清めの水」について説明する。清めの水とは本文にある通り、「罪の清めのために焼いた雌牛の灰の一部を取って容器に入れ、それに新鮮な水を加えた」(ibid.)ものである。
「罪の清めのために焼いた雌牛の灰」の作り方は、同じ民数記19章の1~10節で書かれている。ここでは深入りしない。
それと混ぜる「新鮮な水」とは地面から湧き出た水のことを言う。
「罪の清めのために焼いた雌牛の灰」と「新鮮な水」を混ぜ、3日目と7日目に本人に振りかけるのである。
そして7日目にはmikveh(ミクヴェ)で身を清め、日没の到来と共に完全に清くなる。mikveh(ミクヴェ)についても度々述べたが、雨水を一定分量以上に溜めたプールである。
結論:遺体がないという「法的な証明」
イエスの墓の場合、女性たちや弟子たちが「中に入った」と書かれている。この時、もしもイエスの遺体がまだそこにあるなら、彼らは律法上の「汚れ」を受けたことになり、上記の清めの手続きを取らなくてはならない。もししないなら、神殿の敷地に入るなど、聖なるものには近付けない状態のままになる。
しかし、ここではイエスの遺体は復活して既に無いので、それは当てはまらない。
以上で今回の解説を終わりにする。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
