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「なぜ弟子たちは断食しないのか」—ミシュナ『Taanit(タアニート)』が明かすイエスの「婚礼」宣言

*「なぜあなたの弟子たちは断食しないのか?」聖書に記されたこの問いの裏側には、雨を乞うイスラエルの民が、神の慈悲を求めて実施する反省と苦行の歴史がありました。始めは律法を修めた「卓越した人たち」から、危機が深まるにつて、イスラエルの全共同体が、公的な制度として断食と苦行を行います。

 本記事では、ユダヤ教の口伝律法『ミシュナ』の「Taanit(タアニート篇)」を徹底解説。雨が降らない絶望の冬、町から消える「婚礼」や「挨拶」、「風呂」、そして鳴り響く「角笛」……。

 当時の社会背景の中に置くことで、イエスの「花婿がいる間に断食しない」という言葉が、どのような意味を持つのか解説します。


導入:共観福音書にみる「断食」の論争

 共観福音書の中にはファリサイ派との断食についての問答が描かれている。今回はルカによる福音書から引用する。

 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

(ルカ5:33~39)

 これについてよく聞く解説は「ファリサイ派は週に2回断食する」というものである。しかしそれだけでは彼らの生活の実態は分からない。

断食の「曜日」とモーセの執り成し

 これに関しては、口伝律法ミシュナ「Taanit(タアニート)」1章に書かれている。「Taanit」は全般的に祈りと断食について扱っている。

 もしヘシュヴァンの7日になっても雨が降らないなら、卓越した人たちは3つの断食をする。彼らは日没後、食べ、飲んでよい。彼らは働くこと、風呂に入ること、油を塗ること、靴を履くこと、夫婦行為をすることを許される。

(Taanit 1:4)

 ヘシュヴァンの月とはユダヤ暦の第8の月であり、私たちの暦(太陽暦)では10~11月に相当する。もしヘシュヴァンの7日になっても雨が降らなかった場合、「3つの断食」をするとある。

 ユダヤ暦の新年は第7の月ティシュレの1日に始まる。この日はRosh Hashanah(ローシュ・ハシャナー)と呼ばれる。

 同じ月の15日から21日は仮庵祭である。その最後の日が雨季の始まりとされている。つまり第7の月(ティシュレ)の21日である。

 そこから数えてヘシュヴァンの7日まで雨が降らないという事であり、ユダヤ暦の1ヶ月は通常28日までであるので、ちょうど雨季が始まって2週間雨が降っていないタイミングになる。

 その時、「3つの断食」をするのである。この3つの日は月曜日、木曜日、また次の月曜日である。この2つの曜日が断食する日とされているのは、2つの理由がある。

①2番目の契約の板を受ける為にモーセがシナイ山に上ったのが木曜日であった。

②下山したヨム・キップールが月曜日であった。

 この内、「2番目の契約の板を受ける為に」という点は、ここに来る方々であれば問題ないと思う。1番目の契約の板を持って下山した時、イスラエルの民は金の子牛を拝んでいた(出32)。

 その為モーセは契約の板を壊し、神との関係も破棄されてしまったのである。その執り成しの祈りをする為、再度シナイ山に登ったのが木曜日とされる。

 次の②について、この登山によって民に赦しをもたらしたのは、後年のヨム・キップール(大贖罪日)であるのだが、この日が月曜日であったという事である。

 それは旧約聖書の最高権威モーセ五書(トーラ)ではレビ記16章に書かれているのだが、ほとんど人にとって馴染みであるのは、ヘブライ人への手紙9章の箇所になるだろう。

 さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。
 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。

(ヘブ9:1~7)

 ここでは詳細に立ち入らない。イスラエルの人々は年に1回大祭司の奉仕によって罪を赦免して頂いたが、それがヨム・キップール(贖罪日)である。

 話を戻すが、「もしヘシュヴァンの7日になっても雨が降らないなら、卓越した人たちは3つの断食をする」(再掲Taanit 1:4)とは、もし第8の月7日までに雨が降らないなら、以上の理由で木曜日、月曜日、次の木曜と1週間断食することになる。

 「卓越した人たち」とはタルムードの巻名を全て答えられるような人たちらしい。

 「彼らは日没後、食べ、飲んでよい。彼らは働くこと、風呂に入ること、油を塗ること、靴を履くこと、夫婦行為をすることを許される」(ibid.)とは、制限するのは日中の食事についてのみであり、その他は日常通りの生活を送るという事である。

 しかしその後も雨が降らなかった場合の対応が次である。

段階的に厳格化する断食:卓越した人から全共同体へ

 もしキスレヴの新月祭が来ても雨が降らないなら、法廷は全共同体に3つの断食を布告する。彼らは日没後、食べ、飲んでよい。彼らは働くこと、風呂に入ること、油を塗ること、靴を履くこと、夫婦行為をすることを許される。

(ibid.)

 キスレヴの月はヘシュヴァンの月の翌月であり、第9の月である。雨季が開始して約2ヶ月雨が降らなかったことになる。この場合、「法廷は全共同体に3つの断食を布告する。」(Taanit 1:5)断食の性質が「個人的な敬虔さ」から「国家的な非常事態」へと切り替わりつつある決定的な時である。

 その内容はヘシュヴァンの7日までに降らなかった場合と同じだが、守るべき人たちは「全共同体」になる。彼らは木曜日、月曜日、次の木曜日の各日中に断食することになるが、その他は日常通りの生活を送る。

身体的快楽の遮断:公衆浴場の閉鎖という「喪」

 次はそれでも雨が降らない場合である。

 もしこれらの断食をしても雨によって答えられないなら、法廷は更に3つの断食を全共同体に布告する。彼らは日中は食べたり飲んだりしてよいが、彼らは働くこと、風呂に入ること、油を塗ること、靴を履くこと、夫婦行為をすることは許されない。また、公衆浴場を閉鎖しなくてはならない。

(Taanit 1:6)

 それでも雨が降らない場合、それまでの「日中は食べられない」断食から更に制限が強化される。

 「彼らは日中は食べたり飲んだりしてよい」とは、文字通り「日中は食べてよい」という意味ではなく、その後の日没から断食が始まることを言っている。

 つまり日没から次の日没まで、断食する。しかも「働くこと、風呂に入ること、油を塗ること、靴を履くこと、夫婦行為をすること」が認められない。

 「公衆浴場を閉鎖しなくてはならない」について、当時の公衆浴場は単に体を洗う場所ではなく、リラクゼーション、社交、そして肉体的な喜びを象徴する場所であった。その公衆浴場を閉鎖するということは、個人の意思に関わらず、町全体から「心地よさ」や「リフレッシュ」の機会が奪われたことを意味する。

 木曜日、月曜日、木曜日の3日間、共同体はこのように行う。

極限の非常事態:鳴り響く角笛と商店の閉鎖

 それでも雨が降らない場合、第9の月(キスレヴ)の後半から第10の月(テヴェット)に差し掛かっている。これは11月~12月であり、イスラエルの地では本来、雨が最も必要な時期である。

 この時期に雨が降らないということは、その年の飢饉がほぼ確定することを意味する。この時、更に全共同体に7つの断食が布告される。これに関して、以下のように書かれている。

 もしこれらの断食をしても雨によって答えられないなら、法廷は更に7つの断食を全共同体に布告する。全部で13の断食になる。
 これら7つの断食は、それ以前のものよりも厳格である。というのも、これらの時には彼らは角笛を吹き、店を閉鎖するからである。月曜日、店のドアを部分的に開けてよいが、木曜日、安息日の為にそれを開けてよい。

(Taanit 1:6)

 「角笛を吹く」ことは次の3つのことを意味する。

①神に対する人間の言葉にならない叫びを象徴
 どれ程祈り、苦行しても雨が降らない状況にあって、言葉ではなく叫びのように角笛を吹き鳴らすことで、神の慈悲を得ようとする。

 トーラには次のように書かれている。

 あなたたちの国に攻め込む敵を迎え撃つときは、出陣ラッパを吹きなさい。そうすれば、あなたたちは、あなたたちの神、主の御前に覚えられて、敵から救われるであろう。

(民10:9)

 この約束に基づき、「干ばつという敵」に対する神の介入を求めている。

②民への悔い改めの警笛

 アモス書には次のように書かれている。

町で角笛が吹き鳴らされたなら
人々はおののかないだろうか。
町に災いが起こったなら
それは主がなされたことではないか。 

(アモ3:6)

 商店が閉鎖され、静まり返った町に角笛が響き渡ることで、共同体全体に「今は平時ではない」という極限の緊張感を与え、この音を聞く者は皆、真剣に悔い改めることが求められたものである。

③神の審判の象徴
 これは教会に通う読者の方々には説明は不要と思われる。神が裁きを行われる時、角笛が吹き鳴らされる。

 このタイミングにおいての角笛は、まさに今神が審判されていることを全住民に再認識させる。

 7つの断食の時には、上掲の通り店も閉める。共同体が停止状態になるのである。ただし食料確保の必要から、月曜日には部分的に店を開けてよい。

 木曜日は安息日への準備の為、それも許容される。最終段階は次の通りである。

沈黙の街:禁止される「婚礼」と「挨拶」

 もしこれらの断食をしても雨によって答えられないなら、彼らは商業、建設、植栽、erusin、nisuin、互いの挨拶を減らさなくてはならない 。―全能者が見て下さるように。
 卓越した者たちはニサンの月が終わるまで断食を継続する。もしニサンの月が終わっても雨が降らないなら、それは呪いのしるしである。次のように書かれている、「今は小麦の刈り入れの時期ではないか 」(サム上12:17)。

(Taanit 1:7)

 週に3日の断食は続けられる。それに加えて、他の日に以下の活動が自粛される。

①商業、建設、植栽
 経済活動及び将来への投資の停止。

②erusin(エルーシン)
 結婚の第1段階。「婚約」と翻訳されるが、本人同士は律法上既婚者になる。花嫁はこの期間、父親の元に留まり、準備をする。

③nisuin(ニスイン)
 結婚の第2段階。花嫁が花婿の家に移り、結婚が完成する。

④互いの挨拶
 ユダヤ教において、深い悲しみ(喪)の最中にある者が「挨拶を控える」という習慣は、単なる儀礼の問題ではなく、「神の裁きの下で言葉を失っている状態」を表す非常に重い作法である。

 ヨブ記には次のように書かれている。

 彼ら(友人たち)は七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。

(ヨブ2:13)

 極限の悲しみ(喪)の中では、挨拶すら不自然であり、沈黙こそが共感の印とされるのである。

 上に「断食は続けられる」と書いたが、それは「卓越した者たち」に限られる。その他の一般のイスラエルの民については、上記の7回の断食が終わった時点で、公式な義務としての断食は終了する。

 「ニサンの月」は第1の月で収穫の始まる時期になる。それまでの期間、「卓越した者たち」は断食を続け、民は喪中のように生活することになる。

 以上をまとめると、次のようになる。

①第8の月ヘシュヴァン(9月〜10月頃)
「卓越した人」の3回の断食。

②第9の月キスレヴ(10月〜11月頃)の月の1日
 イスラエルの全共同体による3回の断食。

③第9の月キスレヴ半ば
 イスラエルの全共同体による、日没から日没までの3回の断食。公衆浴場の閉鎖。

④第9の月キスレヴ半ば~後半
 イスラエルの全共同体による、日没から日没までの7回の断食。角笛と店の閉鎖。

⑤第10の月テヴェット~第1の月ニサン
 「卓越した者たち」の断食。経済活動、投資、erusi、nisuin、挨拶の自粛。

 この段階では、「卓越した者たち」は断食生活を3ヶ月継続することになる。一般のイスラエルの民も喪中期間のように過ごす。

 以上を踏まえてファリサイ派に対するイエスの言葉を検証しよう。次のようになる。

(結論の前に・・イエス周辺のイスラエルの民の庶民生活については、こちらの記事もご覧下さい)

◉福音書の『やもめ』をミシュナで読み解く:200ズズの権利とガリラヤの生存権

https://note.com/mishnah/n/nc3360abe5927


結論:「律法から福音へ」の宣言

 「あなたたちは律法が教えるように、角笛を吹き、店を閉め、婚礼を自粛して、神の慈悲を乞うている。しかし、花婿である私が来たことで、その時代は終わった。今は、角笛の音ではなく、婚礼の笛の音を聞くべき時なのである。だから、古い『断食の作法』で私たちを縛ることはできない。」

 その是非は、私たちが神の前に立つ時に知るだろう。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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