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ミシュナ『Oholot』の法理 第1回――死者の汚れの伝播法則:avi avot hatumahからrevii l'tumahまでの6段階減衰

*本稿では、ユダヤ教口伝律法ミシュナの「Tohorot(トホロット)」部に属する『Oholot(オホロット:天幕の汚れ)』篇1章1節を中心に、死者による汚れ(tumat met:トゥマット・メット)の伝播法則を法学的に解説する。

旧約聖書(トーラ)の『民数記』19章および『レビ記』22章を基礎とし、最高重の汚れの源である「avi avot hatumah(アヴィ・アヴォット・ハトゥマ:汚れの父の父)」から、聖別された物のみに影響する「revii l’tumah(レヴィイ・レトゥマ:第4の汚れ)」に至るまでの減衰プロセスを図式化。

 「汚す(tamei:タメイ)」と「不適格(pasul:パスル)」の厳密な相違を浮き彫りにし、ネット上の形骸化した解説を排した、手加減抜きの「汚れの力学」へと案内します。


汚れ(トゥマ)の基本原則:一段階ずつ減衰する伝播の力学


 今回から死者による汚れについて詳しく扱う。これまでの記事でも度々触れたが、汚れ(tumah:トゥマ)には軽いものから重いものまであり、それは人や道具、食べ物に移る。

 生きている生物で汚れるのは人間だけである。他の全ての生き物は、たとえ汚れることがあっても、死んでからの話になる。

汚れの重いものはそれだけ汚すことの出来る対象が広くなり、清めの手続きも込み入ったものになる。

原則的には汚れが移る度に、移されたものの汚れは一段階弱くなる。

 例えばAがBを汚し、BがCを汚れを移すとする。汚れの程度を図式化すると、次のようになる。

A > B > C

 例外はあるが、とりあえずこの原則は最重要である。根拠となる箇所などは、追々見て行くことになるだろう。汚れについての学びは長い時間と多くの事例を確認しながら、1つ1つ積み上げる地道な作業である。

ミシュナ『Oholot』1章1節:死者から人間へ伝わる汚れの限界


 ではミシュナを見ながら最初の事例を確認する。まずは「Oholot(オホロット)」1章1節から。

 死者によって2人の者が汚れる。-1人は7日間、1人は日没まで。
 3つのものが死者によって汚れ得る。―2つが7日間、1つが日没まで。
 4つのものが死者によって汚れ得る。―3つが7日間、1つが日没まで。
 どのようにして、2つのものが汚れるのだろうか?死体に触れる者は7日間汚れ、彼に触れる者が日没まで汚れる。

(Oholot 1:1)

祭儀的不浄の頂点「avi avot hatumah(アヴィ・アヴォット・ハトゥマ)」と「av hatumah(アヴ・ハトゥマ)」


 ここには汚れに関する極めて重要な原則が示されている。

 「死者によって2人の者が汚れる。-1人は7日間、1人は日没まで」とは、死者から人へ、その人から別の人へ汚れた事例である。物ではない。図式化すると、次のようになる。

故A氏 > B氏 > C氏

 汚れの程度(重さ)もこの順に重く、C氏が最も軽い。

 つまり故人(人の死体)はトーラにおいて最も重い汚れの元とされている。以下は復習の内容になるが、死体そのものの汚れは「avi avot hatumah(アヴィ・アヴォット・ハトゥマ)」と呼ばれる。直訳すると「汚れの父の父」である。

 「死者によって2人の者が汚れる」とは遺体の汚れは人間において、2人にまで伝わることを言っている。

 上記の通り「故A氏 > B氏 > C氏」という風に伝わっていくが、C氏から4人目のD氏に移るということはない。

 これを「avi avot hatumah(アヴィ・アヴォット・ハトゥマ:汚れの父の父)」の語から展開すると、次のようになる。

 故人A氏からB氏に移ると、1段階汚れの程度が落ちる。

 B氏はav hatumah(アヴ・ハトゥマ)と呼ばれる。文字通りには「汚れの父」である。

 つまり「汚れの父の父」から移された者は「汚れの父」になる。

 ていねいに図で示そう。

故A氏 (avi avot hatumah)> B氏 (av hatumah)

 av hatumah(汚れの父)は生きている者の中で最も重い汚れになる。これから清められるには、7日間の手続きを経なくてはならない。

 この「7日間の手続き」の内容については、以前の記事で詳しく解説した。自信のない方は下のリンクから確認して欲しい。

◉死者の汚れ(tumat met:トゥマット・メット)完全解説――民数記19章とミシュナに見る「汚れの階層」と清めのパラドックス

https://note.com/mishnah/n/n2dfad7d28375

 その間、神殿に行くことやterumahなどの聖別されたものに触れることが出来ない。次に

故A氏 (avi avot hatumah)> B氏 (av hatumah)> C氏

 におけるC氏について解説する。

rishon l’tumah(リッション・レトゥマ:第1の汚れ):人間が受ける汚れの終着点


 B氏から移されたC氏の汚れはrishon l’tumah(リッション・レトゥマ)と呼ばれる。これは直訳すると「1番目の汚れ」くらいになる。ここまでの流れは次のようになる。

 汚れの父の父 > 汚れの父 > 1番目の汚れ

 人は基本的にrishon l’tumahよりも低い程度で汚れることはない。重要な特則はあるが、それは後の回で解説する。

 さて、rishon l’tumahになった人はどのようにして身を清めることが出来るのだろうか?トーラには次のように書かれている。

民数記19章22節の法学的再考:「それに触れる者」が意味する真実

 汚れた者が触れるものはすべて汚れる。またそれに触れる者も夕方まで汚れる。

(民19:22)

 ここには重要な原則が隠れている。それを示しながら箇条書きにすると、以下の通りである。

①rishon l’tumahになった者がmikvehで身を清める。

 mikvehに入った後も、何かに触れるなら、それを汚す。

 これが「またそれに触れる者も夕方まで汚れる」の意味である。

 「それに触れる者」と訳されているので、人間のように思えるが、上記の通り、人間は基本的にはrishon l’tumahまでしか汚れない。

 ここではむしろ「それに触れる物」とした方が、誤解が無い。この点を踏まえて言い換えると、次のようになる。

 「汚れた者が触れるものはすべて汚れる。またmikvehに入った者に触れる物も夕方まで汚れる。」

 従って、mikvehで身を清めた後も、完全には清くなっていない。

②日没になる。

 彼は完全に清くなる。

 以後は全く物を汚すことはなくなり、行動する上での制限も働かない。

 ポイントはmikvehで身を清めたなら、彼は日没まで待たなくてはならないという事である。

 ただし主要な汚れはmikvehに入ることによって落ちている。この状態をtevul yom(テヴル・ヨム)と呼ぶ。

 ここまでまとめよう。

故A氏 (avi avot hatumah)> B氏 (av hatumah)> C氏(rishon l’tumah)

 C氏がmikvehに入った後、日没までの時間がtevul yomである。これも付け加えると、次のようになる。

故A氏 (avi avot hatumah)> B氏 (av hatumah)> C氏(rishon l’tumah) > (mikvehで身を清める)> C氏(tevul yom:テヴル・ヨム)

 tevul yomは次のように階層付けることが出来る。

avi avot hatumah > av hatumah > rishon l’tumah > tevul yom

 rishon l’tumahは「第1の汚れ」であった。「第2の汚れ」はsheni l’tumah(シェニ・レトゥマ)と呼ぶ。

 tevul yomの汚れの程度はsheni l’tumah(シェニ・レトゥマ:第2の汚れ)である。

 これをも加えると、次のようにまとめられる。

avi avot hatumah > av hatumah > rishon l’tumah > tevul yom( = sheni l’tumah )

聖別された物(terumah、kodashim)の聖性と汚れの感受性


 ところで、汚れとはそもそも何であったあろうか?それは祭儀的な汚れであり、具体的には聖なるものに触れてはならない状態である。

 従って、世俗のものに比べて、聖別されたものは汚れに一層弱いことは分かると思う。聖別されたものは、その聖性が高ければ高いだけ、わずかな汚れでもその用途に用いることが出来なくなる。

 tevul yom(sheni l’tumah)は人や物に汚れを移すような状態ではない。しかし完全に清くなっていない状態であるので、聖なるものに触れると、それを不適格にしてしまう。トーラには次のように書かれている。

 6すべてその日の夕方まで汚れている。彼は身を洗うまでは聖なる献げ物を食べることができない。 7日没になれば彼は清くなり、それ以後は聖なる献げ物を食べることができる。それは彼の食物だからである。

(レビ22:6~7)

 ここでは「日没までは聖なる献げ物を食べてはならない」ことを書いている。

 「聖なる献げ物」とはterumahや献げ物の部位等である。日没まで聖別したものを食べてはならないとは、tevul yomはこれらのものに触れてはならないという事である。

 terumahと献げ物の聖性の相違であるが、一層聖性が高いのは、献げ物に使われるものである。それは「kodashim(コダシーム)」と呼ばれる。

 聖性の高さの順に、次のように書くことが出来る。

kodashim > terumah > その他

 tevul yomがkodashimやterumahに触れると、これらのものは不適格になり、その用途に用いることが出来なくなる。

ミシュナ『Tohorot』にみる「tamei(タメイ:汚れている)」と「pasul(パスール:不適格)」の境界


 この間の事情はミシュナ「Tohorot」2章に書かれている。読んだだけでは分からないと思うが、とりあえず目を通して欲しい。

 rishon l'tumahやsheni l’tumahであるterumahはtameiであり、tumahによって汚す。shelishi l’tumahは不適格にであるが、tumahで汚さない。

(Tohorot 2:4)

 まず幾つかの用語について確認・説明する必要がある。

①rishon l’tumah(リッション・レトゥマ)

 既に説明した。「1番目の汚れ」である。

②sheni l’tumah(シェニ・レトゥマ)

 既に説明した。「2番目の汚れ」である。

 前半の「 rishon l'tumahやsheni l’tumahであるterumahはtameiであり、tumahによって汚す」とは、「terumahはrishon l’tumahかsheni l’tumahになった場合、tamei(タメイ:汚れている)のであり、他に汚れを移す」という意味になる。

③shelishi l’tumah(シュリシ・レトゥマ)

 直訳すると「3番目の汚れ」である。

 後半の「shelishi l’tumahは不適格にであるが、tumahで汚さない」とは、「terumahはshlishi l’tumahになった場合、不適格(terumahとして用いてはならない)ものになり、廃棄しなくてはならない。しかし他のものに汚れを移さない」という意味になる。

 この不適格(pasul:パスール)と汚れている(tamei:タメイ)を区別して欲しい。

 これによってterumahの性格を次のように整理することが出来る。

・rishon l'tumahやsheni l’tumahに汚れた場合、他のものに汚れを移す。

・shlishi l’tumahに汚れた場合、他のものに汚れを移さない。ただしterumahとして用いることは出来ず、廃棄することになる。

最高度の聖性を持つ「kodashim(コダシーム)」と「revii l’tumah(レヴィイ・レトゥマ:第4の汚れ)」


 先ほど、献げ物に用いるkodashimは更に高い聖性を持つと述べた。次のように書かれている。

 (kodashimで)revii l'tumahは不適格になるが、汚さない。

(Tohorot 2:5)

 revii l'tumahとは直訳すると「4番目の汚れ」である。shlishi l'tumahよりも更に弱い。

 献げ物(kodashim)の場合、shlishi l’tumahから更に、revii l’tumah(レヴィイ・レトゥマ)まで汚れる。それだけ聖性が高いからである。

 「kodashimで)revii l'tumahは不適格になるが、汚さない」とは、kodashimはrevii l’tumahになった場合、献げ物として使うことが出来ない。しかしそれ以上何かに汚れを移すのではないという事である。

 以上をもって、汚れの段階をまとめる。

死者から始まる「汚れの六段階階層」総まとめ


①avi avot hatumah

 人の死体であり、この世で最も祭儀的な汚れが強い。

②av hatumah

 死体から汚れを受けたもの。人でも物でもあり得る。人の場合、長い清めの手続きを要する。

③rishon l’tumah

 av hatumahから汚れを受けたもの。人の場合、mikvehで清めた後、日没で完全に清くなる。

 基本的に、人や物が汚れるのは、ここまでである。

④sheni l’tumah

 mikvehで身を清めた後、日没までの人をtevul yomと呼ぶ。tevul yomはsheni l'tumahである。

⑤shlishi l’tumah

 terumahやkodashimが汚れる。

⑥revii l’tumah

 kodashimのみ、ここまで汚れる。

 今回の内容は非常に重かったが、一度でマスターすることは出来ない。これから幾つもの事例を重ねる内に、いつの間にか血肉となり、トーラを解き明かす鍵になるだろう。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Oholot』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n84019ea0b112


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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